第18話「本当の敗北」
「シロっ……! シロおおおぉぉぉぉっ!!」
創伍は絶望した。本来道化師とは舞台上に立っている限り、踊り戯けて観衆を笑わせるが本分。それを忘れて喚き散らすなどあってはならないことだ。
しかし……彼は今、己の役割すら忘れてしまう程の受け入れ難い現実に直面してしまう。
きっとこれは悪い夢だ――シロと出会い頭に引っ張られて空を飛んだ時も、マンティスに両腕を切断された時も、斬羽鴉相手に手も足も出なかった時も……何度そう思ったことだろう。だがこうして今日まで生きているからこそ、苦くも良い思い出として自分の中に閉まってきたのだ。
しかし……この時だけは悪い夢であって欲しかった。
地を這う創伍の眼に映るのは、シロの小さな背中と、彼女の身体から儚く噴き散る血飛沫。どんな相手だろうと意気揚々と闘ってくれた頼もしい相棒シロが――命も惜しまず、身を挺して朱雷電の手刀から創伍を守ったのだ。
「うわあああああぁぁぁぁっ――――!!」
「チッ! 俺の電撃を受けてまだ動けたとは……忠義心の厚さは本物らしい。だがもう終いだ。死に物狂いでやっとこさ主を守ったところで結果は変わんねぇ。恐怖と苦しみを引き伸ばすだけだぜ……」
手刀を引き抜かれたシロは、草臥れた人形の様に崩れ落ちた。流れる血は止まることを知らず、地面に赤い血溜まりをつくる。
電撃により立ち上がれない創伍は、目の前で倒れるシロへ片手を伸ばしながら……
「はっ……はぁっ……! シロ……死ぬなっ……! 頼む……死なないでくれ……!」
ただ虚しく懇願していた。
彼女と契約した時から、二人が常に死と隣り合わせなのは、とうに覚悟していた事なのに……シロが死んでしまうという結末を、ひたすら拒むことしか出来ない。
道化師の支えを失った道化英雄に、戦意など欠片も残っていなかった。
今の彼は一人の道化師でも一人の英雄でもない。ただ絶望に打ち拉がれる一人の人間であった。
「フ、フフフフ……! フフフフフフフフフッ、フハハハハハハ……アアァァァァッハハハハハハハ!! お嬢ちゃんの御立派な死に様に比べてテメェは何だ!? 最後まで勝つことしか考えてなかったか? こんな状況に陥ることも予想すらしてなかったか? あぁ!?」
朱雷電は、その可笑しくも見苦しい光景を目に、甲高い笑い声を上げる。
「俺はな……殺しに来たんだよ! 侵しに来たんだよ! 奪いに来たんだよっ!! 泣き喚くほど奪われたくないもんを守る実力も無ぇなら……死んでも文句は言えねぇだろうがあぁっ――!!」
その言葉には怒りが混じっていた。自らに言い聞かせるようでもあったが、強者こそが生き残れる創造世界をよく知る者だからこそ、潔く敗北を認めない創伍に憤っていたようでもある。
そんな彼にトドメを刺そうと歩み寄る朱雷電。この失敗した舞台に、演者達の死をもって幕を下ろそうとしていた。
「真城ぉ……!」
「真城さん……! 早く逃げるんですのよ……!!」
「うううぅっ……!!」
創伍は地面に顔をつけたまま一向に立ち上がれない。瀕死のシロはおろか、乱狐も鈴々も電撃の効果により動けず、仲間を助けることも出来ぬまま、道化師の最期を見せつけられるのだ。
「フフフッ! それにしてもつくづく可哀想な奴だなテメェは……。殺されそうなところを仲間に救われては、僅かな勝機も掴み取れず、再び窮地に陥る。もっと早く殺されていりゃ、ここまで自分が無能という化けの皮を剝がされることもなかったのによぉ。まさに道化英雄という名に相応しい――英雄足り得ん愚者におあつらえ向きな最期だなぁ!」
「っ……!!」
