第29話「運命の岐路」1/2
「俺に加勢だと……」
瓦礫に埋もれた闇の中を照らす閃光。振り向けば、それが朱雷電のものと気づいた時に生きた心地がしなかったのは、創伍だけでなく鴉も同じであった。
現界侵攻の異品を束ねる指示役と司令塔という関係とはいえ、相手は九闇雄。蟻と象が向かい合って話すに等しく、彼から発せられる圧倒的なプレッシャーを耐えるのに精一杯なのだ。
「目ん玉ついてんのか? よく見てみろ――やっと潔く負けを認めた道化英雄様に、情けをかけてやろうとしたところだぜ。これでも俺が助けを求めてるように見えんのかよ」
「うぅ……ぐっ……!」
それでも平然に振る舞いながら、もう呼吸するくらいの力しか残っていない創伍にしっかりと銃を向けている。引き金を引けばいつでも決着がつくだろう、外す方が難しいと言える。
そこへ朱雷電の加勢も入っては、地に伏す創伍は噛み付くことも出来ない窮鼠同然であった。
「フフフフフ……九闇雄のこの俺が、今更英雄一人の命に執着する程手柄に飢えるかよ。謂わば念には念をって奴さ」
「念には念……」
「テメェ、いつか言ったな――真城は愚者に取り入られた傀儡に等しいと。もしそうだとすれば、ヤツがみすみす傀儡を野放しにする様なヘマをするとは思えなくてな。すんなり殺せても、その骸から何が飛び出して来るやら……だ」
だが朱雷電が来たのは、創伍を殺すことよりも、あくまで彼を道化英雄に仕立て上げたシロを恐れての事なのだ。
「コイツがまだこの事態を覆す可能性を残してるってか? よもや出し惜しみを!」
「無自覚の傀儡に爆弾を背負わせるなんざ愚者には安い手品だろ。俺の時だってそうに違ぇねぇんだからな……!」
黒い瘴気に包まれた創伍との死闘を振り返る。あの時の創伍はシロの助力も無しに未知なる能力に目覚め、止め処無い殺意に突き動かされるまま朱雷電と五分五分に渡り合っていた。
それがもしシロによるものであったとしたら……今回も、道化師の居ぬ間に主だけを殺しても御の字で済むと思えない。
創伍の危機をスイッチに、別の英雄を呼び寄せるのか?
それとも創伍自身が爆発するか?
もしやまったく別の生き物が飛び出してくるか?
はたまた世界がひっくり返るような災いを……?
いずれも愚者なら、如何様にも披露出来るのだ。
「ハッ……さながらパンドラの箱ってところかい」
「だから俺はそれを仕留める後ろ盾よ。これなら何が起きようとも心配あるまい? テメェの身の保証までは出来ねぇが、共通の目的は完遂出来るってもんだ。フフフフフ……!!」
敗者には一縷の希望にも縋らせず、絶対的な死を与える。悪を極めた九闇雄ゆえの徹頭徹尾ぶりは、敵に回せば絶望的であり、味方にするとこれ以上に心強いものはない。鴉の勝利はほぼ約束されたと言ってもいい。
「………………」
ただし……
「ご協力感謝……と言いたいとこだが、丁重にお断りする」
それはルールのない殺し合いのみに限る。
「これは元々アンタがくれた汚名返上のチャンスだ。そのために設けたこの死闘に、水を差すのは野暮ってもんだぜ――」
この闘いは、鴉が自分流のルールで勝つべくセッティングしたゲームだ。最後まで生き残った方が勝ちというシンプルな条件下――手段はともかく、鴉は舞台も武器の調達も自力で行い、ハンデまで用意した。その果てで完全に創伍の息の根を止め、勝利を確信した瞬間が彼のゴールである。
他人に加勢されて得た勝利など、プライドが許さないのだ。
鬼が出るか、蛇が出るか――上等。この後に何が起きようと受けて立ってやる。鴉はその意気込みを強く含んだ一瞥を投げ、手出しは無用と断った。
「フッ! フフフフフ……!」
自分なりの善意を拒否された朱雷電であったが……
「フフフフフフ! アハハハハハッ!!」
眉を顰めるどころか、マスク越しに高らかに笑い出す。
「オーケイ、オーケイ! 下級異品なりの意地って奴か……いいぜ、所詮俺は観客だ。こっちだってどんな玉でホームランが飛んでこようが、最後はそれを取れりゃイイくらいのつもりで来たんだ。だがその玉もテメェが打たなきゃ話が進まねぇ。そんなに大口を叩くんなら、さっさと撃ってみせろよぉ」
「言われなくとも――」
朱雷電に見守られるような形で、照準を改めて創伍に向ける鴉。
対する創伍は、今更闇雄が加わったところで自らこの逆境を覆す法を持ち合わせていない。ならば織芽を庇うことだけが、今の自分に出来る最大限であった。
「織芽…………!!」
(これで全てが……)
後は指を引くだけで創伍は死ぬ。
彼を殺さなければ始まらない自分の人生を、勝ち取る為に……
この指に力を込めるだけで――
(終わるっ……!!)
