今ここにある小さなプライド
畑ばかりの小さな村をぼたぼたした雪がおおう夜、僕は小さな無人駅の駅舎で登りの汽車を待っていた。
木造のこじんまりした駅舎の中では、ぽつりと白熱電球が寒々しくつき、申し訳程度の暖房器具の中で小さな炎があたりを淡く照らしては、すきま風で小さくゆらいだりしていた。
最終列車の二つ前の汽車に乗る手はずだった。ここで僕の癖がまた出てしまった。怠惰に由来する所の悪癖だ。出発しようと思ってから実際に実家を出たのは2時間も後のことだった。特に明確な理由があるわけでもない、ただただ"ノロかった"ための遅刻。昔からの性質・性格はそう簡単に変わるはずもなく、こうして電車に乗り遅れることはいつもの事だった。
最終の列車は中々来なかった。
携帯を見ると、時刻はちょうど23時を過ぎたところで、健気に電波が一本立っている状態だった。
さすがに来るのが遅いとずっと気が付いているけれど、僕はすぐ近くにある実家へと帰る気にもなれず、延々と汽車を待つしかなかった。
あれこれ考えるのが面倒だ。僕は目の前にある小さな火を見つめ、そしてて呆けたように目をつぶった。段々寒さはましてきて身体は薄い氷に覆われているんじゃないかという位に冷たくなってきていた。ちょっとだけ寝てしまおう。寝て、明日の朝一番の汽車に乗ろう。僕はそう楽観的に、消去法的に面倒を避けて、座っていた石みたいな木枠の椅子に横たわった。
そうしてまどろみの中にあって、僕は不思議な夢を見た。女の子が僕の名前をしきりに呼んでいて、僕の手足にはいくつもの鎖が縛ってある。その鎖は段々と凍ってきて、次第に僕の腕・足をその接触部分から氷漬けにしていった。終いには氷が僕の体全体を覆い、息が出来なくなって苦しみもがいている。もうだめだ、死んでしまう…そんな瞬間に目を覚ました。
何だったんだ…今の夢は…
何故か心臓が興奮していて、こんなに寒いのに額には汗がにじんでいた。
窓の外を見ると、いまだに暗いまんまだし、雪も相変わらず降っている。あまり長い時間は経ってないようだった。
携帯で時間を確認しようとポケットに手を突っ込んで、引っ張りだそうとした時だった。
「明かりが寂しいね・・・」
女の子の声がした。小さい子の。僕は少しの間固まってしまった。その声はもう一度言った。
「小さい明かりが、さびしいな。」
僕の座る椅子の向かいには女の子が小さくまとまって座っていた。寒い夜なのに、絹のように白い肌をあちらこちらに出した軽装のその少女は暖炉の中の小さな炎を見ながら、三度僕に言った。
「こんな小さな炎じゃ、なにも変わらないよ」
長い栗色の髪の毛は座っている椅子の所まで届こうかという程だった。少女はその長い髪を雑にくしゃりと掴むようにまとめて、そして僕の様子をうかがっていた。
僕は困惑の中で小さく答えた。
「無いよりましさ」
「えー。逆だよおじさん。ヘンにこんなのがあるから、皆こんな小さな火をありがたがっちゃうんじゃない?ヘンに希望をもたせるからさ」
「でもやっぱり、無いよりましさ」
彼女は小さい手でノドの辺りをさすりながら、うーんと唸っていた。
僕は"オジサン"と呼ばれる年齢には早すぎる点に突っ込みをいれたい気もしたが、怪しさ満点の少女の前ではどうでも良いことだった。
少女はまた質問をしてきた。
「おじさんは、なんでここにいるの?」
それはこっちのセリフだろうと思った。でも僕はなけなしの親切心で返答をしてやった。
「汽車をまっているんだ。全然来ないんだ」
「それは本当に来るの?」
「わかんないな。実はもう行ってしまっているのかも。だからもう来ないかもしれない。でも、僕には待つことしかできないんだ。」
「へんなの。待つのやめちゃえば良いのに。おうちに帰ればよいのに」
「なんとなく・・・恰好がつかないんだ。小さい事だけど、こんな理由でまた家に帰るなんて」
「おじさんは、そんなことを気にして生きているの?」
僕は答えなかった。
正確に言うと、素直に「そうなんだ、僕は小さな人間さ」なんて言う事が出来なかった。
僕が黙っていると、少女は思いついたようにこう言うのだった。
「じゃあさ、一回こっちに来てみない?」
女の子はこちらをうかがっていた。
僕は、うんと変な顔をしていたと思う。それは少女の顔を見ればわかった。
おかしな事を言う女だ。
「こっちっていうのは、その、なんだい?」
「”こっち”はこんな寒い所じゃないよ。もっと楽しくて、良い匂いの場所だよ!」
そう言うと、女の子は座っていた椅子から飛び降り、窓の方を向いた。
「そんなところ・・・ぜひ行ってみたいもんだね」
「えっ?行くの?行くのね?」
「ああ。どこへでも、どこへでも連れて行ってくれ」
