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 暗雲が立ち込めて覆われたような気分になり、私とニコラが沈鬱な顔つきで黙り込む。

 知らず知らずのうちに毒麦入りのパンを口にして、病に侵されて死んでいく……。想像しただけでおぞましい。

 シンティオはテーブルの麦束の一つを持ち上げるとそれを親指と人差し指の間で回して弄ぶ。


「二人とも何故そんな暗い顔をするのだ? 考えてみよ、昼間に町の外から続いていた行商人の行列は何であった?」

 肩を竦めるシンティオは持っていた麦を私の目の前に置いた。

「昼間の行商人」と反芻したところで、私はあっと声を上げる。

「荷は全部麦束だったわ。そうか! あれは全部毒麦だったんだ!」

 私がシンティオに答えの確認をすると、彼は正解だと頷いた。


「つまりまだ小麦粉にはなっていないということだ。今は集めている段階なのだろう」

 ニコラは『麦束』というキーワードを耳にして眉間に皺を寄せた。

「怪しい行列の荷は全て悪魔の黒い爪が宿った麦束だったってことですよね? 僕は農村出身者ですが、市場価値のない粗悪な麦束を買い取ってくれる心優しい商人は存在しません。神様でもなければ手は差し伸べてくれない。だって彼らは常に損得勘定で動く生き物ですから」


 商人は、わざわざ品質の悪いものは絶対買わないし売らない。店の名前に傷がついては困るから、在庫にそんなものがあればすぐに廃棄処分する。

 毒麦という不利益にしかならない商材を、何故行商人が買い付けるのだろうか。

 ニコラはその点に疑問を抱いているのだろう。そしてそれは私も同じだ。

 あれから生まれる利益とは一体何だろうか。思案していると、ニコラが自分の考えを述べる。


「もしかして彼らは、自分達で安全な小麦粉の在庫を抱えておいて、悪魔の黒い爪が混じった小麦粉をばら撒こうとしているのでしょうか? 領内に病が広まった時、純度の高い小麦粉は値段が跳ね上がって高く売れますから。いや、でもそれだと……」

 自分で言っておきながら違和感を覚えたニコラは、最後になるにつれて尻すぼみなった。

 彼の考えもあり得るかもしれないけれど、実行するとなるとかなり時間が掛かる。

「きっと他に思惑があるはずよ。でもそれが何か分からない……ああ、もう!」


 私は側頭部を掻いた。分かりそうで分からない、この何とも言えない歯痒さに苛立ちばかりが募っていく。

 私とニコラが真剣に悩む一方で、シンティオが突然くつくつと笑い始めた。どこか哀愁が漂っているのは気のせいだろうか。



「何? 一体どうしたの?」

「いやあ、いつの世も賢者たちが築き上げた繁栄は愚鈍な権力者によってすぐに潰されてしまうと思っただけなのだ」

 言っている意味が分からなくて、ニコラも私も頭の上に疑問符を浮かべる。

 シンティオは小さく息を吐くと、表情に皮肉な色を滲ませた。

「もし我が商業組合の長ならば毒麦は領内にはばら撒かぬ。病の発症までの時間が掛かるゆえ、なかなか利益は出ぬからな。だが、それをすると儲かる者たちがいるのも確かだ」

「みんなが病気に罹って儲かる人なんている?」


 普通なら病人で儲かるのは医者か薬師だ。だけどこの病は転地療養以外に手の施しようがないから、どちらとも儲けにはならない。

「儲ける者はおる。そしてその者に、恐らく元恋人は脅されているのだろうな」


 元恋人の商業組合は領内において自治権を付与されている、実質ナンバーワンの組合だ。他の商業組合に脅せるような力はないし、その前に元恋人に潰される。

 ましてや領主様が脅すようなことはしない。それに彼なら警告を出すだろうし、是正がなければサクッと自治権を剥奪するだろう。……というか、その前に領主様は現在進行形で行方不明だから何かできる状況ではない。


 シンティオは畳み掛けるように言った。

「病気をして手の施しようがなければ、人間は皆救いを求めるだろう? 縋るだろう?」

「待って、待って。それって……」


 導き出された答えに私の全身が震撼した。

 信じたくない、と何度も小さく首を横に振るが、シンティオは真顔で私を見つめるだけ。

 するとニコラが私の代わりに震える声で答えた。

「……商業組合の背後にいるのは――教会権力者。この領の各教会を取り仕切っている司祭様です」


 治らない病気に罹れば皆、神様に救いを求めて教会へ行って礼拝する。それを逆手にとって、神に仕えるはずの司祭様が、己の私腹を肥やす為に寄付金を集めようとしている。

 ここまで来ればもう誰を信じて良いか分からない。私は自分自身を抱きしめて腕を摩った。



「なるほど。今回の事件は教会が背後にいるんだねえ」

 不意に台所の入り口から声がして身体を向けると、ドア枠に寄り掛かるようにしてアンスさんが立っていた。髪を下ろしているので顔は毛で埋もれている。


「アンスさん? いつからここに!?」

「えーと、悪魔の黒い爪が出てきたところからかな?」

「それ、ほとんど話の最初じゃないですか!!」

「喉が渇いて目が覚めて、降りてきてみれば面白い話をしていたから。邪魔にならないようにしたんだ。盗み聞きなんて行儀の悪いことをしてすまない。だけど、私もシンティオ君の答えが有力な気がする。……面の皮が厚いだけが取り柄のブタ司祭ならやりかねない」


 今、ボソッとまあまあ酷いこと呟きませんでした?

 表情が分からないから余計にアンスさんが怖く感じる。

 ニコラに手を貸してもらってアンスさんは椅子に腰を下ろす。


「さて今後の行動についてだが、私に考えがあるので聞いてもらいたい」

 それはたった数分のうちに考えついたものとは思えないほど、十分に練られた計画内容だった。



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