第22話「黒の道化師」
創伍は頬を抓っていた。隣のベッドではシロが寝ているというのに、シロがもう一人――髪と羽衣、服が黒い以外は全てシロそっくりな少女が現れ、まだ夢を見ているのかと錯覚しそうになる。
「えぇと、シロ……じゃないよな?」
頬は……やはり痛い。夢でないということは、これはシロの悪戯か、或いはシロの姉妹か、遠い親戚か、知り合いなのか……しかしどうやって此処にやって来れたのかなど、疑問は溢れるばかり。
ただ黒髪の少女は、そんな創伍の問いに聞く耳など持っておらず、創伍を一目見た瞬間、いきなり抱きついてきたのだ。
「創伍……本当に創伍なんだね!!」
「のわっ?!」
「あぁこの温もりと……この匂い……やっぱりボクの知ってる通りの創伍だっ!」
華奢な体の割には力強い。その喜ぶ様は、まるで幼い頃に生き別れ、幾年もの時を経てようやく奇跡の再会を果たしたかのようだった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ! キミは一体シロの何なんだ!?」
だがこんな黒いシロは見たことがない――創伍は冷静に状況把握すべく、少女の肩を掴んで問いただすのであった。
「……シロ?」
「あぁ……ごめん。後ろにいる女の子だよ。キミは彼女の知り合いなのか?」
しかし、のっけからシロと聞いた少女の反応は悪かった。実際にベッドで寝ているシロを目にした途端……少女は眉を顰め、態度を一変させたのだ。
「あぁ……そいつは『シロ』って名乗ってるんだね。だったらボクのことは、さしずめ――『クロ』って呼んでもらって構わないよ」
「……はぇ??」
「たしかにボクとシロには、知り合いという垣根を越えた繋がりがある。でもボクらは――もともと一つの存在で、その内今日まで創伍を支えていたのはボクの力によるものなんだ。だから双子だとか、血を分けた姉妹だなんて言い方はして欲しくないな。そいつはただの出来損ないで、ボクこそが創伍に仕えるのに相応しい道化なんだよ」
「……??」
クロと名乗る少女の狂言じみた言葉に、寝起きで頭が回らない創伍は首を傾げるしかなかった。
「フフ……早い話が、ボクはシロの中の黒い部分――創伍が求めるものを捧げるだけの存在さ――」
「――っ」
戸惑う創伍に、いきなりの奇襲。クロと名乗る少女は、ベッドから起き上がると、小さな両腕を創伍の首に回し、強引に自分の方へ引き寄せ……
唇を重ねてきたのだ――
「むっ……!?」
「ん……」
予想外の出来事に全身が硬直し、慌てふためく創伍。これまで異性とキスをした経験や記憶さえ持ち合わせていない彼にとって、このクロの大胆な行為に何の意図があるのか、どう対処すればいいのかなどは無知に等しい。
そして怯む創伍に漬け入るクロの接吻は、唇だけでは終わらなかった。重ねた唇の間に舌を忍ばせ、彼の舌や頬肉へ唾液混じりに絡み付く。生温かい柔らかな舌は、情欲を掻き立てるように淫らな音を立て、とても幼い生娘に出来る舌使いとは言い難い。
「うっ……お……おぉ、おぉい! やめろって!!」
「っぷは……」
脳が痺れ、理性が崩れていくのを感じた創伍は力ずくでクロを引き剥がす。
だが糸を引きながら口を離したクロは、怒りもせず泣きもせず、唾液で濡れた唇を舌で舐め取り、不敵な笑みを漏らしたのだ。
「初々しい反応だね。もしかして初めて――だったかい?」
「お前っ……!」
「クスクス♪ そんな怒らないでも、ボクはもう創伍の物なんだ――この身も……心もね。だからキスだって、創伍が望むものは何度だってしてあげる。むしろ……それより先のこともね……」
見た目だけではなかった。シロの献身的な性格とは真逆に、クロのそれは、忠誠心を通り越した創伍への心酔そのものである。
しかし何故こんな少女が自分の眼前に現れたのかという起因は、未だに分からないままだ。
