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入口ではマッチョな組合員が商館の中から出てきた私を見て青褪めていた。忙しなく商館とこちらを交互に見た後、慌てて中へと入って行く。
何も盗んでないから安心して。強いて言うならマッチョさんが元恋人に怒られるか、最悪首になることくらいかな。理不尽な目に遭わないようにと祈りながら、マッチョさんの背中を見送る。
彼の姿が見えなくなると、私は踵を返した。
店は賭けの決着を控えているので休みにしている。
首に下げていた鍵でドアを開け、中に入るとサンおばさんが奥のカウンターでいつも以上に不気味な笑い声を上げて金貨を数えていた。
「クケケケケッ。金貨が二十九枚~、金貨が……三十枚ぃぃ!! 嗚呼、この金貨は全部アタシんだよ。びた一文誰にも渡しゃしないよおお! ウケケケケッ!!」
どうやら守銭奴婆モードに突入してしまったらしい。
これはサンおばさんの機嫌が最高潮に達した時にのみ発する笑い方で、それが発動するのは賭博で大儲けした時か作った薬で大儲けした時のどちらかである。とどのつまり大金を手にした時にしか発動しないレアなおばさんだ。
「サンおばさん、その大量の金貨はどうしたの?」
私は腰に手を当てて呆れ顔で尋ねる。
先日酔いつぶれたかと思えば翌朝には姿を消しているし、再び現れたかと思えば今度は抱えきれないほどの金貨を手に喜悦の含んだ声で数えている。
彼女はこちらを見向きもせず、数え終えた金貨を皮袋にしまいながら答えた。
「これは薬の代金さね。あんな使い道のない薬でも欲しがるもの好きな人間がいるんだから世の中捨てたもんじゃないねえ!!」
無価値な商品がお金に、しかも高値で売れたのだからご満悦なのはしょうがないのかもしれない。ただずっと不気味に笑っているのは怖いけど。
「高値で買ってもらえて良かったね。ところでシンティオは? 居間の方にいるの?」
私は店から居間へ移動してシンティオの姿を探す。
いつもなら私が帰って来れば出迎えてくれるのに今朝は一向に現れない。
もしかして私が単身で商館に乗り込んだから拗ねているのだろうか。
シンティオは賭けの関係者ではないし、黄金のリンゴを盗まれないように守り手として店に残ってもらった。
「シンティオー?」
階段下から声を掛けてみても二階からは返事も物音もしなかった。
「あの子はここにはいないよ」
袋口をしっかりと紐で結んだ金貨の袋を、愛おしそうに頬擦りするサンおばさんがやって来た。
「どこに行ったのか知らない?」
「さあね。だけど朝方そこの紙切れを人相の悪い男が持って来てね。あの子はそれを読んで出て行ったよ」
ソファには一通の紙が置いてある。
私はそれを拾い上げると書かれている文章に目を見開いた。
『本日、邪魔が入らない水車小屋にてあなたがお越しになるのをお待ちしております。九時を告げる鐘の音が鳴り終わる前に一人でお越しください』
……これ、滅茶苦茶下手に出ているけど所謂果たし状ってやつでは!?
