第28話「絶望の淵」1/2
「お前……! 人混みに紛れた闇討ちは性に合わないんじゃなかったのか……!? 無関係な人達まで巻き込みやがって……!うぁぁ……」
腕の銃創を必死に抑え、止めどない流血と激痛にのたうつ創伍。
一撃で仕留め損ねたものの、彼の動きを封じた斬羽鴉は、満足そうな顔で見下しつつ嘲るのであった。
「ハハハハッ! 随分と都合の良い解釈してんのなぁ。俺が騎士道精神よろしく、正面から勝負を申し出る柄かよ。闇討ちを好まないのは暗殺稼業において――とあの時言った筈だぜ」
「何ぃ……!?」
「あの時は道化の実力を調べ、あわよくば殺すまでが仕事の内だった。だが……今回は完全なプライベート。本気でやるなら戦術は大きく変わる」
殺すだけならナイフで事足りる。そうしないのは……これが彼なりの真剣勝負だからだ。
「その戦術とは言うなりゃ――『ゲーム』だ。不意を突くだけの攻撃一辺倒じゃあ面白味に欠け、不測の事態が起きては守備が脆くなる。だから醍醐味と言える駆け引きを求めて、此処を舞台に専用のシナリオやシチュエーションを1からセッティングした。そして俺は自分への枷として、お前にこの最悪のシナリオを回避できるチャンスも用意していたんだ。ご都合主義の道化様の能力と比べたら、どっちが真っ当だよ」
「チャンス……!?」
そんなチャンスなんて何処にあった――創伍は冷静に思い返そうとするが、あらゆる場面に疑問符が付いてしまうほど鴉の行動は不可解極まっており、答えに至れない。
人間の姿を装ってまで創伍達に接触してきた鴉は、モール内で奇襲を仕掛ける隙はいくらでもあったはず。それなのに創伍に直接手を出さないどころか、モール内で敢えて火災を起こし、創伍のみが中へ戻ってくると見越して、気絶したフリをしてまでずっと待っていたのだ。
不意を突くためとはいえ、創伍が来なかった場合を考慮しなかったのか? こんな無茶苦茶な戦術に、チャンスの在処を把握しろという方が無茶な話である。
「よーく思い出せよ。俺が言った台詞を……」
せめてもの情けか、鴉は創伍にヒントを与える。
「台詞…………あぁっ――」
記憶を、人間態だった鴉との会話に絞り込む創伍。
すると彼の発した言葉の中で、それらしいものがいくつか甦った。
『こんな物騒なご時世ですから、大切な人はしっかり気遣ってくださいね――』
『キミには大切な人が居るだろ……。こんな俺なんかよりも、彼女の傍に居てやるんだ――』
大切な人を気遣え――この場で当てはまるのは織芽だ。彼女の傍に居てやることが、この状況を回避出来たチャンスであったというのだ。
確かにウェイターの事など意識の外にやり、織芽と行動をしていればこんな致命傷は受けなかった。
一度は聞き入れかけたものの、結果は彼の思惑通りとなった。目を大きく見開いた創伍に、鴉は頬を緩ませ勝利を確信する。
「……やっと気付いたか。俺の挑戦はあの日の宣誓から始まってたんだよ。連れの娘をカラス共に監視させてこのモールへ誘き寄せるきっかけを作り、カフェのアルバイトとして潜入してお前に近付いたって訳だ。この瞬間の為にな!」
全ては、鴉の緻密な計算によって仕組まれていたものだ。
まずは仲間のカラスを介して、カラス避けを買おうとする織芽をきっかけに創伍をモールへ誘導する。そして自分はその場に居合わせたウェイターとして接近し、強い印象を抱かせることで守られる側という第三者の立場を勝ち取れる。その後自分に代わってカラスに襲撃をさせることで、創伍はカラクリ武器を得意とする斬羽鴉の仕業と思い込み、本来の姿を脳裏に浮かべて警戒するだろう。まさかウェイターがその本人であるとは考えもしまい。