「まぁ……そういうお楽しみはお日様が登ったばかりの朝には早すぎるね。じゃあ話を戻すけれど、ボクがここに居るのは創伍の渇望が、ボクと契約を結ぶのに十分な位階に達したからこそさ。今までキミを見守ることしか出来なかったボクが、こうしてキミの目の前に居ることこそ、二人の契約の証と言っても過言じゃない」
「契約って……おいちょっと待て。俺がいつキミとそんな契約交わしたんだ」
「……ボクの唇まで奪っておいて、今更契約破棄するつもり?」
「その言い方やめろ。つうか俺は奪ったより奪われた側だぞ!?」
「冗談。交わしたのは今日の深夜——創伍の寝込みを襲ったんだ」
まさかのタイミングに耳を疑った創伍。胸に手を当てて思い出そうにも、ほぼ気絶に等しい状態で寝ていたため、案の定だ。
「覚えてないのも無理ないよ。朱雷電との闘いがあまりに見ていられなかったから、ボクがきっかけを与えたことで、創伍は生涯で溜めに溜めていた渇望を自力で発現させることに成功したんだ」
「俺の渇望……?」
「全て滅べ――創伍が内に秘めている本当の願い――」
「なっ……!!」
自分が過去に願ったという、スケッチブックに殴り書かれた世界の終わりの絵がフラッシュバックされる。あの日シロに聞かされた己の本質を、今度はクロによって蒸し返されるのだ。
「そのきっかけは至って単純――『殺意』だよ。今日までキミに欠落していた、他人に抱いたこともなかったその感情を与えただけで、ボクの期待通りに殺意を『異能』に変えて暴走してくれた。それも意識を失うほどにね。その後は心の奥底で、餓えた獣の如く力を求め続けるキミに、ボクが応えてあげたって訳。でも……もしもあの時、守凱という男の邪魔立てさえなければ、創伍は朱雷電に勝つどころか、最後の一人になるまで全ての命を根絶やしにし、望みを成就できたかもしれないね」
「違うっ! 俺は誰かを殺したいだなんて……!」
「望んだよっ――だからボクが居るんじゃないか! でもボクは嬉しかった。どんなに時間が流れても、創伍の本能は自らの意思とは無関係に望み続けていたんだ! 力を! 破壊を! 殺戮を!! 今日まで破片者の命を吸い取る掃除機代わりの様にしか使われていなかったボクだけど、シロのような甘い戦い方じゃ、朱雷電に勝てないことは十分に理解したでしょ? だからこそ創伍の願いを叶えてあげられるのは、ボクしかいないんだ!」
「——やめろおおぉっ!!」
「………………」
前向きな意味で忘れようとしていた過去をまたも思い出し、蘇る頭痛を恐れて堪らず絶叫する創伍。これ以上はクロも、口を閉じるしかなかった。
肩で息をする創伍は、過激なクロの発言から話を整理し、ようやく自分から口を開く。
「するとキミは……俺に力をくれたシロとは別の、もう一人の道化師……。この左手の持ち主ってところか……!?」
今朝アイナ達から聞かせられた話で思い出した。自分が左手の未知なる駆使し、朱雷電と死闘を繰り広げたことを――そして守凱に気絶させられた後、心の中で力を欲し続けていたことでクロに見初められたというのが、創伍の推測だ。
「そういうことさ。非科学的に言うなら、ボクはシロのもう一つの人格——創伍の渇望によって顕現した『殺戮の道化師』への導き手……」
「きらー……くらうん……?」
「さぁ創伍、今日からはボクを存分に酷使して。どうやらキミの預言書通り、また新たな悲劇が起きようとしている。ボクはキミの為に新たな力を授けてあげるから……ボクが用意する舞台に、英雄として立ってほしいんだ」
創伍は息を呑んだ。シロとクロ――二人の道化師の存在により、自分自身と世界の運命がどう変わっていくのか、最早知りようがなかったからだ……。
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