「だが、これで分かったろう。今日まで生き残れていたのはただ運が良かっただけ……お嬢ちゃんが体張って働いてる中、テメェはその力に甘えていただけだと! これはテメェ自身が招いた結末なんだよ!」
創伍は睨み返すことしか出来ない。現にこの状況は、闘いの最中に朱雷電の言った通りに起きてしまったのだ。否定のしようがない。
彼はシロの言われるままに行動し、想像したものを具現化させ、力と技に変えて闘っていたのみ。
常に彼女との二人三脚――シロの助力もなしに創伍一人で闘い勝ったことなど……一度も無いのだ。
自らの非力を痛感させられる創伍。その彼の目の前に辿り着いた朱雷電は、見下ろしながら問い掛ける。
「それでもテメェは……ここまで来てもまだお嬢ちゃんに死ぬなと乞い、起きてまた闘えと命じるのか? まったく……」
そして……
「――虫が良すぎんだよなぁ!!」
創伍の左肩の中へ、人差し指を突き刺したのだ。
「いっ……! づああああぁぁぁぁっ――!!」
鋭利な刃物も付けてない一本の指が、肩の肉を抉っていく。やがて指は根元まで入り込んで靭帯に達し、傷口から大量の血が溢れ出る。創伍の恐怖は痛みによって腹の底から無理矢理押し上げられるのであった。
「フフフフフ……! 最後まで奇跡に縋り続けた見苦しい雑魚を、一瞬で殺すのは勿体ない。じわじわと敗北の味を知りながら死んでいくがいい!」
「な、何を……!?」
だが血を流すだけでは、朱雷電の処刑は終わらない。ふと気付くと、傷口から何やら煙が上がっていた。
指先から腕にかけて赤光が沸き立つ――創伍の中で、彼の指が靭帯を焼いているのだ。
「がああああああああああぁぁっ――!!」
まるで半田鏝を直に刺して、体内を焼き付けるかのような拷問に絶叫する創伍。激痛の中で意識を失えば、そのまま死に達してしまえそうなところを、朱雷電は直前で闘気を抑え、辛うじて意識を保たせる。死なれては本当の敗北を味わったことにはならないからだ。
「はぁ……あぐっ……! ああああああぁぁっ…………!!」
「おいおいまだ10秒も経ってないぞ? せめてあと20秒は味わってもらわねぇと」
「あっ…………あ…………!」
創伍の黒の左腕は今にも燃え千切れてしまいそうで、肩から先の感覚などは既に皆無。火傷をする経験はあっても、内側から焼かれるなど味わったことのない灼熱地獄に、10秒を1分と錯覚してしまう程だ。
とうとう痛みに狂い叫ぶことも出来なくなった創伍は、薄れていく意識の中――朱雷電の背後で倒れるシロを視界に捉え、心の中で詫びていた。
(シロ……ごめん……俺のせいで……こんな……)
これこそが本当の敗北。たった一度の過ちで、自分を変えてくれた道化師を、全てを失ってしまう。己の実力を鑑みず、挙句の果てに放置して招いた最悪の結末に涙が止まらない。
「フフフ……待たせたな。最期はこの指先からお前の体内へ電流を流し込んでやる。確実に心臓に届くから、こっから先は一瞬だ。この痛みから解放されるぜ」
(シロ…………!)
最期まで敗北を味わわせた朱雷電は腕に赤光を纏い、今度こそ創伍に死を下す――
「むっ!? うぉわ……!」
――かに見えた。朱雷電は咄嗟に指を引き抜き、何故か創伍から逃げるように飛び退いていく。
そうしなければ自分が殺られていたからだ。
闇夜の死角から、赤光とは違う光を纏った流弾が飛来する。それは朱雷電だけを正確に狙い撃っており、弾丸並の速度で何発も飛んできた。
朱雷電は指先からの電撃で射的のように迎え撃ち、流弾を全て爆破する。だが度重なる横槍に彼の怒りは頂点に達し、流弾が飛んできた方へと叫んだ。
