第19話「初めての××」2/2
広大な裏ノ界――その最果てにまで届きそうな獣の如き咆哮がこだまする。
「ウオオオオオオオオオオオオォォ――ッ!!」
その叫びは……初めての「殺意」の突き動かされる創伍のものであった。
今日までの記憶を断片的に忘却しながら生きてきた裏側で、彼の本能が密かに孕んでいた意思の暴発……自己犠牲が強い己を殺し続け、記憶の欠損により精神的な負荷を抑えていたが、遂にそのリミッターが外れたのだ。
「殺シテヤル……! 殺シテヤルッ……!!」
「フッフフフフ……殺してやるだと? さっきまで殺す気じゃなかったなら、とんだ手加減をされたもんだ――」
「ウワアアアアアアァァァァッ――!!」
守りたいものが脅かされ、自らの非力さを思い知らされ、朱雷電への憎悪が臨界点に到達した創伍。
ただ彼を殺したいという願望に突き動かされ、大胆にも真正面から攻める。
「……!? なにっ……!」
しかし朱雷電の眼は創伍を捉えられなかった。走り出した途端に、彼の視界から創伍の姿が消えたのだ。抑え切れてない殺気だけは闘争本能が察知し、間一髪で躱したものの……
「馬鹿な……!! これは……!」
「ウウッ……! ガァッ……ヌァァアアアアアッッ!!」
「き……傷!?」
朱雷電の頬から血が滴る。すれ違いざまに創伍の爪が掠めたことによる擦過傷――創伍が初めて朱雷電に触れた瞬間であった。
「傷を……!! 人間ごときが……この俺の顔に傷をおぉぉぉぉぉああああ……!!!」
ヒバチ達ですら朱雷電に血を流させなかったというのに、たった一人の人間に……しかも素手で触られたのだ。プライドの高い朱雷電にとっては、これ以上のない屈辱であった。
「づあああああああッッッッ――!!!!」
心のどこかで微塵でも創伍を侮っていたのかもしれない。その結果、創伍を対等の地に立たせたという事実と、己の甘さに激昂する朱雷電。
「許さねぇ……!! もう一切の容赦もしねぇ!! 今すぐにでもテメェをぶち殺してやらあぁぁぁぁぁぁっ――!!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
たった一つの感情を爆発させただけで、朱雷電と同じ土俵に立った創伍。大英雄でも歯が立たなかった九闇雄に唯一勝てるかもしれない、最後の好機と言えよう。
しかし……崩壊したダムから流れる水を瞬時に堰き止められないのと同じく、一度爆発した怒りという感情は、どこかで落とし所がないことには止まらない。既に当の本人では抑えが効かず、かと言って朱雷電の命一つで収まるとも思えない様子だ。
道化と闇雄――どちらか一方が死ぬまで誰にも止められない血みどろの死闘が幕を開く……。
* * *
闇夜は更に深まり、破壊し尽くされたブルータウンの跡地で、美影乱狐と釣鐘鈴々は呆然とした顔で立ち尽くしていた。
「ら、乱狐さん。一体何が起きてこんな事になってるんですの……?」
「あたしが知るわけないじゃん。もう何が何やら……」
赤光による麻痺効果もようやく解け、全く太刀打ちできなかった朱雷電に雪辱を晴らさんと再度闘うべきところを……今の二人にそんな気力は湧いてこなかった。
何故なら今、二人の周りでは非現実的なことが次々と起きているからだ。
自分達に代わって朱雷電と闘っていたヒバチとつらら、そしてシロの三人は致命傷を負っていた。今は無事に回収して瓦礫の陰で横たわらせているが……不可思議なのは、その時の傷跡が一切見当たらないのだ。
特にシロは彼の手刀で胸を貫かれ、いつ死んでもおかしくなかったというのに、血さえ流しておらず、しっかり呼吸もしている。
アイナを除き、この場に居たメンバーで応急処置に手慣れている者はいない。まして傷口まで完治させるなど不可能だ。
では誰が? その答えを持っているであろう張本人は、今も現実から乖離したまま最前線で闘っているのだ。
「ウオオオオオオォォォォアアア――ッ!!」
「ちえぇぇぇぇぇい――っ!!」
乱狐と鈴々の視線の先――ブルータウンの上空では、創伍と朱雷電が壮絶な空中戦を繰り広げていた。
極限に高めた闘気を四肢に纏わせ、雷と同化した朱雷電は闇夜を駆ける雷雲そのもの。両腕から雷鳴が響き、赤光は空と大地に放たれる。すると上空と地中から、稲光が創伍のみを狙って襲い掛かってきたのだ。自然法則では有り得ない電撃は、彼の指差す方向に従って縦横無尽に迸る。
