デモレース(1)
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「エアベンチャー」と名づけられた「オシュコシュ エアショー」も日程の半分が過ぎた水曜日、今日もオシュコシュ空港は青空の下、朝早くから沢山の観客が詰め掛けていた。
『……今日の午後は、レースのデモだってよ……』
『……レース、って言えば……事故があってから中断してるんだろ……』
『……そうだ……確か日本人の操縦する「エクストラ」が落ちたんだ……』
『……死んだんだよな……』
『……そんな危険なレースを……また始めよう、ってのか?……』
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パンフレットを見ながら、観客が歩いていく……
『……サクラ、気にしちゃダメよ』
イロナは、隣を歩くサクラに声を掛けた。
『うん、気にしてないよ。 あれは私のミス。 レースが特別に危険、って訳じゃないんだ……』
サクラは、ニッコリして見せた。
『……10年近く開催されて、死者は一人。 ね、大した割合じゃないよね』
『ええ、そうね。 もっと死人の出る競争なんて……カーレースやエアレース、パワーボートのレース……幾つか思いつくわね』
イロナは、「うんうん」頷いた。
『そういう事。 イロナも、詳しくなったね』
『そりゃそうよ。 ネット中継の会社を始めてから、そういう「怪しい」競技を沢山見てるから』
そう……サクラ達の始めたネット中継の会社は、世界中から「マイナー」な競技を集めて配信しているのだが……人気があるのは「危険な」競技なのだった。
『おはよう、マールク……』
サクラは、駐機場所に来た。
今は観客に開放されていて、其処彼処に老若男女が屯していた。
『……「ルクシ」の調子は良いかしら?』
『おはよう御座います、サクラ様……』
マールクは、作業の手を止めてお辞儀をした。
『……はい、完全に整備しました』
『ねえねえ……』
『ん?……』
Tシャツの裾を引かれて、サクラは下を見た。
『……何かな? お嬢ちゃん』
『……この飛行機、お姉さんの?』
そこには、志津子と同じくらいの歳の女の子が居た。
『ええ、そうよ。 「エクストラ300LX」って言うの。 私は「ルクシ」って呼んでるわ』
サクラは、しゃがんで目線を合わせた。
『かわいい名前……きれいなもようをしてるし』
『あら、ありがと。 私も好きな飛行機よ』
サクラは、ニッコリした。
『それでね……』
女の子は、なんだか「もじもじ」している。
『なあに? 言ってくれないと、私には分からないわ』
『……乗ってみたいの! 運転席に』
勇気を振り絞ったのだろう……女の子は、大きな声で言った。
『ん?……』
サクラは、周りを見渡した。
「(……あれが親かな……)」
少し離れたところに1組の男女が立っていて、頷いている。
『……ん! いいわよ……』
サクラは立ち上がって、女の子の手を取った。
『……動かせないけどね』
『いいの?……』
女の子の顔が、「ぱっ」と輝いた。
『……そのお兄さんは、ダメだって言ったのに』
『そう……』
サクラは、マールクを見た。
『……それは、仕方が無いわよ。 彼の飛行機じゃないもの』
『でも、ずっと何かしてたよ?』
女の子は、首を傾げた。
『それが彼の仕事なの。 彼は整備するのが仕事で、私は飛ぶのが仕事』
『お姉さんって、パイロット? 私もパイロットになりたい』
女の子は、サクラを見上げた。
『そう……それじゃ、これから沢山の事を覚えなきゃいけないね。 今日が、その第一歩かな』
サクラは、女の子の手を引いて「ルクシ」に向かった。
観衆の前……簡単にロープで区切られている……に、大型トラックの荷台を利用してステージが作られていた。
『さて、観客の皆さん。 これからは、飛行機を使ったレースのデモ飛行を行います……』
ステージの上で、ジーンズにTシャツという「ラフ」なスタイルをした司会者がマイクを握っていた。
『……それではペーテル、こちらにどうぞ』
『どうも……紹介されましたペーテルです。 これからのデモレースの解説を私が行います』
拍手を受けてステージに上がったペーテルは、司会者と握手をした。
『皆さんも知ってるでしょう。 彼は、飛行機のレースを考案して、そして監修していた……いや、今現在もしている男です』
『はい、そうです。 残念ながら、今は中断していますが……』
ペーテルは、観客を見渡した。
所々から口笛が聞こえてくる。
『……実は、良いスポンサーが見つかりました。 来年度から、レースは復活します』
『それは素晴らしい。 ちなみに、そのスポンサーとは?』
『インターネットで、主にマイナーなスポーツの動画を配信している会社です。 つまり、レースの映像を独占するわけですね。 その対価としてスポンサーになりました』
『と、いう事は……映像を見たければ、その会社と契約しなければならない?』
『そういう事です。 けして高額ではないので、ぜひ皆さん契約していただきたい』
『そうですね。 そして、今日はそのデモだと?』
『その通りです。 簡単に言えば、宣伝です』
『しかし……見たところ、レースコースなど無いのですが?』
司会者は、大袈裟に周りを見渡した。
『驚きますよ。 この空港が、アッという間にレース会場になります』
ペーテルが、言った途端……
空港の彼方此方から、パイロンが空に向かって伸び上がった。