もう何にも縛られることなく、自分は自由の身になれる――
……
…………
……はずなのに、鴉の拳銃から何秒経っても銃声は響かない。
「――どうした、早く撃てよ」
「…………!!」
銃の弾切れでも故障でもない。なんと鴉の指はトリガーに触れていながらも、ギリギリのところで引くまいと踏み止まっていた。
(どうした……ここまで来ておいて、何が怖くて躊躇ってやがる……!)
相手は瀕死で抵抗の一つも出来ない。朱雷電の言うことを鵜呑みにし、愚者の存在も恐れている訳でもない。仮にこの後に何が起きても乗り越えるつもりであるのにだ……拳銃を持つ鴉の腕は震えており、まるで本人の意思に反して創伍を照準から外そうとしているようでもあった。
「……フッフフフフ! やっぱヒヨるよなぁ! この俺でも愚者を相手に構えの一つは取る。所詮いち小悪党のテメェが、拳銃一つだけでどうこう出来るわきゃねぇんだよ」
(恐怖による硬直なんかじゃねぇ。この感覚……"撃つな"だと……!?)
その感覚とは、生存本能。平たく言うなら勘でもある。創造世界の修羅道を生きてきた実力と経験により培われたそれが、鴉を生かす為に引き金を引かせまいとしているのだ。
本能からの警鐘を素早くキャッチした鴉は、彼に今の状況を冷静且つ慎重に把握させる。
「――ま、別に構わないけどな。テメェが撃てねぇのならいつでも言ってくれぇ? 俺がこの指だけで仕留めてやっからよ……!」
(……なるほど。そういうことかい)
間も無くして、腕が震えた理由が何処から来たのかを鴉は察した。
勘付いたのを悟られる訳にはいかない。彼はもう……朱雷電の方へ振り向くことは出来なかった。
何故なら朱雷電は――創伍諸共、鴉を殺そうとしている。そう読めたのだ。
「フフフフ……! フフフフフフフ……!!」
地に伏す創伍の前に立つ鴉。そして彼の背後では、宙に浮く朱雷電が後方支援という体で、二人を見下ろしながら人差し指を伸ばしてじっと待機している。だがそのまま指から電撃が放たれ、一直線上に赤光が走れば創伍だけでなく自分も撃ち貫かれるであろう。
それを朱雷電が、鴉の身を案じて創伍だけを狙い撃つ配慮をする理由がない。現に背後と頭上を取ったまま何も言わず、余計な動きを一つたりとも見逃さないくらいに目を光らせている。
鴉の腕が震えたのは、その背後で沸き立つあからさまな殺気を感じ取ったため。鴉やパンダンプティも駒としか思っていない闇雄の似つかわしくない加勢が、かえってそう気付かせたのだ。
(目ぇ付けられていたとはいえ……流石は九闇雄――用が済んだら敵ごとまとめて始末かよ)
朱雷電は、異品の総攻撃時から自分の単独行動に目をつけており不快に思っていた。もしも何か企んでいるのなら、その役目が終わるタイミングで殺せばいいと思っていただろう。
ここまでは鴉も彼の心情を読み取り、警戒まではしていた。だが汚名返上の機を与えられたことにより、創伍の命を取った後ではなく、その直前で自ら始末しに出向いて来るとは思ってもみなかったのだ。
(……さて、どうするか)
目の前の勝利と、闇雄からの殺意に板挟みとなる鴉。ともあれ無抵抗で死ぬつもりはなく、緊迫した状況下で脳をフル回転させて思案する。
創伍を殺せば、直後に自分も殺される。
創伍を諦めて朱雷電に委ねても、まとめて殺される。
逃げても電光石火の速さで追われ、殺される。
……自分が死んでは意味がないのだ。
泥水を啜ってでも生き抜いて、幾多の壁を乗り越えて変えてきた運命を……これまでの人生を……全て無に帰することだけは受け入れられない。
自分の人生は自分が主役のはず。この創伍との因縁の所為で自分の人生がここで幕を閉じる運命など、絶対あってはならない。
ならどうやって生き残る……一体自分はどっちの道を選べばいいのか――
「もう……いいだろ。殺すなら、一思いに……殺せよ……」
思考が混濁しかけた時、か細い声が鴉を現実に引き戻す。
織芽に覆い被さって伏していた創伍が、残された力で顔だけ上げて、語り掛けてきたのだ。
「おい……人の気を散らすなよ」
「今の俺には……指一本も動かす力も無ぇ……。切り札なんか……有るならすぐにでも使いたいさ。でも見ただろ……シロが居なけりゃ、俺は自力で幼馴染一人守れないどうしようもない奴だって……!」
「………………」
「本音を言えば、死にたくねぇよ……この体が動くなら織芽を引き摺ってでも逃げ出したいっ……!それでも殺される運命なら……朱雷電に殺されるくらいなら、俺を負かしたお前に殺される方がまだマシだ……!」
「なんだと……!」
鴉と朱雷電のやり取りを耳にしていたのだろう。創伍はもう手元にこの事態を覆す術がないことを教える。挑発しているようでもあれば、躊躇する鴉の不安を払拭しようという彼らしい後押しにも受け取れるが……
……少なくとも創伍は、死という運命を受け入れようとしていた。
「ヒッヒハハハハッ!! 俺に殺されるのは嫌だときたぜ! ほんと口だけは一丁前だよなぁコイツ……! おいカラスさんよ、どうやらテメェに殺されないと成仏できねぇらしい。だからお望み通り楽にしてやれよ……!フフフフフッ!」
(クソッ……! これじゃどっちが窮地だよ……!!)
