第13話「闇の英雄」
AM1:00 花札町 平成記念公園
花札駅から少し離れた所に位置する別名「楽園」と呼ばれる国営公園。約170haの園内は木々の緑に囲まれており、電柱など現代的なものが目に入らない。雲一つない快晴日には多くの来園者で溢れ返る。
だが如何に長閑な公園も、深夜になればホラー映画の舞台のように不気味なものだ。異品による襲撃以降、深夜の不要不急な外出の禁止令が出たため、人の歩みは極端に減り、園内はほぼ無人となっている。
それこそ闇に生きる斬羽鴉にとっては好都合な待ち合わせ場所でもあった。
「――じゃあ頼んだぜ。予定通り此処で道化英雄を迎え撃つんだ」
「………………」
「マンティスから針剣ザックまでは案の定、道化英雄に敗れ去った。だがお前は違う。踏んだ場数が違うからな」
創伍達の追跡から逃れた鴉は、次なる闘いの準備を進めていた。
鴉と麟鴉の前に一人の異品が立っている。
2mほどの長身に、無精ヒゲを生やした40歳代の男。見た目だけなら普通の人間と見分けがつかないが、中折れ帽子にサングラス、サイズの合わない大きなコートを着て、帽子のてっぺんから革靴の爪先に至るまで白黒のチェッカー柄という奇抜な風貌は、アーツからは見分けがつきやすい。
そう――この男こそ新たな刺客であり、8体目の『真城 創伍の破片者』なのだ。
「………………」
破片者は鴉からの一方的な指示を小さく頷き受け入れると、何も言わず彼らの前から立ち去り、木陰の闇へ溶け込んでいく。
これまでに倒れた同胞の能力を吸収した創伍達を相手にすることも承知の上、生きるか死ぬかの闘いに武者震い一つしない……恐れ知らずなのか阿呆かも分からぬ破片者に、麟鴉が頭を傾げた。
『Dude、アイツ本当に大丈夫か? 何考えてるのかすら分かんねぇぜ』
「いいのさ。鈍臭そうに見えて、実は今日まで長生きしてきた強者の余裕って奴だ」
道化英雄を倒すには、破片者を吸収してきた彼らを遥かに凌駕する実力者でなくては釣り合わない。
しかし今度の破片者が鴉に選ばれたのは、彼が長生きだからだ。彼は創造世界に産み落とされてから、今日まで一度も闘いに敗れていない。潜った死線の数が増える度に死への恐怖が薄まり、遂には何を考えているのかも周囲から読まれなくなったのだ。
「そして道化英雄は……そんな強い奴を倒すほど力を増していき、より濃い記憶を取り戻していく……」
仮に破片者が敗れても、鴉にとっては予定通りに事が運ぶこととなる……。
その真の目的は胸に秘めたまま、鴉は静かに笑っていた。
「さぁて……今日の仕事はこれで終わりだ。明日はオフだからぐっすり眠れるな」
「おう早くジャーキー食わせろ。今日は窮地を救ったんだから倍で貰うぜ」
「ナンパで遅刻した奴に食わす飯なんか無ぇよ」
次なる闘いの用意は万端。これにて鴉の一日も終わり、麟鴉にまたがって公園を後にしようとした――
その時だ。
「戦力が失われてるというこの事態に随分とご機嫌そうだなぁ――斬羽鴉」
風に揺れる木々の音に紛れ、一人の男の声が背後から鴉を呼ぶ。
声の主はさっきの破片者ではない。闇の中から入れ替わるように現れた男は、木陰から姿を現さずして二人の足を止めさせた。
『Dude……』
「……………………」
その声には嫌というほど聞き覚えがある。つい今しがた多くの死線を潜り抜けたアーツには余裕があるものだと呟いたが、上には上がいるのだ。いかに鴉といえど、同じ空間に居るだけで背筋は凍り、常に心臓を掴まれているような感覚になってしまう。深い交友も長年の因縁などもない、ただ雇われてるだけ。それでも彼の名前を知っているだけでこの有様だ。
