第28話「絶望の淵」2/2
「……あ〜あ、信じらんね。幼馴染を帰してなかったとか。女一人まともに守れねぇのかよ、お前は」
「…………!」
誰も予期していなかった織芽の乱入に、斬羽鴉は怒りを通り越して呆れ気味に頭を掻きながら創伍を睨む。
彼女を巻き込まないよう必ず家に帰しているはずと、創伍の行動心理を信頼して計画したのにそれすら全う出来ていない。そんな相手に一度でも不覚を取られた己にも苛立っていたのだ。
「あなた……さっきの……! どうしてソウちゃんにこんな酷い事をっ!!」
「どうして、ねぇ。まぁ……話せば長くなるんですが、生憎そんな余裕は無いんで。単刀直入に言やぁ貴方のボーイフレンドには此処で死んでもらいたいんですよ。だからさっさと消えてくれません? じゃないと銃弾、貴方にも当たっちゃいますよ??」
それでも鴉は、この期に及んでまだウェイターの作り笑顔を織芽に向け、銃口だけはしっかりと創伍に狙いを定める。
しかし二人の事情を知らぬ彼女に、そんな話が通じるはずもなかった。
「はぁ!? 何を無茶苦茶なこと言ってんのよ! ソウちゃんはあなたを見捨てず、危険も承知で助けに来てあげたのに……その恩を仇で返すつもり!?」
「よせ……織芽……! コイツに構うなっ……!」
「そりゃあタダの親切の押し売りって奴です。んで相手はその恩を仇で返した。俺みたいな人でなしがね……。それで納得しちゃくれません?」
「するか馬鹿っ! どんな理由があっても、人を殺していい道理なんて無いわっ!!」
「お前には関係の無い事なんだ……! だから引き返せよっ……頼むからっ!!」
「………………」
鴉からすれば織芽を撃ち殺すのは簡単だ。決して躊躇ってるのではない。だが万が一、次の一発で創伍を庇った織芽だけが死んだりでもしたら、怒り狂った道化師が何をしでかすか分からないというリスクがあった。
罠を張り巡らせたこの狩場に、創伍以外の他人が入る余地は無い。そこに織芽というイレギュラーが現れた今、鴉も不用意な行動は取れないのだ。
「でも……どうしてもソウちゃんを殺すって言うんなら……」
そして織芽はというと、怖気付くどころか創伍に危害を加えようとする悪漢を空手で応戦しようと、なんと拳を握って構え始める。
「私も殺しなさい! でも、タダでは死なないわっ……!」
「……馬鹿か、お前」
織芽の無謀な勇ましさに、鴉の苛立ちはピークを迎えつつあった。空手に銃火器が負ける道理もないが、崩落のタイムリミットが間近に迫り、敬語を使うのも馬鹿らしくなった鴉はいよいよリスクも覚悟の上で吹っ切れようとしていた。
「やめとけよ。たった一度の人生、こんな死に損ないの為に無駄にするのか? まぁ消えるつもりがねぇなら……俺の手で消すことになるんだが」
「やめろ……! 織芽には手を出すなっ……!!」
「まだ何もしてないクセに、もう勝った気になってんじゃないわよ! やってみなさい! アンタなんかに、ソウちゃんは殺させないわっ!!」
「……チッ……!!」
織芽の意思は固い。少なくとも彼女にしがみついてでも庇おうとするひ弱な創伍よりかは気丈だ。そんなのを相手にこれ以上の問答は時間の無駄と判断し……
「あぁ、そうかよぉっ!!」
トリガーに掛けた指に力が込められる――
「――やめろおおおおおおォ!!」
創伍が叫んだ。満身創痍であることも忘れたかのような速さで駆け出し、織芽に銃弾が当たらぬよう咄嗟の判断で真横へと突き飛ばした。
「きゃっ……!!」
その声に刹那、鴉は気を取られたが後押しされたように引き金を引く。
凄まじい破裂音と共に炸裂した弾の標的は、創伍にのみ絞られた。
だが創伍は――
「わぁあああっ!!」
その銃弾を全て躱し切った。
「――なっ!?」
一体何が起こったのか。鴉には、真正面から突っ込んできた創伍が姿を消したように見えたが、その手段は実にシンプルであった。
まず織芽を突き飛ばした直後、散弾銃から逃れようと真横へ飛び退いて躱すことは出来たろう。しかし何処へ飛び移っても、着地した先々に罠が伏せられている可能性が非常に高い。
ではこの圧倒的不利な状況における一番の安全地帯は何処か――そう考えた時、閃いたのだ。
罠を仕掛けた張本人が立っている場所――相手の裏をかく為に、自分の真下に罠を仕掛ける馬鹿は居ない。鴉が立つ場所こそ安全地帯であると、彼の足元目掛けて正面から飛び込むことで射程範囲から外れることが出来た。