『こ、これは凄い。 本当に、いきなりレースコースが現れました……』
『ウォー』という声にならない歓声が、沸き起こった。
『……しかし、パイロンだけではどんな風に飛ぶのか、分かりにくいですね』
『そうですね。 あ、丁度あそこに飛行機が、飛んでいます……』
ペーテルが、空を指差した。
そこには、小型機が旋回している。
『……彼に飛んでもらいましょう』
声が聞こえたのか……その小型機は、高度を下げ始めた。
小型機は、RW27に沿って飛んで来た。
高度を下げたおかげで、今ではそれがシルバーの「エクストラ330SC」だということが分かる。
『ゆっくりですね……』
司会者が、思わず言った。
『……レースって、こんなに遅く飛びましたっけ?』
『いえいえ、とんでもない。 本番では、スタート時に200ノット以下としか決めてません。 これは、わざとゆっくり飛んでいるのです。 私が説明する時間を稼ぐためです』
『あ、そうなんですか? それじゃ……あのパイロットは、偶然通りかかったのでは無いと?』
『そうです。 彼は……まあ、後で紹介しましょう』
「エクストラ330SC」は、スモークを吐き出した。
『あの様に、チェックのパイロンの間を通過するのが、スタートです』
ペーテルの言葉に従う様に、「エクストラ330SC」はチェック模様のパイロンを通り過ぎ、直後に左に殆ど90度バンクをした。
『次のパイロンに向かうために、左に旋回します。 これは、相当素早く旋回しないとパイロンを通れません』
「エクストラ330SC」は、90度旋回をして水平飛行になった。
『パイロンを通過する時は、完全に水平になってなければなりません。 傾いていると、ペナルティーが加算されます』
「エクストラ330SC」は、パイロンを通過すると右に少し旋回した。
『こっちに向かってきますね』
機首が自分の方を向いたのを見て、司会者が慌てて言った。
『はい、次はスラローム飛行です。 あの3本の赤いパイロンを左、右、左、と旋回します』
ペーテルは、彼らの後ろに並んでいるパイロンを指差した。
「エクストラ330SC」は、最初のパイロンの手前で左に90度バンクをした。
1本目のパイロンを回ると、右にロールして、今度は右に90度バンクをする。
2本目のパイロンは、ステージのすぐ後ろに立っている。
「エクストラ330SC」は、どよめく観客の目の前を背中を見せながら右旋回で回ると、左にロールをした。
『スラロームが終わると、RW18上のパイロンの間を通ります。 だから3本目のパイロンは、ぐるっと回ることになります』
ペーテルの言う通り「エクストラ330SC」は、3本目のパイロンを回ると観客席から離れる方に飛んで行った。
「エクストラ330SC」は、右旋回して滑走路上のパイロンを通過すると「ぐんっ」と加速した。
『おや? 加速しました』
司会者も素人では無い。
『はい。 これから縦のターンをします。 宙返りですから、十分な速度が要りますね』
「エクストラ330SC」は、「グッ」と機首を上げループに入った。
『次に通過するパイロンは、あの向こう側にあります。 これも水平飛行で通過しなくてはならないので、どこかでハールロールをする必要がありますね』
「エクストラ330SC」は、宙返りの頂点を背面飛行で過ぎると、斜めに下りながらロールを始めた。
『ま、あれが普通でしょう。 あのパイロンを通過すれば、再びスタートしたチェックのパイロンに向かいます。 これを2周するのが、今回のコースになります』
「エクストラ330SC」は、パイロンを通過して右に少し向きを変えた。
『左にチェックのパイロンが在ると思うのですが、右に行きました』
そう……パイロットから見ると、スタートのパイロンは左に見えているはずだ。
『このあたりは、考え方の違いが現れるところです。 パイロンを通過して真っ直ぐ向かい、飛ぶ距離を短くするか。 ただそうすると、急旋回をする事になって速度が落ちてしまう。 或いは、今のように飛ぶ距離は長くなっても、速度を落とさないようにするか。 どんな判断をするのか……そんな所等もレースを観戦するときの見所ですね』
「エクストラ330SC」はチェックのパイロンを通過して、機首を上げて上昇していった。
『おや……今、映像が入りました』
司会者が合図をすると、ステージの背後に設置してあるスクリーンが点いた。
何か、狭いコックピットの中でスティックを握る、ヘルメットを被るパイロットが映る。
『やあ、ペーテル……』
パイロットは、顔面を覆っていたバイザーを上げた。
『……久しぶりに会った、ってのに随分と無茶をさせるな』
『久しぶり、ムロフシ。 君にとって、こんな事は無茶でもないだろう? 相変わらず、そつなく飛んでみせる……』
そう……「エクストラ330SC」のパイロットは室伏だった。
『……降りて来いよ。 一緒に解説、とやらをやろう』
『俺は飛んでるのが、性に合ってるんだがな。 まあ良いだろう』
室伏がバイザーを下ろしたところで、画面は暗くなった。
「(……室伏さん、来たんだ……)」
ステージの下……膜が張られていて、観客から見えないようになっている……で、サクラはレースに出る皆と出番を待っていた。
『サクラ……貴方随分刺激的な姿ね……』
隣に立っているナタリーは、男達から隠すように位置を変えた。
『……マーティンなんか、さっきから「ガン」見してるわ』
そう……今日のサクラは、例の「遠山の金さん」的な……体の線が現れているフライトスーツを着ているのだった。