夏休みの過ごし方:早寝早起きを心がけましょう
既作『春風うさぎの歌う屋上にて』http://ncode.syosetu.com/n0234cc/
先に読むのをおススメします。
「愛しているよ」
それはあまりにも唐突な一言だった。
いつもと変わらない天体観測の最中で、直前は何の会話もしていなくて、私は草の上に寝ころんだままぼんやりと星を眺めていた。
「――……え!?」
だからとっさに反応できなくて、それこそ流れ星が三つくらい消えた後に飛び起きた。髪とか服とかに付いた汚れを気にしている余裕なんてない。緩やかな傾斜に足を滑らせながらも立ち上がり、丘の上に立つ牧之を見上げた。
「ん? 急にどうしたんだ?」
牧之は天体望遠鏡を覗きながら尋ねてくる。ド直球ストレートな告白をしてきたくせにその態度はないだろうと思う。けれどまあ、大目に見てあげられないこともない。私よりも星に夢中ないつもの態度。さては照れ隠しの一種と見た。そう思うとなんだか牧之が可愛らしく見えるし、ちょっとからかってやりたくなる。
不意を突かれた仕返しに聞こえなかったフリなんてどうだろうか。バッチリ聞こえてたけどね。
「先に牧之が何か言ったでしょ? なんて言ったのー?」
「アンタレスの位置がもう少し高い所にあればなーっとぼやいていたけど、そんなに大騒ぎすることじゃないさ」
「え? 他には?」
「他? さそり座で一番有名なのは今言ったアンタレスだけど、シャウラなんかも有名かな。シャウラはさそり座の毒針に位置している星で、二等星だからけっこう分かりやすいよ。ただ、この時間だと低い所にあるから山が邪魔なんだよね」
「……あ、うん」
あまりにもいつも通り。ひょっとして、ひょっとするとあの声は私の聞き間違い? 落ち着いて考えてみれば妙な違和感があったのだ。はるか遠くから聞こえてきたような、それでいて耳元で囁かれているような不思議な響き。でも確かに牧之の声だって思ったんだよね。
私が考えこんでいると、牧之がふっと笑った。
「もしかして寝ぼけてた?」
なんてことだ。逆にからかわれた。その一言のおかげで確信する。
コイツに限って私に告白してくるわけない! しかもあんな素敵な言葉で……ありえない。絶対に、だ。
周りが真っ暗でよかった。私があたふたした顔を見られなくて済んだし、牧之の小憎らしい顔を見ずに済んだ。このまま何も言い返さなかったら牧之に笑われたままなので、尖った声で反論する。
「普段寝ぼけてるのは牧之でしょ。授業中に居眠りばっかしてるって、別学年の私が知ってるんだからね」
「今は夏休み中なんだし、学校の話は持ち出してほしくないなぁ。っていうか先生お喋りすぎ」
「星に興味があるって素敵なことだと思うんだけど、それ以外にも大事なことがあるって、夏川君に気づいてほしいんだけどな」
「うわっ、その口調そっくりだ。将来教師になれるよ。おめでとう」
牧之は相変わらず天体望遠鏡を覗きながら三脚の位置を調整している。反省の色は無い。私は呆れて何も言えなくなる。この天体オタクどうしてくれようか。殺意にも似た感情を振り払うように服を叩く。パラッと草土の感触がした。どういう理屈か分からないけれど、その感触がクラスメイトの言葉を思い出させた。
二人で毎晩星を眺めるなんてロマンチックだねって言葉。
羨ましそうに言われたけれど、私は全力で否定した。ロマンなんてこれっぽっちもありゃしない! いつだって星がメインで私はおまけ。会話といえばベガ、デネブ、なんとかがどうたらで大三角形が見えるとか、宇宙のはじまりはビックバンっていう光の爆発がどうとかそんなのばっかり。別にそういう話がつまんない訳じゃないんだけど、なんていうか女の子として意識されてないっていうのがよく分かる。それがちょっともやもやするんだ。そのくせ毎晩牧之に付き合っているんだから、自分自身に呆れることもよくある。