「――この……! ッ……!?」
大胆な悪足掻きに驚いた鴉は、今一度銃を創伍に向けるが……それも無理であった。
「弾切れだと……!」
何故なら彼の手にある散弾銃は二連式。織芽が来る前に放っていた一発と、たった今放った二発目で弾切れとなっていたのだ。
「うぉぉぉぉぉっ――!!!!」
この土壇場でその事にも気付いた創伍の直感的行動に、鴉は弾の装填が遅れて対処し切れず、迫ってきた彼の右手が放つ拳打を顎で受けるしかなかった。
「ふぐっ……?!」
一点に打ち込まれたアッパーカット。その渾身の力に耐えられず、頭からひっくり返って地面に倒れる鴉。
使える手段を惜しまず行使して創伍を追い詰めたものの、二度も不覚を取る結果となった。
「う……あ……!」
「はぁ……! はぁ……!!」
膝を突いて座り込み、肩で息をしながら自分がまだ生きていることを確認する創伍。アクシデントのお陰でもあったが、死に物狂いで血路を開くことが出来たのだ。
「ソウちゃんっ! 大丈夫!?」
鍛えてるために身体は丈夫なのだろう。織芽は突き飛ばされたことも忘れ、重傷の創伍へと駆け寄る。
「はぁ……は……何とかな」
「馬鹿っ! 怪我してるのに、なんて無茶してんのよ! 待ってて……今、止血するから……!」
すぐさま薄い上着を脱ぎ、包帯代わりに創伍の左腕にキツく巻き付ける。応急処置としてはこれが今出来る事の最大限であった。
「織芽……ごめん……」
「どうして謝んのよ……ソウちゃんは間違った事はしてないじゃない。そりゃどうしようもないお人好しだなとは思ったけどさ」
突き飛ばしたのもそうだが、彼女をこの事態に巻き込んでしまった事を含めて創伍は詫びていた。
(結局は間違ってたんだよ……。こんな風には、なりたくなかったのに……!)
これは彼の意思が招いたもの。守る為の行動がかえって逆効果を齎し、一番関わらせたくなかった幼馴染の運命を変えたのだ。
その罪悪感が、己の不幸体質と道化師の性を呪わせる……。
「それにしてもこの人、どうして急にソウちゃんを襲ってきたの……? さっき会った時とはまるで人が変わったような……」
「……何でもないよ」
「え??」
「何でもない……お前には関係無いって言ったろ……」
「か、関係無くはないでしょ! 私だってさっき居合わせたんだから、後でちゃんと順を追って説明してもらうからねっ!」
「……いいから早く此処を出よう。鴉もいつ目を覚ますか分かんねぇんだ……」
「あっ、ソウちゃん一人で歩くのは危ないって! ほら、肩貸したげるから……」
倒れている鴉は、殴られて一時的に伸びているだけだ。生き死にを賭けた闘いなら、これ以上の追撃を防ぐべくトドメを刺さねばならない。まして優しい性格の創伍においては尚更である。
しかしモール内は黒煙が充満しかけており、このまま残っては呼吸困難になりかねず、織芽も道連れにしてしまうだろう。
今は織芽の安全を最優先に脱出を――
「逃がすかよ……!」
その矢先だ。鴉の絞るような声を合図に、モール内の四方八方から響く轟音が、地を揺らす程の衝撃を引き連れて二人の下へと迫り来る。
「――なっ、お前っ!?」
振り向けば、倒れる鴉の手に真火飛鴉の起爆リモコンが握られていた。仰向けのままほくそ笑む彼はどうやらヤキが回ったのか、三度目のボタンを押して参の型を発動させたのだ。
これまでのとは桁違いの威力だと、体全体で感じ取れた創伍は、織芽の腕を引っ張って一心不乱に走り出そうとしたが……間に合わなかった。亀裂は柱から壁へ、そして三人の居る床へと一気に伝わり、崩れ落ちたのだ。
ふわりと浮かぶような感覚に足を掬われ、二人三脚状態であった創伍達は成す術なく落ちてしまう。
「ああぁっ……ソウちゃんっ!!」
「うわああぁぁぁっ!!」
創伍の前から光差す出口が遠退いていく……。手を伸ばすその先には、戻りたかった日常の光景はもう無いかもしれないだろう。しかし、これより落ち行く場所よりは遥かに希望が残っているはずだ。
それで十分良かったのに、道化師の運命はその希望にすら縋らせてはくれない。生来の不幸ゆえに……遂には織芽をも巻き添えにし、創伍をより過酷な道へと叩き落とすのだ。
絶望に満ちた深い闇の中へと沈んでいく中、今度こそ全てを失うような気がしてならなかった。