シンティオ、一体いつの間に怨まれるようなことを!? もしそんなことをしたなら、きっと私絡みの何かしらを対処してくれたんだと思う。
彼は喧嘩に強いのだろうか。
あんなに白くて優男のシンティオが拳で語るようには見えない。
男たちに襲われて袋叩きにあっていたら、と想像しただけで慄然とした。
「サンおばさん、シンティオのところに行くからリンゴをよろしくね!!」
私は勝手口から飛び出して水車小屋へと急いだ。
*****
水車小屋は白霧山と町の間にある放牧区域にある。
私は息を切らしながら丘を登り、柔らかい草を食む牛や羊の群れの間を通りながら町の方を見た。
どの建物よりも一際高くそびえ立つ教会の時計台。時計の長い針が丁度十二を指し、けたたましい鐘の音が響き渡る。
音に驚いた白鳩の群れが一斉に時計台から飛び立つのが見えた。
私は再び前を向いた。どうか、シンティオが無事でありますようにと祈りながら……。
水車小屋に到着した頃には既に鐘は鳴り止んでいた。
来るのが遅かったのか辺りに人影はなく、激しい口論も物音もない。
聞こえてくるのは長閑な川のせせらぎと水車が立てる水音だけ。
「どこに、いるの?」
綺麗な顔だから袋叩きにされた挙句、捕縛されて人攫いに売りつけられる可能性だってある。竜の国以外で力を使うのは本来ご法度のようだし、また欲にのまれたら今度こそ死んでしまう。
嫌なことばかり想像してしまった私は不安を掻き消すように頭を振る。
息を整えながら小屋の周りを歩いていると、風に乗って微かに角の向こうから話し声が聞こえてきた。
私は小屋の壁にぴったりと身体をくっつける。
まずはシンティオが無事なのか覗いて確認しなければ。それからもし捕まっていたら私がこの手でボコボコに……って、あ。
ここで重大なことに気がついた。
私、必死過ぎて手ぶらですがな。これじゃあシンティオを助けられないじゃないの!
戦闘力ゼロだし、女の武器ってなんですかソレ? うわああん、色気なんて母のお腹にうっかりすっかり置いて来たっていうのに!!
頭を抱えてどうしたものかと唸っていると突然、女性の甲高い悲鳴が上がった。
びっくりして飛び出すと、シンティオと何故かそこにはブルネット女がいる。
彼女の頭のてっぺんからつま先まで大小問わず無数のクモが纏わりつき、服の中にも外にもへばりついていた。数が多すぎて自慢の雪のような白い肌がほとんど見えない。
幾度となくクモを手で払っても、クモは糸を使って彼女の元に戻って行く。
正直、あまりにも気味が悪くて足が竦んでしまった。
「ヒィッ! いやっ、離れなさいよ!! い、いやああああっ……!!」
ブルネット女は泣き叫びながら町の方へと走り去ってしまった。
「た、助けなきゃ!」
漸く足が動くようになって、ブルネット女を追いかけようとすると、シンティオに腕を掴まれる。
「あれはあの女が自滅しただけのこと。直にクモもいなくなるから助ける必要もない。……それより何故ルナがここにおるのだ?」
黄金の瞳には困惑と驚きの色が浮かんでいる。私がここに来たことは迷惑だったようだ。
私はシンティオから視線を逸らすと気まずげに頬を掻いた。
「えっと、その。果たし状が届いてたから心配になって来たんだけど。あれってよく考えたらラブレターだよね。その、ごめん。私の勘違いだったみたい……」
人の恋路を邪魔しに来たようで、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。頭を下げて謝ると、シンティオからは意外な言葉が返って来た。
「いや、あれはあの女からの果たし状なのだ。今回であの者も懲りただろう。もう心配あるまい」
「え、そうなの?」
確かに、告白ならあのよく分からない状況にはならないか。
「うむ。そしてルナが心配して来てくれて我は今とても嬉しい」
シンティオは深く頷くといつものように優しく微笑んでいた。
私もつられてはにかむように笑った。
すると何故かシンティオに間を詰められて、がっしりと両肩を掴まれる。
「ん?」
見上げると、彼は先程よりも満面の笑みを浮かべていた。
何だろう、この笑みを浮かべる時は大概私にとって良くないことが降りかかる気がするんですけど。
「話は変わるがルナよ、今日はマーキングがまだだったのだ。そして素晴らしいことにここには誰もおらぬ」
分かるであろう? そんな風に目が語っている。
「は、あははは……」
乾いた笑いをこぼす私の背中には嫌な汗が滲む。拒否権などなかった。
私はこの後、シンティオからたっぷりのマーキングを受けることになってしまった。