この闘い――どっちが有利だったかは誰が見ても明白だ。追い詰めているのは自分のはずなのに、今では道連れにされかけている。そして遂には虫の息である創伍にも撃てと急かされ、気付けば自分も後がなくなっていた。
だが、鴉はまだ岐路を渡れない。
撃たなければ殺される。撃っても殺される。しかし時は待ってくれず、確実に背後から死が迫ってくるような気がしていた。身動きしていないのに心臓の鼓動が止まらず、汗も吹き出す程だ。
(……こんな結末、俺の計算には無かった……!)
――こんなのが自分の辿る運命の筈がない。
(もしそうじゃなきゃ……あの日から俺の選択は間違ってたってことじゃねぇか……!!)
これまで鴉は幾多の岐路に立たされ、選び、辛くも生き残るという苛烈な人生を過ごしてきた。どういう過程であれ正しい岐路を選んだ故にこうして生きているのが、己の実力の証明であるという自信にも繋がっている。
「何を迷ってんだよ斬羽鴉……! 俺を殺すことが英雄になる条件じゃなかったのか……!? だったら迷う理由がねぇだろ……早く撃てって言ってんだよっ……!!
「……コイツ!!」
しかし……いつかの日に創伍と初めて出会い……そして創伍を殺すことを選んだ時から、全ての運命が狂い出したのかもしれない。
そんな生来の呪いに悩まされているこちらの気も知らず……追い込まれた自分を殺してみろと煽るような創伍に無性に腹が立ち、この上なく悔しくなった鴉は……
「――だったらなんで絶望しねぇんだ! その目はぁっ!」
「が……!? あぁっ……!!」
創伍の顎を盛大に蹴り上げて、込み上げる怒りを爆発させた。
仰向けになった彼の顔をすかさずブーツで踏み付け、銃口を喉元に突き付ける。ヤケになりつつある鴉は、いつ拳銃を撃ってもおかしくはなかった。
「怯えた顔の一つでも見せて見ろよこの野郎……! 死ぬんだぞ……! もうテメェには何も残ってねぇのに、なんだその面!? 目だけが死んでねぇ……絶望しちゃいねぇ……まだ救いの手があるなんて思ってやがる!! これ以上何に縋ってやがるんだ!?」
「ぶふっ……! う……!」
鴉の怒号を浴びる創伍は、手足の流血が止まらないために段々と意識が遠退きかけており、視界もぼやけて定まっていない。息も絶え絶えだ。
「能無しのお前をぉ! 一体誰が救うってんだよぉっ!?」
「……はっ……き、き……」
だが……創伍の目は撃たれる前と同じく鴉を睨んでいた。肉体は死にかけていても心は死んでいない。
「……き……ぼ……!」
「ん……? 何つった、もっぺん言え!!」
「き……ぼ……お」
「希望……??」
確実な死を前に恐怖も絶望もしない。最後まで運命に抗い続けようとしている。
「い、のち……を……投げ捨てるようなことは……絶対……するなって……!」
「………………」
「待ち続けろ……! どれだけ……絶望しても……希望は……必ずある……って言われたからっ……!!」
(っ…………? ……その言葉……)
この地獄へ落ちてから、ずっと心の支えにしたいつかの記憶の回想が、創伍の意識を僅かながらに繋いでいてくれたのだ。
「だからっ……! こんなどうしようもない俺でも……最後の最後に、もう一度希望があるって信じてみたいんだっ……!!」
そして同時に……鴉は、何が創伍の精神をこれ程まで保たせているのかを知った時、彼の中でもある異変が起きるのであった。
(コイツ、まさか……!?)
* * *