* * *
モール内 地下フロア
地上階より被害の少ない地下のショッピングフロアは、買い物客が楽しんでいた景色を残したまま無人の大広間となっていた。
爆発の弊害で発電設備が故障したのか、非常口誘導灯だけが唯一、静かな暗闇を微かに照らしている。
「う……あ……」
抜けた床穴から落下した創伍は、衝撃で意識と視界が定まらないまま重い身体を起こす。
天井を見上げると、二人が落ちてきた地上階の床穴から倒壊した瓦礫が顔を覗かせていた。ギリギリのところでまだ支えられているのだが、これ以上爆破が起きて更に上の階が崩れたりすれば、結局埋もれ死ぬという同じ末路を辿ってしまう。
「九死に……一生か……」
鴉はどうなったか分からないが、生きているのなら諦めてもいないはず。どちらにしても此処が地獄であることに変わりはない。
ひとまず織芽を連れて抜け出すべく、負傷していない右手で彼女を手探りで探す。
「織、芽ぇ……」
すると柔らかな髪が手に触れる。そして頬、首から肩へと触れていき、隣で彼女が横たわっているのがすぐ分かった。
「……織……芽。起きろっ……早く此処から出るぞ」
「………………」
「……織芽……?」
安堵したのも束の間……肩を揺らして起こそうとするも声がしない。まるで人形の様に動かなくなっていた。
「おい……冗談やってる時じゃないぞ……。さっきまでの鴉に動じなかった元気はどうしたんだよ……織芽……!」
緑に照らす誘導灯を頼りに、動かぬ織芽の様子を確かめようと肩を掴んで抱き起こすと……
「……?」
彼女の肩を支えていた右手に、ぬるりとした感触が伝わる。違和感を覚えた創伍は掌を自分の目の前へと持ってくる……。
見えたのは――血だ。
「は……はぁっ……! 織芽……! 織芽っ!!」
掌一面にべったりとした赤い血が、暗闇の中でもはっきりと分かるくらいに創伍の手を赤く染めていたのだ。
「おい……織芽、しっかりしろよ!! いつも部活で怪我しても平気な顔してたじゃねーかっ!! 俺なんかを助ける為に……どうして……!」
どうやら落下した際、織芽は瓦礫の角に頭を打ってしまったようで、小さく呼吸はしているのだが、目を閉じたまま身体は動かず、頭頂からの流血は止まらない。早く治療しなけれな手遅れになるだろう……。
「クソッ……! どうしてこんな事になっちまうんだよ……! 俺がついてきたばっかりにぃ……!!」
家を出る前の自分自身を殺してしまいたいと思う程に己を責める。
アイナの忠告を聞き入れ、心を鬼にしてでも織芽を突き放していれば回避出来たであろう悲劇。この地下階へ落ちる前に感じた不吉な予感が、まさしく現実のものになろうとしていたのだ。
瀕死の二人を、忍び寄る黒煙、崩れかけの瓦礫、そして鴉の魔手が包囲している。
助けを待とうにも、最早手の打ちようが無かった。
しかし……それでも……
「織芽、しっかりしろ……すぐに出してやるからな……!」
創伍は希望を捨てていなかった。このまま己を責め続けたままでは織芽は助からない。こうなった以上、運命に抗えるだけ抗ってやる。命に替えても織芽を救い出してやる――と意地になったのだ。
もう織芽以外に何も見えていなかったが、創伍は残された力を振り絞り、片手だけで彼女の腕を引き摺りながら非常口を目指していく。
腕の銃創からどれだけ血が溢れ出ようと創伍は歩みを止めなかった。生への執念だけに突き動かされながら、絶望という名の闇からの出口を求める。
「――おいおい、さっき言ったばかりだろ。『逃がすかよ』……ってな」
折角拾いかけた生も、あっけなく摘み取られる事になる。
非常口までもうあと二、三歩というところだった。一番耳にしたくない男の声が聞こえたのだ。
次に銃声。右太腿の側面に鋭い痛みが走り、創伍は嫌でも前のめりに倒れてしまう。
「っあ……づっ……があああああああぁぁぁ……!!」
「っらぁ、もいっぺん殴ってみろよ? その脚でまともに立てればの話だけどな……」
現れたのは言うまでもなく――斬羽鴉だった。 最初に創伍の不意を突いた際に使った拳銃で、彼の脚を撃ち抜いたのだ。
「間も無く此処は完全に崩れ落ちる……原型も留めずにな。俺は生き残れる自信があるが、お前はもう埋もれ死ぬか、俺に殺されるしか選択肢はなくなったワケだ」
「うぅぅぅ……!!」