更には避難時に店長とわざと逸れてモール内に居残ったのも、店長が人を管理する立場上、アルバイトが消えてしまっては必ずパニックを起こすと読んだのだ。それを気に掛けたお人好しの創伍が聞けば、もう何も疑うことなく自分を助けようと舞い戻ってくる……。
鴉を追い続ける創伍に絶対的な隙が露わになった瞬間だ。即死を狙うまでは賭けだとしても、致命傷を与え優勢に立てたことは間違いない。
「……何が狙いだ」
「んん?」
それでも創伍は腑に落ちなかった。
「俺の実力なんか確かめて、すぐに殺しもしない。それで勝負を挑んできたと思えば、こんなまどろっこしい事……目的も無しにやる程、気分屋なお前じゃないだろ……!」
創伍を殺すことが英雄への条件であると嘗て鴉は言った。しかし今、すぐに手を下さないことには別の理由がないと合点がいかない。
「それとも俺が此処へ来なかったら、大人しく諦めたりでもしたか……!」
「……しなかったろうぜ。そん時はそん時で、また新しいゲームとルールを考えてた。初めて闘ったあの日の屈辱以来、俺は試合に勝ったお前を勝負で負かして、証明してやりたかっただけさ」
鴉の戦術はただゲームを仕掛けて謀るのではない。全ては創伍を負かした先……ルールを設けて勝った勝負の果てに意味があったのだ。
それは……
「……朱雷電に敗れ、パンダンプティにも敗れ、挙げ句の果てには一度勝った俺にも敗れている……。今の自分を見つめてみろよ。お前、相棒の道化師もW.Eの連中も居なけりゃ何も出来ず、ただ周りを危険に巻き込むだけの――疫病神じゃねぇか」
「…………!!」
疫病神……英雄でも道化でもない。ただ居るだけで災いを齎す忌まわしい存在。本部でも守凱から忌々しく言われた言葉が、重くのしかかる。
だが経緯はどうあれ事実としてそう捉えられるのだ。真坂部らを巻き込んだのも、織芽や、このモール内に居た人々も……自分が居なければ、アイナの言いつけ通りにしていればと思うと、この事実を拒むことは出来ない。
「ふざけんな……! だったらお前だって、こんな騙し討ちしなきゃ闘えない卑怯者じゃねぇか!!」
「あぁ、正々堂々と卑怯執行させてもらったぜ? これが今日までに身につけた俺の型って奴だ。だが今更俺の設定を知ってケチつけたところで、外の連中を巻き込んだ元凶は俺でもあり、お前でもあることに変わりはねぇ」
「ぐ……っ!」
駆け引きのある勝負事では、等しく与えられたチャンスを見逃したと気付いた時に敗者の悔しさは増すというもの。鴉は創伍の英雄としての器をはかるべく大掛かりな舞台を用意をし、それに相応しくない人間と思い知らせる――その為だけにハンデを背負って証明し、敗北というものの味を教えたかったのだ。
「さぁて……種明かしもしたことだし、そろそろお前との因縁にもケリをつけようか。テメェ自身の実力と器の無さを思い知らされた果てに死ぬ――その最期にどこまで足掻けるか、見せてもらうぜ!」
鴉は嘴を握った手で仕舞い込むとまた人間に擬態し、創伍との闘いを再開させる。
「真火飛鴉――二ノ型っ!!」
打ちひしがれる者へ一切の容赦はない。鴉は懐から片手サイズの小さなリモコンのような物を取り出すと、余った親指で躊躇なくボタンらしき箇所を押す――
ズダアァッ――!!!!