「次から次へとぉ……! 何者だコラアアァァッッ――!!」
しかし闇の奥から返ってくるのは、容赦のない追撃のみ。
「――!?」
まず朱雷電の足元の地面から突如、先端の尖った氷塊が飛び出す。それらは地面を穿ち、次々と現れては標高300m近くに達する雪山のように連なり、彼の足場を奪っていくではないか。
気付けばブルータウンの海上に、蓮の花を象った巨大な氷山が完成した。
「これは氷山楽園……するとまさか……!」
気付いた時には遅く、彼の手足は連なる氷塊に挟まれ、その冷気によって凍結させられていた。
そして氷山の頂には、彼を仕留めた張本人が現れる――
「幼き頃より時の流れに身を任せた白蓮華。今やしっかり華咲かせ、世界の眼の導くまま、悪党征伐に東奔西走。今宵も悪を美しく凍らせに参りました――ってね♪」
「やはり貴様か……ようやく大英雄様のお出ましって訳だ」
ご名答と投げキッスをし、旧知の朱雷電に久々の挨拶を交わすのは――白蓮華つらら。
これらの氷山は全て彼女の能力によるもの。ブルータウンを囲う海の水を凍らせて巨大な氷塊をつくり、朱雷電を足場を封じ、絡め取ったのだ。
「懐かしいねぇ電々《でんでん》ちゃん。二十世紀末以来かな? あの時死んだと思ってたけどまだ図太く生きてたとはねぇ」
「勝手に殺すんじゃねぇよ。テメェと違って不死身じゃなくとも、歴史の影を住処とする九闇雄にゃ生き残る術はいくらでもある」
「まーだそんな連中とつるんでたんだ。……ってことはやっぱ今回の異品共の総攻撃は、アンタらが噛んでるってこと?」
朱雷電は動じることなく、つららの問いに鼻笑いで返す。闇雄という存在だからこそ逃げ隠れする必要がないからだ。
「フフフフ……気付くのが遅過ぎたな。もっと早く気付いていれば、こんな街に住むクズ共を死なさずに済んだものを、平和ボケしてっからこうなるんだ」
無慈悲に殺されたアーツ達の死体を目にし、顔に出さずとも、つららは怒りに震えていた。
「……折角の再会の前に随分と派手にやってくれたもんだね。今度こそ生きて帰さないよ」
「はっ! 裏ノ界まで来て、道化師の首だけ手土産にして帰るつもりはねぇよ。大英雄共もまとめて相手してやる。だからよ――そろそろテメェも出てきたらどうだ!? 紅蓮のっ!!」
つららが居るなら、既に居るであろう相棒の登場を促す朱雷電。その彼の期待を裏切るわけもなく、紅蓮という言葉の象徴たるその人が姿を現した。
「——神妙にぃ、神妙にぃ!!」
燃え盛る炎が氷山を舞台に、ブルータウンの夜を照らし出す。
紅蓮魔ヒバチ――全身に炎を纏い、足元の氷を溶かしながらのご登場。つららと同じく懐かしの旧敵との再会であるが……
「子の刻の光射さぬ裏ノ界、騒がすは歴史の影に埋もれた九闇雄! 俺様抜きに好き勝手暴れるなんざぁ、ふてぇ野郎だ!! お天道様が裁かねぇなら、代わりに俺が裁くまでぇ!!」
「あ~あ、また始まったよ……」
つららは大方察していたが、相変わらずのワンパターンな大見得はどうにかならないかと頭を抱える。そんな彼女の気も知らず、ヒバチは盛大に名乗り始めた。
「知っていてもよぉく聞けっ!! 俺こそは、創造世界一の傾奇者! その身その魂は燃え尽きることない無敵の炎熱! 絶世の益荒男! 炎獄界の大英雄! 炎天下無双! 泣く子も黙る、燃え盛る紅蓮の鉄砲玉あぁっ――」
全身を荒ぶらせ、手を雄々しく突き出し、脚を広げ、眉間に皺寄せ、飛び六法でピョンピョンと飛び跳ねながら、最後に下駄を盛大に鳴らして、派手に大見得を決める!