一呼吸の間も与えない容赦無き挟撃に、街の至る所が次々と破壊されていく中、創伍は黒い瘴気に導かれるかのように、人間を超越した俊敏さで稲妻を全て躱し切る。そして建造物を足場にしながら高らかに跳躍しては、刺し違えるくらいの勢いで一気に彼との間合いを詰め、黒の左手を撃ち込む。
「ちぃっ――!」
朱雷電は咄嗟に両腕を構えて防御したが、予想以上の威力に弾き飛ばされてしまい、数十メートル程の高さから地面へと叩きつけられた。
「――ガハッ……! てっめぇええええええああっ!!!!」
擦り傷に続き今度は打撃まで受け、頭に血がのぼった朱雷電は、電光石火の速さで迫り来る創伍と正面衝突。両腕に赤光を纏い手刀の連続突きを放つが、殺意だけに突き動かされる創伍は、まるで子供が怒りに任せて拳を振るような大胆な殴打の連発で迎え撃つ。
「グ……グイィギッ……ヅアアアアッ!!」
「しいいいいいぃぃっ――!!」
ぶつかり合う互いの一撃ごとに、地盤が砕き割れるような衝撃音が響き渡る。最早必殺技の出し合いなど戯れもいいとこ。肉体を駆使してどちらかが一撃を受けたらそれで終わりというシンプルさが、殺し合いというものを明瞭に体現していた。
……とても昨日までシロのサポートを必要としていた少年の闘い方とは言い難い。
全ての事象が創伍の成し得たものか定かではないが、次元の異なる死闘を目の当たりにしている乱狐と鈴々には傍観という選択肢しかなかった。仮に闘いの輪に割り込んでどちらかが勝てたとしても、自分達は巻き添えを喰らい無駄死にしてしまう未来しか見えないからだ。
「触らぬ神に祟りなし……と言いたいとこですが、このまま二人を撃ち合わせるのも危険ですわね。どっちが勝ってもロクな結果にならないですわ」
「でもどうすんのさ!? 創伍に勝って欲しいのが本音だけど、勝ったからといってスンと大人しくなる空気じゃないし……!」
「仕方ないですわね。こうなったら考えていた三つのプランのどれかを実行するしかありませんわ」
「この状況で三つのプラン? それってどんな……」
胸ポケットから一枚のメモ紙を取り出した鈴々は、この状況を乗り切るプランを展開する。鈴々らしからぬ用意周到さを訝しむ乱狐だったが、今は彼女のプランでも聞く価値があった――
「まずプランAは『漁夫の利』狙いですわ。あの二人が近接戦でぶつかる瞬間を狙い、直前あたりで乱狐さんを放り投げますの。二人は驚き、隙が生まれたところで私が華麗に三人まとめて討ち取ってみせますわ」
――と一瞬でも思った自分を恨み、顔面平手打ちの炸裂で一つ目を即刻却下。
「なんであたしが放り投げられるんだよ! っていうか、あたしだけでなく創伍まで殺そうとしてんじゃない!」
「アイテテテ……そりゃあ歯止めきかない奴に無意識に殺されるくらいなら、正当防衛しかないですわよ」
「とにかくあたしは身投げなんてお断り! 次にプランBってのは!?」
「これが一番効率的且つ楽ですわ。敵に寝返る――」
顔面が凹むまでグーパンを炸裂。二つ目も即刻却下した。
「この自己中の裏切鈴々っ! 自分だけ助かろうとしてんじゃないの!!」
「もう~我儘ですわねぇ!! 」
能力者として実力は高い鈴々だが、彼女が長官含めてW.Eのメンバーから恐れられているのはその性格と底意地の悪さゆえだ。常に自分が一番というのが当たり前という唯我独尊精神で、いざという時には仲間を裏切ることも平然とやってのける。
「……しゃーないですわ。あまり選びたくはなかったですが、プランCを実行するしかありませんわね」
「もういいって。どうせまた自分だけ生き残るつもりでしょ……聞くだけ無駄無駄」
「見くびらないでくださいな。さっきのプランよりはまだマシですわよ。半分博打ではありますけどね……」
「博打……うまくいけばどうなるのさ」
鈴々の考える作戦に最早期待は出来ない。しかしこのまま何もせず創伍達の暴走を止めないままというのも危険なのは事実。乱狐は鈴々のプランCの内容に耳だけ傾けるのであった。
* * *
場面は再び、創伍と朱雷電の撃ち合いに戻る。
どちらも勢いは衰えずに拮抗していたが、朱雷電だけは内心勝利を確信していた。直接急所は突けずとも、赤光を帯びたそれに創伍は素手で触れているのだ。徐々に電気エネルギーとして帯電させ、麻痺効果により手足の自由を奪えば勝てるという寸法だ。一方、創伍は殺意によるパワーとスピード増強に身を任せているだけで、とても戦術とは呼べない。ましてや彼との経験の差というのもある以上、劣勢に陥るのは必然とも言えた。
