第30話「苦渋の決断」
朱雷電を退かせる為とはいえ、真火飛鴉に続く黒銀の起爆はショッピングモールの倒壊に更なる拍車をかける。天井や柱、四方の壁が崩れるペースは早まり、創伍達のいる広間だけで考えてもあと数分保つか保たないかだろう。
「どうする気なんだ……。この状況で、俺達を連れてここから抜け出すなんて……! それに朱雷電もまだ死んじゃいない。すぐにまた戻って来るぞ……!」
「無計画なお前と一緒にすんなよ。ヤツが俺を殺すつもりだったのは前々から勘付いてたんだ。タイミングが読めなかっただけで、その時が来た場合の逃げる段取りくらいいくらでも用意してる」
「……アイツから、逃げ切れるのか……?」
「計算上じゃニブイチだったのが今は限りなくゼロに近い。お前を連れ出すなんて計画外が挟まんなきゃな」
「………………」
「だがそうしなきゃなんねぇ事情が出来ちまったんだ。勝手と言われようが俺は行くとこまで行かせてもらうぜ」
計画通りにいかず諦観しつつも、鴉はもう次の作戦を練っている。九闇雄に逆らったとなればもう後戻りは出来ない。足止めして稼いだこの一瞬の隙に乗じて、すぐに行動に出た。
(このままお前と……似た者同士になるのは御免だからな……)
――……ピィィィィイイッ!
指を口に咥え、何かを呼ぶように外にまで届きそうな高い指笛を鳴らす。
すると十秒も経たずして、瓦礫が多く積もっていない別の通路の奥から、何かがドスドスと物音を立てて近づいてきた。
その正体は……
「でゅー! ふぁたへたなぁ! はよえるあいぼお、りんやひゃみゃのとうでょうでぁ!(Duuuuude!! 待たせたなぁ! 頼れる相棒、麟鴉様の登場だぁ!)」
馬ほどの体格に黒い翼を纏った獣。どこかで見たことのあるそれは、鴉の相棒――グリフォンの麟鴉。
この非常時に、意気揚々と救いのヒーローを気取ったつもりで創伍達の前に現れたのだ。
「……2分の遅刻。また道草食ってたなこの野郎! お前が早く来ねぇから俺が余計な綱渡りさせられただろうが!!」
「ひぎゃうっふぇ! ひほだふけよ、ひほだふけ!(違うって! 人助けよ、人助け!)」
「変なもん咥えて何言ってんだ……ハキハキ喋りやがれ!」
「グエッ!!」
まるで危機感の欠片もないやり取りをする一人と一匹。麟鴉の口に何かが咥えられており、鴉が彼の首根っこを掴むと、堪らずその嘴を開いた。
「んん? 何かと思えば人間の……女?」
「ゲッホ……! だから……人助けしたんだって! ここへ来る途中、この可愛い子ちゃんが屋上で逃げ遅れたようだったから、紳士な俺様が助けてやったんだよ!!」
地面に落ちたのは――
「はっ……! 乱狐、さん……!?」
「乱狐……あぁ思い出したわ。確かオボロん時に居たW.Eのボインちゃんか」
創伍達と分かれて別行動を取っていた乱狐であった。その後の経緯は知りようもなかったが、何故か今は気絶している。
「………………」
「ふん。まだ息はある……丁度いい。荷物持ちくらい出来るだろ。おい麟鴉、ちょっとコイツ起こしてやんな」
「言わずもがなっ! ずっと我慢してたんだ! 美味い肉は新鮮な内にってねぇ!! ではお言葉に甘えて……」
「食うな馬鹿。起こせってんだよ」
朱雷電に敵う戦力ではないが、乱狐も連れて行くことにした鴉。生き残る確率を上げるには、人手が増えるに越したことはない。
しかしこの限られた時間内で、果たして乱狐の意識を戻すことが出来るのだろうか……
「さぁさぁお嬢さん、起っきのお時間でございますよ〜……!!」
その役を請け負わされた麟鴉は、自信満々どころか大歓迎の様子。乱狐を起こそうとするその顔には、誰がどう見ても邪な考えしかなかったが、なりふり構ってはいられなかった。
なんと麟鴉は、乱狐に近付くや否や嘴から舌を伸ばし、彼女の腿や首筋などをベロベロと舐め回し始めた。
「人命救助……これは人命救助だからなっ! ……ぐふふっ」
グリフォンが女に触れようものなら前足の鋭い爪で肌を傷つけかねない。
そうしない為にも、舌で舐め回すことで合法的に己の欲も満たすという腹だ。
「んん……なにこのヌメヌメした感じ……って、はっ――?!」
「おっ! 意識が戻ったようで何より! 美味な御足でしたよ〜!」
「っ〜〜〜〜!!」
ザラザラとした舌触りと生温かい感触にゾクリとした乱狐も、これにはすぐさま意識を取り戻した。
目を開けたら化け物が襲っている、と防衛本能が察知。反射的に起き上がり、麟鴉の顔面を殴りつけようとするが……
「何しとんじゃこの変態っ!!」
「おっと――」
……そこへ鴉が割り込み、拳が彼の平手で受け止められ、防がれてしまった。
「……っ!? カラス野郎っ!」
「オイッス。お目覚め早々不快な気分にさせたとこ悪いがね、ちょいと手を貸してくんねぇか」
「起きたばっかのあたしに寝言言ってんじゃないよ! なんで異品の命令なんか聞かなくちゃ……って……あぁっ!!」
