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冷え切ったお茶を啜るのはこれで何度目になるのだろう。
私は朝早くから店と居間を隔てる扉を開け放ち、ソファに座って新作の薬草茶をお共にアンスさんとニコラの帰りを待っていた。
早馬での往復は体力がいるしきっと疲れているだろうと思って、はりきって朝食も準備した、のだが――
「……全っ然帰って来ない!」
既に陽は登り、もうすぐ一番高い位置へと到達する。
いい加減私は広場へ移動しなくてはいけないけど……二人が帰ってきてないのに勝手にケリをつけていいの!?
気もそぞろになって店の入口の方に聞き耳を立てるも、扉を叩く音も馬が駆けて来る音も一向にない。
苦悶の表情で入口を眺めているとシンティオとサンおばさんが台所からやって来た。
「そう心配するでない。二人は必ず戻って来る」
「シンティオの言う通りさね。ルナはいつも通りにしとけばいいのさ!」
二人とも私が垂れ流している不安の空気を感じ取ったのか、吹き飛ばすように明るい声で話し掛けてくれた。
「お店のことは黄金のリンゴがあるから大丈夫だって分かってるよ。だけど……」
アンスさんとニコラが帰って来ないと悪魔の爪の件は決着がつかない。
私のお店だけが無事になったとしても悪魔の爪を止めることができなければこの町にいる以上、いずれ市場に出回った毒麦が混ざった小麦粉を口にすることになる。
この先、いつ病が発症するか戦々恐々と暮らすなんてごめんだ。
膝の上でじっとりと汗が滲む拳を握り締めていると、シンティオが隣に腰を下ろして私の拳を包んでくれた。
「大丈夫なのだ。いざとなれば我やサンドラが不利にならぬようなんとかする」
シンティオの柔らかな体温がじんわり伝わってくるのを感じていると、不意に少女のような可愛らしい声が直接頭に響く。
『二人を信じて』
短い言葉ではあったけれど、まさか月長石にまで励まされるとは思っていなかった。
そんなに今の私は弱々しく見えているのだろうか……。
ええい、いつまでめそめそしているんだ私。女も度胸よ!!
負け戦を進めるわけでもないのにこんな弱気じゃ勝てるものも勝てない。二人が間に合うように私が時間を稼げばいいのよ。
私は両手で頬を叩いて「よし!」と大きな声で意気込むと、立ち上がった。
急に大声を出したからシンティオが身じろぐ。が、いつもの調子に戻ったと分かるとそっと離れた。そして黄金のリンゴの入った横掛け鞄を持って来ると、私の肩に掛けてくれる。
私はお礼を言うと軽やかな足取りでお店の入口まで移動した。
「それじゃあ二人とも応援しててね」
見送ってくれる二人に向かって手を振ると、腰に手を当てたサンおばさんが鼻を鳴らす。
「勿論だよ。アタシャ、ルナが賭けに勝つ方に有り金はたいたんだ。勝ってこなきゃただじゃおかないよ」
昨日あんなに金貨を荒稼ぎしたというのに……どれほどお金に執着しているんですか。
内心ツッコミを入れるけれど、相変わらず欲望の尽きないサンおばさんに何故かほっとする。
私は含み笑いをしてから行ってきます、と元気な声で言うと広場へと向かった。
晴れ渡った真っ青な空の下、町の広場中央にはご丁寧に商業組合が準備した長方形で木造のステージが設置されている。それを囲うように大勢の人が集まっていた。
大きな町だから賭けの決着の日が早まったことなんて知らない人が大半だと思っていたけど、情報は直ぐに行き届いたらしい。
人の多さに眉を上げながらぐるりと広場を見回す。
大半は見物客だが、残りは商業組合に所属する関係者や商人たちで、彼らはステージの前を陣取っていた。既にステージには元恋人が立っていて、その脇では勝ってもないのに祝い酒として振るまうための酒樽が準備されている。
私は短く息を切って横掛け鞄を肩に掛け直すと、中央のステージへ向かって歩き始めた。最初は応援に駆け付けた友人たちや店の常連さんたちからエールをもらい、それに応えるように手を振った。しかし、ステージに近づくにつれて応援の声はなくなり、芳しくない状況になる。
「おい、あの女が来たぞ!」
決着の日を決めたのは私だし? 本人が来ないと始まらないよ?
「どの面下げて来れるんだ」
どの面ってこんな面ですが……何か?
黄金のリンゴの賭けのはずなのに、何故私への断罪イベントにすり替わってるの!? 私は必要悪じゃないからね?
「気をつけろ! その女はしけた面に似合わず俺らの組合長を誑かした快楽至上主義の卑猥な女だ」
あらあらまあまあ周囲への注意喚起どうもありがとうございま……って、おい!
誰が顔に似合わず快楽至上主義の卑猥な女だ! 誰が!!
言っときますけど私だって好きでこんな顔に生まれてきたわけじゃ……おっといけない、いけない。他人の根も葉もない悪口にいちいち構ってられないわ。
昨日シンティオに言ってもらった言葉がなかったらまた誰かと自分を比べて劣等感を抱いてしまうところだった。まだ比較する癖は直らないけど、それでも私は今の私で大丈夫なんだって思える。
たったそれだけのことだけど、周りの野次が意味をなさない音のように聞こえる。
階段を使ってステージへ上がれば、元恋人が勝ち誇った顔で腕組をして仁王立ちしていた。
「フンッ、覚悟はできてるか? 泣いても縋っても、おまえの店は今日限りで終わりだ」
まったく、この男の自信はどこから来るのだろうか。
半眼で相手を見据えていた私は一度目を閉じて深呼吸をする。
「さて。神様はどっちに味方してくれるだろうか……」
再び目を開ける。
誰にも聞こえない声で呟き終わるが早いか、教会からは昼を告げる鐘の音が鳴り響いた。