あぁ、そっか。クラスメイトの言葉なんて草っぱの汚れくらいどうでもいいことなのに私はどちらも気にする。だから思い出したのだ。なんとなく、叩いた場所をもう一度叩く。汚れはもうとっくに落ちてるのにね。
「さて、帰ろうか」いつの間にか傍に来ていた牧之が私の肩をつついた。
「もう?」
時計はないけれどいつもより随分早い時間だ。だって牧之から教えてもらった星が少ししか移動していない。
私が首を傾げると、牧之も真似するように首を傾げる。人工的な明かりがなくとも、牧之の瞳はハッキリと私を照らした。
「もう眠いんだろ? 無理はしないほうがいいさ」
牧之の担いだ三脚がカチャリと鳴る。先程から位置の調整ではなくて、帰り支度をしていたようだ。
私は少しの間、言葉を探したけれど見つからず、こくりと頷いた。
そうじゃないって言いたい気がしたんだけど、それでいいって気持ちになったから。
丘を下る帰り道。星の瞬く空の下。持っている懐中電灯をつけずに歩く。特に会話もなくて、気まずさもなくて、手を繋ぐことももちろんない。
牧之は視線を少し高くして星を見つめながら歩く。三脚を肩に担ぎ、片手には天体望遠鏡を、もう片方の手はジーンズのポケットに入っている。そのポケットの中の手がもぞもぞ動いているような気がして尋ねてみた。
「ポケット、何か入っているの?」
「うん。これだよ」
牧之が見せてくれたそれは、暗闇の中でもすぐに分かった。地球儀を模したガラス細工のペンダント。蛍光塗料が使われていて、ぼんやりと蛍のように光っている。先週誕生日を迎えた牧之に私がプレゼントしたものだ。
私の単純すぎる性格が声のトーンを上げさせる。
「なーんだ。つけてないから気に入らなかったのかと思ってた」
「気に入ってるよ。まだつけ慣れてないからさ、つけたまま望遠鏡を覗くと傷でもつけてしまうんじゃないかってね」
「そっか」
気に入ってもらえてて、しかも大事にされている。うん、嬉しい。
地球儀が放つあたたかい光が私の心まであたためてくれる。そしてさらに嬉しいことに視界の上の方から星が一つ流れた。なんちゃら流星群というのが接近しているらしく、今夜はもう五つは見た気がする。牧之が言うにはあと二、三日後が見頃で、数えきれないくらい星が降るそうだ。月の満ち欠けがどうとか他にも色々言っていたけれど、正直全部は覚えてない。しいて覚えているとすれば、この流星群は七十年に一度見れるかってくらいの貴重なものらしいということ。
七十年。私は今、中二で牧之は中三。たぶん次に見る頃には八十五歳くらいになってる。
私はその頃、どうしているのだろう。流星群のこと、覚えているだろうか。見るとしたら誰と見るのだろう。牧之は隣にいるのかな。
いまいち想像がつかない。なにせ一年先の受験のことすら考えられない私だ。無理無理。考えるだけで眠くなる。壮大な話は牧之の講義だけで充分だ。自分だけで考えきれないよ。
ふわぁっと欠伸を一つして、それが牧之にうつって私にまた返ってくる。何気ないことに口元を綻ばせているうちに、私の家へ到着した。
「じゃ」
「また明日」
短いけれど決して欠かさない挨拶を交わす。
私は牧之の背中を見送り、やがてすっかり見えなくなると空を見上げた。今、牧之はどの星を見つめているのだろう。視線が星と星の間を泳ぐ。そして見つけた。きっとさそり座のアンタレス。燃え続ける赤い紅いさそりの心臓。
見つめているうちになんともいえない思いがこみ上がってくる。口から零れ落ちるその前に首が痛くなって俯いた。もう寝ないとね。
すでに眠っている家族を起こさないよう、そっと玄関を抜けた。