少女の頬がわずかに膨らんでいるように見えた。
「じゃあ行きましょう。そんなに遠くない所だから。すぐ着くよっ」
女の子は天井辺りを指さした。僕はつられて彼女の指さす方を見上げた。
「そのまま目をつぶって」
僕は彼女の言う通りにした。
「心の中で鉄砲が3回なるのとコスモスが咲く様子を思い描いて。ゆっくりで良いよ」
捨て鉢というか、余興のつもりで、言うことを聞く事にした。まだ夢の中ということもありうる。
僕は広い草原に兵隊がいる光景を思い描いた。
兵隊は3回、鉄砲を空に向かって撃った。足元にはコスモスの花が咲いていた。
そういった事を考えた。
何十秒か沈黙が続いた後、不思議なことに、不意に花の香りに包まれた。
なんだったかな、この香り。
「ついたよ、もう目を開けて良いよ」
いったい彼女はこの数十秒の沈黙のうちに何をしたというのだ。僕は半信半疑に目を開けた。
驚いた。
何事か分からない、不可思議な現象だった。
辺りが明るくて、まぶしい。しかも、さっきまで僕を責めるように響いていた寒さが無くなっていた。
ぽかぽか陽気の太陽が窓の外からあふれんばかりに注ぎ込まれている。これはどういうことだろう。
僕はポケットにある携帯を取り出そうとした。携帯の電波を確認したかったのだ。
しかし、意に反してポケットにいれた僕の指先は携帯ではなく、くしゃりと丸められた紙に触れた。
とりだしたみると、こう書かれていた。
「携帯は少しだけ預かります。ここには必要のないものだから。」
見覚えのない字だ。この少女の字だろうか。
僕はさっきまで少女が座っていた椅子をちらりと見たけど、姿はもうなかった。
せまい、部屋の中を探しても、見当たらない。
僕が、きょろきょろとしていると、駅舎だった建物の外から僕を呼ぶ声が聞こえた。
「どうしたの?はやく外に出ようよ。まずは”7と9の神様”に会いに行かなくちゃ」
そうせかされた。僕は身に着けていたマフラーとコートとセーターをぬぎ、そして長袖を腕まくりして、彼女の呼ぶ方へ、外の世界に踏み出した。
外はまぶしかった。その光景は駅舎の中でみた窓越しのものよりまばゆいもので、ほとんど目が効かなかった。目が慣れるまでの数分間、僕はきらきらしたまどろみの中をただ少女の後ろを追って歩く他なかった。
道すがらの雰囲気というものは幾分浮き足立っていて、そこらで客引きの声が響き、屋台が軒を連ねていた様子だった。
「今、お祭りでもやっているのかい」
僕は少し前を行く少女にそう尋ねた。
「そうね、ここでは年中お祭りをやっているわ。ずーと、昔から。」
僕はそういう彼女の言葉を濁流の中に流れる葉をすくい取るように聞き取った。あたりがやたらうるさいのだ。
目が明るさに慣れてくると、僕はバザール的雰囲気のある道路を歩いていることに気付いた。道の両脇は所狭しと出店が並び、ぎらぎらした食器なんかを売っている店を通り過ぎたところだった。僕は世界史の挿絵でみた石造りの街の光景を思い出していた。
ひょこひょこ歩いて、どんどん前に進む少女。
道は緩やかに上り坂で、自然と息が苦しくなってきていた。僕は小刻みに吸っては吐いてを繰りしては前を行く少女の、更に先にぼんやりと見えだした高台の上にある城を仰いでいた。それは絵本に描いてあるような、童話に出てくるような、そんなデファクトスタンダードなお城だった。どうやら少女はその城に向かっているようだった。
「あの城には何があるんだい?」
僕の質問に少女は歩きながら顔だけをこちらによこして答えた。
「神さまがいるのよ。ここに来たら、まず会いに行かなくちゃいけないの」
「そこまではどれくらいかかるの?」
「それはあなたが決めることよ」
「僕が・・・?」
「あなたの思い次第ですぐ着くこともできるし、あるいはずーと着かないままでいることもあるわ。」
そう言うと、また彼女は歩くペースを上げ、膝丈くらいある麻生地のスカートをひらひらさせては僕の前を軽やかに進んでいった。彼女の恰好は駅舎の中で見たときにはかなりファンシーに見えたけど、この街の中にあっては彼女は随分となじんだ存在だった。むしろ…というか必然的に、僕の恰好はとても浮いていて、すれ違う人たちはみんな僕の事をちらりと訝しげに見ている気がした。
延々と僕は同じような小さな路地を足早に進んで、同じような花の匂いをずっと感じていた。
ぎらぎらした食器は必要ないくらい何件もの露店で売られていた。
「もう一度聞くけど、いつになったら着くんだい?」
「着かないってことは、あなたが会いたくないと思ってるということよ。変化を嫌うのね。あなた、こっそりこちらに来て、何にもせずにアチラに帰ろうなんて考えてなかった?」