モール内が大きく揺れ、四方八方から爆音が轟く。直後に壁や天井、柱が亀裂が生じ、軋み始めたのだ。
まるで戦争で使うミサイル並の威力に、創伍は立つのもままならなかった。
「――これはっ!?」
「さっきの飛行機に仕掛けたリモート爆弾みたいな奴だ。これからそいつらをこのボタンで順次爆破していく。いずれこのモールは崩れ落ち、勝った方が生きてここを出られる。人間共に変なとこ見られて困るのはW.Eだけじゃないからな。俺なりの配慮さ」
起動させたのは、暗殺界では殺傷能力の高い流通品の一つとされている『凍結された擲弾』――敵の撹乱と要人暗殺の同時進行を目的に、コンパクト且つそのままの威力で持ち運ぶために創られた超軽量のリモート式の小型爆弾だ。最大の特徴は火に飲まれても誘爆しない耐火性能で、操作で起爆されない限り、不慮の連鎖爆発が起こることはない。
鴉はそれらを改造し、先の飛行機の羽根の裏側にそれらを仕込み、リモコンのスイッチを押すごとに最初は花火程度の火力、続いて小規模、中規模、大規模な爆炎を巻き起こす段階式に変えたのだ。
「っ……! クソ……!!」
だが創伍もやられっ放しにはいかない。床に散らばったカフェの食器やナイフを飛び道具代わりに投げ、鴉の手中にあるリモコンを撃ち落とそうとした。
「あめーよ、バカ」
「っ!?」
しかし……鴉が再びボタンを押すと、カフェの方へと墜落していた飛行機の爆弾が起爆。二人を隔てるように吹き飛んできた瓦礫と爆風が鴉の盾代わりとなり、惜しくも創伍の攻撃は防がれてしまったのだ。
「やめろっ! このまま闘っていたら、下手すりゃお前も埋もれ死ぬかもしれないんだぞ!!」
「生憎お前と仲良く心中する程無計画じゃねぇよ。だが俺に殺られる前に、下敷きになってくたばるなんて無様な死に方はやめてくれよな」
創伍はどこに飛行機が墜落したかは覚えてない。だが作った張本人の鴉は、それらが落ちた場所と、何回目に押したものが何処で爆発するのか、爆発した箇所ごとの危険な立ち位置なども把握しているのだ。
「せいぜい気を付けるこった。次はどこが崩れて何が落ちてくるか、俺は責任持てねぇぜっ!!」
次に鴉が取り出したのは、ソードオフショットガン――腰に携えた片手二連式の散弾銃には既に弾がコッキングされており、ガンマンの早撃ちが如く創伍を狙う。
「はっ……!」
息吐く間もなく、反射的に真横へ跳んで躱す創伍。
しかし弾が当たり損ねたというのに……鴉はしてやったりとまた笑っている。
その違和感に、創伍の勘が働いた。
(コイツ……爆弾がある方へと俺を誘導して――)
散弾銃とは名前の通り獲物を仕留めるよりも、弾を散らせて面と点を撃ち抜くための武器。正確に狙わなくても射程範囲から逃れようとした創伍を、爆弾が落ちている場所へ誘い込むための手法に過ぎない。
着地した所にあった瓦礫の山の下には飛行機が埋もれており、鴉はもう片方の手でリモコンを押して、その後続を起爆させた。
「――うわぁぁっ!!」
すぐさま瓦礫から離れようと駆け出す創伍だが、背中から一気に爆発の衝撃が襲い、吹き飛ばされ転げ回る。
幸い爆炎に飲まれなかったが、床に突っ伏した身体を起こすと……
「これでまた振り出しに戻ったな……」
闘う前と同じように、這いつくばる創伍を鴉が立ちはだかり見下ろしていた。
そして持っていたショットガンの銃口を向け、引き金に指をかけている。
創伍の生殺与奪を完全に握っていた。
「これ以上何をしても……お前の計算の内ってことかよ……!」
「ったりめーだ。お人好しのお前を信用して最初から作ったシナリオなんだからな。失敗はねぇと踏んでたよ」
(お人好しの、俺を……!?)
その時、創伍に悪寒が走る。
このモール内は鴉の罠が張り巡らされた狩場――言うなれば独壇場だ。天井や装飾品の一部が真横や背後に落ちようと鴉は避けもしない程に余裕でいる。
それなら罠だけには留まらない。とうに自分の心理を全て見抜き、どんな方法で抗おうとしても鴉は手を回している……きっと彼の掌の上で踊らされることになるだろう――と。
「はぁっ……はぁっ……!」
「もう手詰まりか? まだお披露目してない新発明の武器が残ってるってのによ~。つまんねーの」
しかし……もしそうなら一つの疑問が生まれる。
確かにこの状況は創伍の甘さが招いた。しかし創伍が持つ優しさ、お人好しな面を知っているだけで、ここまで鴉が人の行動を予測できるものだろうか。
多種多様に存在する人間の、まして他人の情報を聞いて、その人の心理を読み取ることさえ難しいというのに……。
(どうして……俺を信用できるんだ……)
創伍にとって自分という人間をよく知り、心の距離を取れるのはシロやクロが一番身近な人物である。だが斬羽鴉と創伍は、破片者との闘いにおいて何度か顔を会わせたくらいの赤の他人だ。
それが身内……はたまた親友だったのであればともかく……面識の少ないはずの鴉が、ここまで創伍を信用して大掛かりな準備が出来るのだろうか?
