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紅い桜  作者: 道豚
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プロローグ

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 梅雨を目の前にした6月の第1日曜日……

 東京湾の最奥にある人工の砂浜は、万の単位の人出で埋まっていた。彼らの目の前には高さ25メートルに及ぶ円錐形のポールが立ち並んでいる。

「……来た……」

 誰かの声がした。

 甲高いエンジン音を立て、左手から小型のプロペラ機が近づいてくる。紺色をベースに桜吹雪の描かれた……何故だかピンクでなく明るい紅色だが……その飛行機は、驚くほどの低空を信じられない速さで飛んでいた。

「……おい……あれって早すぎないか?……」

「……ああ……210ノット出てるぜ……」

 右手にある巨大なスクリーンにリアルタイムでコックピットが映し出されていて、そこにはタイムと速度、そしてG(重力加速度)が一緒に表示されている。

『……レーストラックに障害はない。 スモークを出せ……』

 英語で話される無線がスピーカーから流れる。

 コックピットに座ったパイロットは……ヘルメットとバイザーにより顔は分からないが、ヘルメットから零れるウエーブの掛かったロングヘアーと胸の膨らみが女性を表している……左手でスイッチを触ると、その手で操縦桿スティックを持つ右手の下を握った。

「……両手持ちだ……」

 スクリーンを見上げた誰かが零した。

 スモークを引いた飛行機は僅かに高度を上げ、緩く左旋回をする。

 水平飛行を始めたと思った瞬間、チェックに塗られた2本のポールの間を通過した。

『……200ノット。 スタートクリアー……』

 スピーカーから落ち着いた英語が聞こえた。

 ルール上、スタートは200ノット以下の水平飛行状態でポールの間を通過しなければならない。女性の操縦する飛行機は上昇旋回することで、僅かに速度を落としポール間を通過したのだ。

「……くっ!……」

 スクリーンの中で、女性パイロットが気合を入れてスティックを倒す。

 飛行機は左に大きく……殆ど直角に……傾き旋回をする。コースが左に曲がっているのだ。

「……ふっ!……」

 次の瞬間、反対方向に倒されたスティックに従い、飛行機は主翼を水平に戻す。

「……くっ!……」

 一瞬の水平飛行の後、ポールを回り込むため再び女性は気合を入れる。

 主翼を垂直に立て、飛行機はポールに巻き付くように旋回をした。




 ポールを離れ、砂浜に向かってきた飛行機は急旋回をして砂浜に平行なコースを飛ぶ。

「……くっ!……」

 二つのポールの間を通過したとき、気合と共に女性はスティックを引いた。飛行機は機首を上げ、宙返りを始める。

 スクリーンの中の女性は、自身を写すカメラなど無視するように首をげて、うえを見ている。少しでも早く降下地点を見つけなければならないのだ。

「……おい、随分小さく宙返りするぜ……」

「……ああ……あれでオーバーGにならないんか?……」

「……大丈夫みたいだぜ。 あれで9G位だ……」

 スクリーンに現されるGメーターの数字を読んだ誰かが言った。

「……どうなってるんだ?……」

「……多分だけどな……進入寸前にエンジン音が変化しただろ。 少し速度を落としたんじゃないんか?……」

「……スロットルを下げたってんのか? 出来ないだろ。 両手でスティックを持ってるんだぜ……」

 観客達の疑問には答えず、飛行機は急降下しながら横転ロールをして引き起こし、ポールの間を水平に通過した。




 一直線に並んだポールを、右に左に交わしていく……所謂スラローム飛行だ。

 排気管から吐き出される白いスモークが、ポールの同じ高さを結んでいる。

「……上下しない……」

「……そうだな……完全に水平だ……」

 ただの横転ロールならば、水平に飛ばす事の出来るパイロットは多いだろう。しかしスラロームは、真横になった姿勢で昇降舵エレベーターを引き、高いGを掛ける。そのため補助翼エルロンを使ったときの左右効力差アドバンスヨーが、大きく変化するのだ。

 この力は飛行機を左右に揺さぶり、蛇行させようとする。それを打ち消すために方向舵ラダーを使うのだが、これを的確に使うのは難しい。

 曲技飛行エアロバティックなら滑らかに変化するのでラダーを合わせやすいが、これはタイムを競うレースだ。

 目まぐるしく変化するGとアドバンスヨー。これを感じてからラダーを動かすのでは間に合わない。いっその事、とラダーを諦めているパイロットもいる位なのだ。

 それを、この女性は的確な操作で押さえ込み、飛行機を水平に飛ばしている。当然飛行機は最短距離を飛ぶのでタイムが良くなる。




 スラロームを抜けた後、水平に小さく旋回すると、再びスラローム。

 スタート地点に戻り、二週目に入る。

「……ふっ!……」

 操作のたびに漏れる気合の声も掠れてきた。それでも彼女は懸命にスティックを引く。

 飛行機は最後の縦のターン……宙返りをして向きを変える。

 高度を上げた飛行機は背面姿勢で急降下。降下しながら180度ロールをすると引き起こして水平飛行になり、二つ並んだポールの間を抜ける。

 さあ、後はチェックに塗られたゴールのポール間を抜けるだけだ。

「……早く……早く……」

「……いけー!……」

「……いけるぞ……」

「……来たぞ、来たぞ……」

 祈るような観客の声を受けながら、飛行機はゴールのポール間を突き抜けた。

『……協議中……』

 無慈悲なアナウンスが流れる。

「……ええーーーー!……」

「……嘘だーーー!……」

「……大丈夫……大丈夫だとも……」

 二つ並んだポールの間を抜けるときは、飛行機は完全に水平飛行をしていなければならない。

 もし5°以上ずれていると2秒のペナルティだ。

『……オールクリア ミス サクラ 53.723秒……』

 祈るような沈黙の後、事も無げにアナウンスがされた。

「……ゥヲーーーーー!……」

 その直後、スクリーンの女性が雄叫びを上げた。

 空の上だと言うのに、操縦桿から手を離して「バンザイ」をするとバイザーを上げた。色素が薄く、青みがかった灰色の瞳のぱっちりした目が現れると、カメラに向かってウインクをしてみせる。

「……やったーーー!……」

「……これで勝てるぞーー!……」

「……サクラー!……」

 観客席は大騒ぎだ。




 やがて飛行機は臨時飛行場に着陸した。

 エンジンを止め、キャノピーを開いた飛行機をスタッフがエプロンに押してくる。

 ヘルメットを取ってウエーブの掛かった赤毛を背中に流したパイロットの女性はコックピットに立ちファンに向かって手を振っている。

「……おめでとう吉秋……」

「……よかった、よかった……」

『……サクラ……』

『…………』

 二組の夫婦がそれを見て涙を流していた。




 1ノット=凡そ時速1.8Km

 1G=止まっている状態での重力。 9Gならば9倍の重力が掛かっている。

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