昭和26年の敗戦3 ハイラルの少女
避けられたはずの惨劇は、先延ばしにされただけだった。0と1とで再現された歴史は彼女にハイラルの英雄たることを求めた。
牧場経営SLG『開拓者の詩』プレイヤー・かぶ地主
ららら〜、るるる〜、あらっ、見慣れない妖精さんね。もしかして……やっぱり、いつかいらっしゃると思ってました。ええ、ちょうど蕪の水やりを終えたところですから家の中でお話ししましょう。
(可愛らしいログハウスに案内される。金平糖をいただきながらインタビューを開始する)
うふふ、わたし好みの可愛らしいアバターね。誰に聞いて来たのかしら?私はそういう気遣い大好きだけど、ひとつ忠告。今でもミリタリーMMOをやっている物好きに会うなら、歴史考証はほどほどにすること!同類と思われたらしつこく付きまとわれるか、同族嫌悪でヘソを曲げられるかよ。本当にあの頃は大変だったんだから(ため息ひとつ)。
わたしは一応『WW2・オンライン』の古参プレイヤーだったわ。と言っても北満の、ハイラルで牧場経営をしていたの。ソ連が攻めて来るまで、ずっと……あれは確か康徳14年(昭和22年)か15年だったかしら。ドイツの第2次タイフーン作戦が失敗したと噂で聞いた後だったから。
あの頃は南方がとにかく酷い状態で、ハイラルのPCはわたしひとりだった。だから、わたしはNPCに任せるよりはマシって言われてハイラル守備隊の臨時隊長を兼ねていたの。当時も女の子のアバターでしかも戦闘用スキルなんて最低限しかなかったのにね。おかしいでしょ!(泣きそうな笑い)だけど、ドイツもまだ健在だったし、NPC達との関係も良好だったから誰も心配していなかったわ。わたしも含めてみんな、ね。
(しばらく、NPCからの生産系ミッションやハイラルの牧草地の情景が『開拓者の詩』と比較されつつ語られる。『WW2・オンライン』は戦闘以外の要素もかなり作り込まれていたようだ)
……ねえ、妖精さん。わたしの話は退屈?やっぱりあなたも『ハイラル撤退戦の英雄』の話を聞きたい?(全てを見透かすような深く暗い瞳で見つめられる)ーーーうふふ、いじわる言ってごめんね。別にいいのよ、悪い思い出ばかりでは無いし、それに何度もいろんな人に話してきたから。でも、瓶いっぱいの金平糖を食べちゃうような食いしん坊さんにはお仕置きが必要かしら?
(もてあそばれながらも、何とか昭和26年の新京会戦について聞き出す)
侵攻直後こそ素早く支配地域を拡大したソ連軍だったけど、その勢いはすぐに弱まっていったわ。ドイツを倒す前に日本にまで喧嘩を売ったのだから当然よね(不敵な笑み)。ハイラルの時は手元にある物を全部投げつけるような戦い方しかできなかったわたしも、だんだんと味方NPCを死なせることに慣れていった。ーーー馬鹿だったわ、本当に。大人しく本土で新しい牧場を開けば良かったのに、とうの昔に失ったもののために足掻いてた。少しの苦い勝利とたくさんの惨めな敗北。それが新京会戦までの思い出の全て……(長い沈黙)
康徳18年(昭和26年)のあの日、ソ連軍のたくさんの戦車が満洲國の首都新京のすぐそばまで迫っていた……うふふ、『たくさん』とか『すぐそば』とか曖昧な言葉を使うな、って司令部のPCはうるさかったけど『軍団』とか『師団』とか、そんな単位はわからないし数を数えようにも多過ぎてお手上げなの。でも、わたしの仲間のことは今でも覚えてる。ハイラル義勇隊、301名整列!(立ち上がって点呼。301のNPC名を全て)わたし、学生の頃は体育が得意だったのよ。
それでね、新京会戦何だけど、ほとんど記憶にないのよ。直前の威力偵察を成功させた後はソ連軍の砲撃でもう滅茶苦茶。ソ連軍に砲兵陣地を作れるだけの時間を与えてしまった時点でわたし達の、新京守備の任に着いた約8万人の枢軸軍の敗北は決まっていたのね。サーバーが落ちて、ついに復旧しなかったからボロは出なかったけどね。ーーーそうだ!わたし、クーゲルパンツァーに乗ったのよ!聞きたい?うふふ、あれはね、全然役に立たなかったわ‼︎
(以上でかぶ地主氏へのインタビューは終了した。しかし謝礼として山菜採りの手伝いを行なっていた時、彼女はそっと隠し持っていた十四年式拳銃を見せてくれた。『WW2・オンライン』と『開拓者の詩』のアバターの規格が同じであるためデータ引き継ぎの際にアクセサリーとして残ったと彼女は言ったが、そのような例は他に聞いたことがない。)