「……ッグ!」
「――取ったぁ!!」
激しい撃ち合いの末、創伍の片足が一瞬踏み外すのを朱雷電は見逃さなかった。トドメの一突きで刺した手刀は、創伍の首を頸動脈ごと貫いた。
「ブフッ……! クギイィィィィ……ッ!!」
創伍は猛獣のように彼の腕を掴んでは醜く暴れる。だが突き刺した穴は手首にまで届き、そこから噴水のように溢れる温かな血は、朱雷電の腕を伝ってどくどくと流れ落ちていく……。
「フフフフフ……年季が違うんだよ。ただパワーとスピードを上げれば俺に勝てるとでも思ったか!?」
「……ギギギギギ……!!」
「最高出力をお見舞いしてやる! 今度こそくたばりなぁ――っ!!」
「――ガァ……!!」
朱雷電の勝利を確信に至らしめる最後の一撃。ヒバチを苦しめた時以上の電流が、創伍の体内を一気に駆け巡る。
「ハハハハハハハハハ……! アーッハハハハハハハハハハハハーッ!!」
電撃に全身を震わせる創伍の断末魔は、朱雷電には最高の快感となっていた。最後の一人である英雄の叫びが枯れ、肉が朽ち果て灰燼と化した時こそ、この世界の命運も尽きるのだ。
「――ヌゥゥァアアアアアアアッ!!!」
「うっ!?」
――しかし勝利の余韻も束の間、死角から凄まじい殺気を即座に感じ取った朱雷電は、反射的に背後へ回し蹴りを放つ。
「グガガアアアアアァァッ!!」
殺気の持ち主は……創伍だ。たった今断末魔を上げていた創伍が、もう一人現れ、朱雷電の背後を取ろうとしたのだ。
苦し紛れの防御となったが、朱雷電の蹴りは創伍の拳と相打ち、衝撃の反動によって怯んだ双方は、再び距離を取って向かい合う。
(今度は何しやがった……! 現に俺の腕には、このガキが……)
いや、朱雷電の攻撃は全くの見当違いだった。彼が貫いたと思っていたものは、創伍本人ではなく彼の上着なのだ。
彼は創伍を殺してなどいない。黒焦げたボロクズの上着がその腕にぶら下がっているのだから、結果的にそういうことになる。
「……面白ぇもん見せてくれるじゃねぇかよ」
「ウウウゥゥゥ……!!」
「実力の差で勝てないなら不条理で埋め合わせる――あぁいかにも道化師に誂え向きな異能だ。いよいよ勝算失っても、テメェは絶対に勝つと妄信してりゃそれは負けにならないからな。どこまでも見苦しい野郎だぜ」
朱雷電は理解した。自分の常識では理解し切れない何かを創伍は持っていると……
「……バァアアアアアアアァァッ!!」
「――!?」
だがその洞察は、ものの数秒で確信へ切り変わる。
吠える創伍は何を考えたか、突如黒い瘴気を滾らす左手を朱雷電へ向けたのだ。
すると掌から……黒い雷が飛び出してきた!
「何! ……俺の放った赤光?! しかも……! ぬあぁぁ!?」
朱雷電の見よう見まねでもする様にして創伍が放ったのは――黒い電撃。
先程、首を貫かれた時に何かしたのかもしれない。まるで受け取ったものを倍にして返してやると言わんばかりに放つと、朱雷電の意表を突いたことで、彼の左肩を掠めたのだ。
「……ぐっ……ぐぅぅぅぅぅぅぅ……うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
殺意も添えて返された電撃は威力も増しており、激しい出血と火傷と痺れが同時に襲い、朱雷電を悶えさせる。しかしこの叫びは痛みへの悶絶よりも、創伍への憎悪と言う方が正しい。九闇雄の一人である自分が、まさかここまで対等に闘わされた屈辱と、創伍個人に対して、怒りが頂点に達したのだ。
「フゥゥゥゥ……フゥゥゥゥ……!!」
「チクショおおおおおおおおおっがぁあああああああああああああ――――ッ!!」
そして創伍はただの人間ではない。『忌々しい愚者』も噂に過ぎぬと鼻で笑っていたが、撤回した。皮肉にも創伍はその愚者に魅入られ、唆され、九闇雄を脅かす存在として目の前に立ちはだかっているのだと……真に殺すべき相手であると認識した。
「もう作戦なんざどうでもいいっ! この裏ノ界もろともテメェを滅ぼす!! これでもまだ戯けるつもりなら、最期まで道化らしく戯けてみせやがれええええぇっ!!」
遂に目的を忘れた朱雷電は、創伍の存在を裏ノ界もろとも破壊しようと、秘めたる奥の手を出す決意したのだ……。
* * *