何故なら男は凶悪且つ残忍、巨大な邪悪を孕んだ存在。創造世界の裏社会で恐れられ、語ることも禁じられた闇の世界の英雄――
「フフフフフッ、カラスが豆鉄砲を食らうような顔しやがって……俺が来るのがそんなに予想外か」
闇雄――ダークヒーローなのだから。
「……予定より随分お早い到着と思ってよ。何か急な御用事かい?」
本来その闇雄がここへ来ることは当分先の話――それがたった今というイレギュラーな事態に、鴉は平静を保ちながらも彼の意図を探ろうとした。
「すっとぼけんな。テメェがチンタラしている所為で、人間の数が減らずに異品が減っちまったから俺がわざわざ査察に来てやったんだ……! 我ら闇雄は全異界を支配するという崇高な目的の下、各異界に散らばって侵攻を進めているというのに、俺が担当するこの現界はまだ日本どまり……俺一人なら一日で片付くところを、テメェら群れることしか能の無い下等な異品に、不本意にも仕事を与えてやってんだぞ。三日どころか……二週間以上も掛かっているとはどういうことだ……!」
異品と闇雄は同じ悪と括られても同族意識はない。闇雄から見たら異品など、誇りも何も持たない下賤な集団――善良なアーツや敵対する英雄のように、滅ぼすべきものと見下している。
「ハハ……こりゃ手厳しい。所詮人間とはいえ、襲い始めたら命の取り合いだ。向こうもタダで死んでくれる訳じゃない。異品だって不覚の一つや二つくらい取るもんさ」
「人間に不覚なんざ取ってる時点でソイツは死ぬべきだがな、その不覚を取らせないようカバーするのはテメェの役割だろ。それどころか飛空偵察や地上の駒共への指示出しも放棄して、一人の人間のガキに執着しているそうじゃねぇか」
「………………」
「答えろ、一体何を企んでやがる。返答によっちゃあ……今ここで短い生涯に幕を降ろすことになるぜ」
鴉は元々現界に攻撃する異品達のサポートと要人暗殺を任されていた。警察や自衛隊の行動を監視し、それを妨害することで異品達の侵攻を進める手筈が、W.Eからの防衛も相まって滞ってしまっている。運良く逃げ切った異品が告げ口をしたのだろう。
真実までは知られていないが、事実として起きていることには言い逃れが出来ず、鴉は観念するしかなかった。
「はぁ〜、分かった分かった話すよ……『忌々しい愚者』らしきものが出たんで、現場判断で早急に手を打ってただけさ――」
滲み出る闇雄の殺気が……止んだ。
「……『忌々しい愚者』」
「知らないはずはないだろ。二十世紀末、全異界にあの惨劇を招いたアイツをな。未知を武器にした奇妙奇天烈な能力を繰り出すアーツ――それが真城 創伍というガキによって創られた作品と名乗り、道化英雄という存在となって異品達を次々撃破している――俺からあんたに報告しなかったのは、全体の士気を落とさせない為さ……姿形が全く異なる者に生まれ変わり、一人の人間を唆して世界を揺るがそうなんざ、あの愚者になら不可能なことじゃないしな」
人類には知る由もない。創造世界で起きた忌まわしい惨劇――ある一体の異品の出現により、正義や悪という垣根を超えて全てのアーツが死に絶えるはずだった。それでもW.Eの英雄達の奮闘により、不幸中の幸いと言うべきだろうか、8割近くは死に絶えたが全滅には至らなかった。そして今日までその元凶こそ――彼現るところに乱を齎すと言い伝えられる『忌々しい愚者』によるものと推測されている。
まさに創伍の相棒であるシロこと『未知秘めし道化師』が、『忌々しい愚者』の生まれ変わり――これにより異品の侵攻が遅れているのは致し方のない事だと、鴉はそう言いたいのだ。