事態を飲み込めなかった乱狐だが、すぐ傍で血塗れの創伍と織芽が倒れているのが目に入る。
「創伍!!」
「ら……乱狐さん。無事で良かった……」
「あんた……! その子を守るのに手一杯で、鴉に……!」
気を失っていた間の大凡の状況を自分なりに把握した。この爆撃地獄の中で、創伍は織芽を守ろうと奮闘した……しかし……その彼を鴉が無惨にも叩き伏せ、圧倒したのだ。
「このクソカラス……!」
「乱狐さんっ!! 今は早くここを脱出しないと……!」
「よくも創伍をっ!!」
傷付いた仲間を目に、乱狐は鴉に止められた拳をもう一度振りかざす。怒りの矛先は完全に麟鴉から鴉に変わっていた。
「――朱雷電が現れたんだっ……!!」
「っ――!?」
しかし、既の所で止まる。朱雷電――創伍の口からその名前を聞いただけで、鈴々と二人で立ち向かった時の圧倒的な実力差を思い出す。
「突然俺達を殺そうとしたところを鴉が助けてくれて……コイツも狙われてたみたいなんだ……」
「一部語弊があるが、相当大きい貸しが出来たちまったのは間違いねぇな」
「………………」
「ま、お前さんの殴りたい気持ちも道理もごもっともだが、果たしてそんな暇があるのかねぇ?」
「…………ふん!」
冷静にならざるを得なかった乱狐は、無意識に掴んでいた彼の胸ぐらを、力を込めて放してやった。
「朱雷電と仲違いしたのか知らないけど、礼は言わないからね」
「要らねぇって。それよりも手を貸してくんなぁ、手を」
「だぁから! なんでアンタなんかに手を貸す義理があんのさ!!」
「ここからはお互い命懸けの脱出行だ。朱雷電の奴、俺という格下に足元掬われたばかりだからな。怒り心頭で後先のこと考えず皆殺しにやってくるだろうぜ。俺はともかく、お前さんそんな怪我人ども連れたまま応戦なんてしてみろ――まず御し切れねぇ。それより一か八か、手ぇ組んで足掻けるだけ足掻いて生き残る確率を高める方が利口だと思わねぇ?」
提案されたのは一時的な協力。手を組んで生き残れる可能性が大きく変わるような相手ではない。だが手を組んで全力で逃げるのなら話は別だ。相手を自分達の土俵に入れているのだから、やりようはいくらでもある。
しかし、乱狐も鈍感ではなかった。
「あんた……虫が良いね。ここまで自分でやっといて、身の危険感じたら手を貸せだ? お断りだよ。あたしは自力で二人連れて抜け出してみせるから、そっちはそっちで頑張りな。お気遣いには感謝しとくけど」
呉越同舟にしても相手が信用できない。偶然に乗っかっていいように利用しようとしているだけと察した乱狐は鴉の申し出を断り、踵を返して創伍達の方へと駆け寄った。
「さぁ創伍、身体をあたしの背中に預けて。腕だけ伸ばしな――」
「う…………ぅ……」
宣言通りこの地獄から逃げるべく、ゆっくり起こした創伍を背に乗せる。そして羽織っていた流行りの上着を捻り包ませてから巻き付け、自分と創伍の身体をキツく縛って背負い込む。最後に空いた両腕は、倒れている織芽をしっかりと抱き上げてやるのであった。
二人の人間を一人でいっぺんに運ぶ――怪力自慢の乱狐らしいが、鴉はその様子を見て鼻で笑ってやった。
「ふんっ、自力で抜け出すだぁ? デカい的が三つに乳二つ、銃弾を避けられるかどうかも怪しいぜ?? 脚一本動かなくなった途端に詰みだ。何なら試してみるか」
「……やってみなよ。ここでやり合おうってなら、あんたも無傷では帰れなくなる。引き金引くなら、そっちも玉ぁ絞めて覚悟決めなっ」
「………………」
それで逃げられる自信があると言えば嘘になる。両手が塞がるハンデを背負って朱雷電から逃げるなど無謀極まりない。
現に、鴉から拳銃を突きつけられている乱狐は恰好の的。息も呑んでしまっている。
だが彼女もタダで死ぬつもりはない。鴉が一線を越えて来ようものなら、道連れにしてやるくらいの強い殺気を放っていた。
「――ま、冗談さ。俺だって今は死にたくねぇんだ、一時休戦といこうぜ。逃げ道案内してやっからよ」
一触即発の状況下、ギリギリのところで鴉が引き下がる。
ここで二者が争っても、笑って手を叩くのは朱雷電だけだ。今は生き残ることを最優先にし、乱狐達への攻撃を止める約束をした。
「乱狐、さん……」
「…………出口までだよ。途中で気が変わってこっちに手ぇ出してみな。刺し違えてでもあんたを殺すから」
「もち。話がわかる姉ちゃんで助かるぜ♪」
異品の手から人間を守護することはW.Eとしての使命。いくら強がってもここで死んでしまえば創伍達も死に、その本分を全うしたことにならない。
二人を見捨てることなど出来ず、生きて帰る為なら嫌でも組まざるを得ない……そう見透かしていた鴉からの半ば脅迫も含まれた申し出に、乱狐は苦渋の決断で脱出への同行を承諾するのであった。
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