「――――あ、紅蓮魔ヒバチ様よおぉぉっ!!」
「……………………」
これには朱雷電もどう反応すればいいかと、眉を顰めるのであった。
「フ、フフフ……。やはり今も昔もテメェらは変わってないようだな……。ある意味で期待通りだ」
「ちょっと! テメェらって何よ!? コイツと一緒に進歩してないような言い方はやめてよね!!」
「あ~!?!? つららちゃんそんな言い方ないでしょうよぉっ!」
「うっさい! 少しはアンタの大見得でスクロールを余儀なくされる読者様の気持ちになったら!?」
「メタいメタい! つららちゃん、それはメタいよ!!」
まるで夫婦漫才……。言い出しっぺながらも二人のやり取りに痺れを切らした朱雷電が割って入る。
「お楽しみのとこ悪いけどよ! さっさと殺るなら、おっぱじめようぜ。こちとら手足封じられてのハンデを負ってやってんだからさ」
「——んなこと言われなくても分かってんだよ!!」
「——テメェこそ、不死身でもねぇクセに俺らに挑んだこと後悔させてやんぜぇ!!」
「……フフフ。そいつぁ楽しみだ」
何はともあれようやく骨のある相手を――再び不死身の氷炎コンビと戦えることに、朱雷電の闘争心は最高潮に達していた。
……
…………
………………
「……!」
「……さん!」
「真城……!」
「真城さんっ!!」
そんな折、既に死にかけていた創伍だったが……朱雷電の赤光攻めの拷問から解放されたことで意識だけは回復した。
「……乱狐さん、鈴々さん……?」
「いやぁ~良かった生きてた……! あんたが殺されそうになった時はもうどうしようかと冷や冷やしたよ!」
「俺……あの朱雷電って奴に殺されたんじゃ……」
「何言ってるんですの! あなた達を助けようとつららさんとヒバチさんが駆け付けたんじゃありませんの!!」
「つららさんと……ヒバチさんが……!?」
耳を疑い、そして顔を上げて広がる光景に目を疑う創伍。
ブルータウン一帯が氷の山に覆われ、その山頂では赤い光が、白い凍気と橙色の熱気と向かい合っていた。
「おっ、気付いたか真城ー!」
「お~っす真城君! 遅れてごめんねぇ! よくもまぁ朱雷電を相手に勇敢に戦ったよ。後はお姉さん達に任せときな!」
山頂から呑気に声を掛けてきたヒバチ達は、創伍の奮闘を称え、自らバトンを引き継ぐ形で朱雷電と相対する。
W.Eの双璧である殆ど不死身の二人が揃った以上、形成はまたしても覆ったかに見える。
「だ、ダメだ……つららさんも、ヒバチさんも逃げて……! アイツは強すぎる……!!」
しかし創伍は、二人に闘って欲しくないと引き留めたのだ。
何も出来ない自分はまだ生きており、またも救われた――その事実に今の創伍は、いたたまれない気持ちになっており、朱雷電に勝てるかどうかなんてどうでも良かった。
これ以上自分の所為で誰かが巻き添えになり、苦しむ姿を見たくなかったのだ。二人はそれぞれの弱点である水、炎を受けない限りは死なないが、旧敵の朱雷電がそんなことを知らぬ筈もない。
だがそんなこともヒバチ達は承知の上。それでも心配は無用と、振り返り様に屈託ない笑顔を創伍に見せる。
「知ってるよ……だから戦うんだ。自分を、皆を守る為にね」
「このヒバチ様の顔がこれから負ける顔に見えるってか? そりゃ死ぬのは怖ぇが、逃げるのも性に合わねぇのさ」
彼らにも不老不死者なりの矜持がある。100%勝てる闘いでなくても、逃げるよりも闘って死ねれば本望なのだ。それぞれの想いを小さく呟きながら、笑顔のまま創伍に背を向け、朱雷電との戦いに臨む。
体内から電撃を放ち、氷の檻を破壊した朱雷電。二対一であろうと動じることもなく、むしろ狂喜に奮い、彼らとの死闘に乗り出す。
「フフフフフフ……! イェェッヘヘヘハハハハハアアァァッ――!! おらあぁぁぁぁ行くぜええぇっ――!!!!」
雷、炎、氷の三つが激しくぶつかり始める。創伍は動けない体を引きずって、瓦礫の上から彼らの勇姿を見届けようとした……。
「つららさん……ヒバチさん……」
ただ……
「——うぐっ」
パンダンプティと朱雷電との立て続けの戦いによるダメージと疲労の蓄積により、遂に肉体と精神が限界に達して意識を失ってしまう。
(シ……ロ……)
その寸前だ。創伍はまだ動く右腕を伸ばし、隣で倒れるシロの手を掴む。
生きているか死んでいるかははっきりとしていない。だが彼女の中から少しずつ体温が消え、冷たくなっていくのを感じた……。
シロを助けられそうにない自分の無力さを噛み締めながら、最後に創伍は呟いたのだ。
「俺に……もっと……力が……あったら……」
欲するには遅すぎる願いを抱きながら、創伍の意識は深い闇の中へと沈んでいく……。
* * *