「オーギュストか……フフフフ」
しかし闇雄は危機感を持つどころか、愚者の名を耳にした途端、肩を震わせながら笑っていた。
「フフフ……フッハッハッハッハッ……! 確かに由々しき事態だ。そんなおぞましい災厄の芽は一刻も早く刈り取らねば……なるほどテメェの取った行動も、集団の崩壊を防ぐという点ではそれなりに筋が通っている。そして素晴らしい判断力だ……」
熱い掌返しに、心にもない発言。鴉の言葉に愚者の出現を決定づける証拠はない。だが鴉に決定的な離反行為も見つからない以上、疑わしきは罰せずだ。仮に愚者の存在が事実なら、このまま作戦を続行させては頓挫することも有り得る。
半信半疑のまま、闇雄は鴉の処分を見送らざるを得なかった。
しかし……
「つまりさっき放した異品は、そのガキと愚者もどきの相手を務めるに相応しい逸材って訳だ」
「その点は請け負うぜ。こっちも命張って仕事してんだからよ」
「当然だ……。俺はひょっとしてテメェが誰かに加担しているのではと思ったんだがな……どうやら杞憂だったらしい」
「………………」
「なら次に会った時の結果を楽しみに待とうじゃねぇか。もしその道化英雄とやらが異品共の手に負えないのなら、俺が見定めてやろう……本当に愚者かどうかをな……!」
闇雄の中で優先すべきものが増えていた。遠い昔の惨劇――愚者との因縁が、彼にはまるで昨日の出来事のように脳裏に浮かぶのだ。
「フフフ……フフフフフ……!」
笑みすらも零れてしまう。この昂りは来るべき時に発散させようと決めた闇雄は、鴉の前から立ち去ろうとした。
「あぁ、そうそう。一つ忠告しとくぞ――」
一つのメッセージを残して……
「っ!? ぐわぁぁっ!!」
『どひやぁっ!!?』
園内が一瞬白い光に包まれた。そして白煙がのぼり、麟鴉と鴉が地面にのたうち回る。
芝生に飛び散った血は鴉のもの。闇雄が去り際に彼に指差しただけで、鴉の腕がまるで銃に撃ち抜かれたように火花と血飛沫を上げたのだ。
「次にまた何か変な行動を取ってみろ。俺の赤光が天地を染めるぞっ! 俺はいつでも天から、テメェら虫ケラ共を一匹残さず見下ろしているんだからなぁ――!!」
「ぐぅっ……はぁ……!!」
愚者の存在がどうあれ、結果的に侵攻が遅れた結果は覆らない。故にこれはペナルティ――責任を負わされたのだ。
園内から闇雄の殺気と気配が完全に消えたことで、ようやく本当の静寂が訪れる。
「……はぁ……消えたか」
『Dude……大丈夫か?』
「愚者の話を持ち出していなかったら、今頃は死んでいたかもしんねぇな……」
バイク姿だった麟鴉は、鴉と一緒に閃光を浴びたもののダメージは受けておらず、ただ動転しただけのようだ。そしてグリフォンへと姿を変え、フラついて起き上がる鴉の肩を翼で担いでやった。
「全く痺れてしょうがねぇ……あれで静電気っつうんだから、どんだけ手加減したってんだよ……」
ようやく死の恐怖から解放されても、鴉の負傷した腕は小刻みに震えていた。
それだけ闇雄は恐ろしいということを、まさしく体で味わわされたのだ。
「流石は……九闇雄――『天翔ける赤光の朱雷電』……」
世界を震撼させる闇雄の集い――九闇雄の予期せぬ出現に、雲行きが大きく変わってしまった。
「やれやれ……全部うまく行くとは思ってなかったが、もう一か八かで押し通すしかねぇな……」
鴉は空にかかる黒雲を見上げながら、世界の命運と、己の運命、そして道化英雄達の運命を時の流れに任せることにし、園内から立ち去るのであった。
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