本当に鴉は、自分とは無関係な存在なのか――死の間際に見る走馬灯のごとく記憶を掘り起こそうとすると……
「……っ! うぁ……がっ、あああああぁぁぁっ!!」
「あぁ……!?」
なんとこの最悪な事態に、凄まじい頭痛が走り出してきた。破片者を取り込んでもいないのに、片手で頭を押さえながらその場に倒れ込み蹲ってしまったのだ。
突如起きた創伍の異変に、鴉も眉を顰める。
「オイオイ、なんだこんな時にヒステリック起こしやがって。そんなに現実を受け入れられねぇかよ」
「あぁぁぁぁぁぁ……! うわああああああぁぁっ!!!!」
「おい……お前、まさか……」
今、創伍の視界はチカチカと点滅しつつ意識が朦朧していく一方で、脳裏ではフラッシュバックが起きていた。
これまで取り戻した六つの記憶の欠片――誰かが記憶の中で自分を呼んでいるようなノイズが徐々に大きくなっていき、何かを思い出させようと創伍の脳内をガンガンと響かせているのだ。
W.Eもシロもクロも居ない絶望の底で、自分自身の記憶の追い打ちに創伍は半ば自我を失いつつあった。
「チッ、最後の最後にシラけさせやがって……。テメェ、あまりの悔しさで絶望通り越して憤死するつもりか?」
その苦悶が伝わらない鴉は、もっと創伍を苦しめようとした楽しみを取り上げられたかのようで肩を大きく落とす。
「はぁ……どうせパンダンプティから記憶を取り戻してない限り、何も思い出さないんだ。せめてもの情けはかけてやる……」
頭を掻きながら溜息を吐き、どこか名残惜しそうにも見える鴉。だが、引き金に掛けた指を数ミリ引いて、創伍の頭上に弾丸を撃ち込めば本来の目的はこれで達せられるのだ。
「こんな形で……英雄になるたぁな……」
不満げに小声を漏らしつつ、全てを終わらそうとした……その矢先――
「――ソウちゃんっ!!」
舞い上がる黒煙の中から声が響き、引き金を引く鴉の指が止まる。
もうじきこのモールは崩落するというのに、みすみす命を捨てるつもりかと言わんばかりに、この場に相応しくない招かれざる者が飛び込んできた。
「ソウちゃんっ! 大丈夫!? どうしてこんな血だらけになっているの!?」
上着で頭を、ハンカチで口を覆いながら、帰りが遅い幼馴染を追って……織芽がやってきたのだ。
「やれやれ邪魔が入りやがった……こいつぁ、ちょっと予定外だな」
「あぐう……! う……あ……」
「ソウちゃんっ! しっかりしてっ! 早くここから抜け出そう! 救急隊の人がすぐそこまで来ているからぁっ……!!」
肩からの流血で真っ赤に染まり、激しい頭痛でのたうち回る創伍を抱きかかえる織芽。銃を向けて立っている鴉になど目もくれず、必死に創伍の意識を確認しようと叫び続けていた。
「あ…………? だ、れ……」
頭痛に苛まれていた創伍は、夢か現実か分からないままノイズ混じりに自分を呼ぶ声を手探りで探す。
まもなくして織芽の頬に手が触れると……
「ソウちゃん……!!」
「…………お…………」
指先が温かな体温と湿り気を感じ取る。自分を呼ぶ声が聞き覚えのある幼馴染のものであると思い出し、意識が現実に引き戻された。
「……織……芽……?」
「ソウちゃん……!!」
さっきまでの頭痛は、嘘だったかのようにピタリと止んでいる。意識が戻って真っ先に見えたのは、自分を抱きかかえながら泣きじゃくる織芽の顔だ。
夢でないと再認識した創伍であったが……今の状況に安堵出来るはずもなく、全身から血の気が引くのを感じた。
「あ……!!」
今、絶体絶命の創伍の下へ救いの手は来た。
しかし……その窮地に飛び込んできたのが、最も巻き込みたくなかった自分の日常の象徴ともいえる織芽だと気付いた時、幼馴染を異品との闘いに巻き込んでしまった創伍の絶望は、より一層強さを増すのであった。
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