「いや・・・そういうことではないけれど」
「だいたいは、このへんでお城の芝生に足が入ってる頃よ。それはあなたが特別新しいことを嫌うからかもしれないわね」
「そうかな…それより、ねえ、少し休みにしないかい?」
「そうね。…いいわ、休みましょうか」
少女はそういうと進路を右にきり、更に狭い路地に突き進んでいった。
突き当りに看板らしきものがあり、そこの小さな店に入っていった。僕もそれに続いた。
入るや否や、少女は
「”ハ”をふたつ」
と店員らしき人に慣れたふうに言うと、奥の方の席に腰をかけた。
そして入口にあたりでウロウロしている僕に
「あなたも早くきたら?」と言った。
店内はとても古めかしい、木造造りのたたずまいだった。
「僕もそれを頂くのかい?その・・・”は”とやらを」
「そうね。とても元気がでるの。不思議な味なの」
そういうと彼女は僕の方をさっきの駅舎にいた時のようにじっと見つめてきていた。
僕はすこし決まりが悪い気がして、きょろきょろ回りを伺っては、店内でくつろぐ人の真似をして、ひじを机に尽き鼻の辺りに手をやったりしていた。
少女は尚もこちらを伺っている様子だった。
「なんだい・・・?ずっとこっちばかり見て」
「観察してるの」
「じっと見られていると、すこし緊張するな。それに僕は君が考えているほど不思議なものじゃないんだ。」
「いいえ。不思議だわ。あなたの事を見ていると、あなたの考えていること全てわかるの。」
「そんなわけ、あるかよ」
「いいえ、分かるは。顔に小心者って書いてあるわ。」
失礼な、と言いかけた。だけどやめた。こんな女の子に腹をたててもしようがない。
そんな事を考えていると、白っぽい麻生地のブラウスを着た店員が盆に何かを載せてこちらにやってきた。
てっきり飲み物か食べ物が運ばれてくるのだと思っていたが、店員がもってきたのは葉っぱがまかれた棒だった。店員は僕と少女の前にそれを1つずつ置くと、
「ではごゆっくり」
と言って厨房らしき処へ消えていった。
「これって、どうするんだい」
「知らないの?火でね、こうあぶって、そして吸うの」
女の子は棒の先っちょでテーブルにおいてあるランプの火をつつきそして、ストローでヨーグルトを吸っているかのようにそれを吸った。
「ほら、あなたもやってみたら」
僕は女の子をまねて棒をすってみた。
生暖かい煙が僕の肺を充満するのが感じられた。そして、その数秒後、今までに経験したことのないような感覚を覚え…ターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!空!!!そらぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!飛行機いつのったけぇ!あれ!空ぁだぁ!!!おそらにいるよぉおおおお!!!!!!!!
あれ?あれ?
あれぇえええええ??でも、鳥はいないねぇええええええ。冷蔵庫はいる!次は冷蔵こぉおお!入りたぁあああい!
ええええ???何でピアノ弾いちゃおだめなのぉおおおおおおおおぉぉぉぉお????
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。いやいいやいいやいやいやいやいや。
帰る!。もうペテルギウス座に行く!そうする。え?
え?
でも、クーラーはダメだって?なんで?うん?
なんで?
クーラーだめなの?ベッドは気持ちいのにねええええええええええー。
あーーーー窓にタケノコはえてるぅぅぅううううう。
あおもりだーぁー。おーーーさけのみたいよぉお!うん、今度のもおおおおねーーーーぇ!
たのしいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい!
個々こああああら!こあら!毛が生えたコアラ!
はあーー。カーテンに毛が生えてる!あははははははhhhっはhっははは!
・・・・・・・・・・っ
・・・・っ
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それから、僕は恍惚とした気分の中、意識をその幻想のような所に置いてけぼりにして、はっきりとした記憶を部分的に失ってしまった。気づいたときには僕は通りの端でうずくまるように転がっていて、僕の顔を心配そうに女の子が覗いていた。
「大丈夫?」
「ああ、ごめん」
「あんなもんで倒れていたんじゃ、お店の人に迷惑がかかっちゃうわ」
「ああ、ごめん」
「こんな所で寝るのは嫌でしょ。今日はお城をあきらめて、どこかに泊まりましょ」
てっきり怒っていると思っていたけど、女の子は小さく笑って、そして僕に手をさしだした。