二人を道連れにした張本人である鴉は、煤と砂埃を被っており服はボロボロであったが、創伍から受けた殴打で口から血を流している以外に、傷らしい傷は負っていない。創伍達とは違ってまだ十分に動き回れる状態であった。
「その女には随分スケジュールを狂わされちまったがな……まぁでも、お前を殺せば全て良しだ。三度目の起爆でこの状況まで持ってくのは、俺の中じゃニブイチの賭けだったがよ、ゲームの醍醐味にしちゃなかなかスパイスが効いてたぜ」
「ふっ……! ぐ……ううううぅぅぅ……!!」
「この勝負……俺の勝ち――だな。せめてもの情けに、二人仲良くあの世に送ってやるよ」
いくら死に物狂いになろうと、片腕だけならともかく、片足も撃ち抜かれては歩くどころか立つことももう不可能であった。
逆転など有り得ない。勝利を確信した鴉は、今度こそしくじるまいと拳銃の弾を再装填し、創伍の頭部に狙いを定める。
それでも創伍は……
「お……織芽……」
鴉に拳銃を向けられようと、織芽を守ることを諦めてはいなかった。歯を食いしばりながら這いつくばり、倒れる彼女の身体に覆い被さる……。
「何のつもりだ? お前」
銃弾から守るために、自分の背中を盾にしているのだ……。
「……へぇ、最期はヒーローっぽく死にたいってか?」
「…………」
織芽を庇いながら、鴉を強く睨みつける創伍。その瞳から生気は失っていない。まだ絶望していないのだ。命が尽きる時まで、抗い続けようとしているのだ。
「ま、いいでしょ。タダの腑抜けを殺すよりかはマシだ。お前、多分今まで見た中で一番カッコいいぜ?」
「……………!!」
頭痛でのたうち回っていた時とは180度違う創伍の表情に、敵ながら天晴と言わんばかりの皮肉を放つ鴉。彼からすればこの闘いは、己の人生を切り開く為の運命の岐路でもあるため、闘いに勝つのであれば華を添えたかったのだ。
これで創伍を殺す事に意味が出るというもの……鴉は満足そうに微笑みながら、拳銃の引き金を改めて引こうとする。
「っ…………!!」
希望は鴉に撃ち落され、遂には創伍の命にも幕を下ろされることになる。
それでも……創伍はまだ諦めていなかった。目を背ければ、全ての希望を捨て、勝負を降りたことと同じになる。
悪く言えば神頼みかもしれないが、今際の際にある言葉を思い出したのだ。
『待ち続ケロ……どんダケ、絶望シテモ……希望ハきっと……イヤ、必ずあル……』
夢で思い出したいつかの記憶。あれは結局誰だったのかは分からず終いだが、どんなに不幸に見舞われようと、命を投げ捨てるなというこの言葉が、創伍を僅かに奮い立たせた。
最後までこの不幸に、そして道化師の運命に抗ってみせるという矜持を貫かせたのだ。
「じゃあな……真城創伍」
そんな紙の厚さもない矜持を撃ち抜く弾丸が放たれようとした――その時だ。
ズガガガガガガガァッ――!!
空間が揺れ、爆音が耳を劈く。拳銃にしてはあまりに派手な威力と思えたが、そうではなかった。
凄まじい光が亀裂の隙間から、二人の背後へと差し込む。そして天井を瓦礫ごと粉々に破壊したのだ。
「何……っ!?」
背後の攻撃かと錯覚した鴉は発砲を止めた。振り向けば、天井は完全に抜けてしまっており、モールの地上と地下が一つの空間となっている。
その巨大な空間に、煌々と輝く光が宙に浮かんでいたのだ。
先程まで地下階の闇を照らしていた緑の誘導灯が優しいと形容出来るくらいに、その光は強くて眩しく、目を遮りたくなる程。
そして……ただひたすらに赤い。それよりも強い言い方をするのなら、深紅。
血を表現しているような、恐怖さえも感じてしまう赤い光だ。
「……アレ……は……!」
「おいおい……マジかよ」
創伍にとって、希望の光とは実に言い難い。
創伍も鴉もその光を知らぬ筈はない。見覚えがあるどころか、この瞬間においては双方、絶対に目にしたくはなかった絶望を象徴する光と言える。
「――これはテメェから振った仕事だぞ。なのに途中で割り込むとは一体どういう了見だ」
その光の正体は……
「フッフフフフフ!! 喜べよカラス! 加勢しに来てやったんだぜぇ、この俺様がなぁ……!」
……天翔ける赤光の朱雷電。創伍と死闘を繰り広げ、戦線を離れたはずの闇雄が、鴉の加勢に現れ、創伍の一縷の望みさえも刈り取ろうと突如乱入してきたのだ。
* * *




