34 ブルネット女2
嗚呼、あの白銀の貴公子は一体どこの誰なのかしら!
鼻筋の通った白皙の顔、凛々しい黄玉の瞳。
高尚なオーラを纏ったあの青年を思い出す度に胸が躍るわ!
屋敷に戻ると、簡単に昼食を済ませた私は今まで使っていた化粧品や服をすぐさま処分した。もっと上質な化粧品や、彼の美しさを惹き立てる色の服を身に纏わなくては相応しい女になんてなれないもの。
着ていた服も婚約者好みの胸元が開いたものから、首元まで詰まった清楚感のある生成り色のワンピースに変えた。
次に私は商館へと向かった。様々な情報が飛び交う場所なら、きっと誰かが貴公子の情報を持っているかもしれないもの。
彼の素性を調べるなら保管室が一番手っ取り早い。あそこには貴族の帳簿が管理されているはずだし、そこから各貴族が何を買ったのかを把握すれば、自ずと家族構成や年齢が分かってくる。
本来、保管室は商業組合長と書記官しか入れないところだけれど、今や婚約者が組合の実権を掌握している。こっそり私が入って見つかっても適当に理由をつければ怪しまれることはないわ。
商館に到着して馬車を下りると、教会の方角からやって来る黒い集団が視界の端に映った。そちらに視線だけを向けると、その集団の中に婚約者の友人である二人組がいた。
町の人に付き添われる形で歩いて来るのを見て、私は何も見なかったように視線を商館に戻した。
口自慢の仕事下手の彼らはいつも揉めごとを起こす。変なことに巻き込まれている時間はないし、近寄らないことが得策だわ。
けれど、普段と雰囲気の違う彼らが気になってもう一度視線を向けた途端、私は目を丸くした。
だって、いつも身なりだけはきちんとしていたあの二人組が農夫のように泥にまみれてくすんでいるんだもの。
私と同じく異様な光景に気づいた組合の者たちが慌てて町の人から二人組を引き取った。
半ば引きずられるようにして私の目の前までやって来た二人組は、まるで冷水でも被ったかの様な血の気のない蒼白い表情をしている。酷くやつれた印象に、目は虚ろでどこを見ているか分からなかった。
ふと、二人組のうち一人の肩の上で何かが動いているのを私は見た。
「あら、あなた。肩にトカゲが乗っているじゃない……」
商館にトカゲを入れない様に注意の言葉を口にしようとした途端、肩にトカゲを乗せていた男がそれを見て絶叫した。
「うわあああああああああああああああああ! や、やめっ……やめてくれ!! 早くこれを取ってくれええええ!!」
鼻水を飛ばし、子供のように泣き喚く男を見て、私は不快感を持った。貴族の娘である私が傍にいるのに、なんて無作法な男なのかしら。
それにどうしてトカゲくらいで怖がるのか全く分からない。
あんなに可愛い見た目で、私の大嫌いなクモやハエなんかの虫を好んで食べてくれるのに。
もう一人はというと、手で顔を覆って指の間から血走った目でトカゲを凝視している。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……怖い怖い怖い怖い怖い。トカゲも蛇も爬虫類は…………ヒヒヒッ」
うわ言のようにブツブツと呟き続けた後、悪魔でも憑りついたかのような不気味な笑い声を上げ始めた。
この二人、つい先日までその辺でトカゲを集めていたはずだけど、一体何があってここまで恐怖を抱いているのかしら?
程なくして、トカゲは自ら男の肩から地面に飛び降りると俊敏な動きで明後日の方向へと消えていった。それでも二人の喚く声は一向に止まない。
二人組を支える組合の者たちは顔をつっと引きつらせて、早く解放されたいと言わんばかりに肩を竦めていた。
ふと、背後から感じる視線に気が付いて私は後ろを振り返った。すると、いつの間にか好奇心旺盛な野次馬が数人集まっていた。
ここは商館の正面入口の前、変な噂が立って貴公子の情報が手に入りづらくなっては困る。
「何をしているの? 早くこの二人を中へ入れてちょうだい!」
顎でしゃくって言うと、組合の者たちが再び引きずるようにして二人組を中へと連れて行った。
その後は商館の外も中も二人組の件で慌ただしくなって貴公子の質問をするどころではなくなってしまった。反対に二人組の話は嫌でも耳に入って来た。
なんでも、神聖な教会敷地内で二人組が愚行を働いた結果、大量の蛇を呼び寄せてしまったらしい。蛇で身体が埋もれた二人組を発見したシスターはあまりのおぞましさに悲鳴を上げて気絶するほどだったとか。
司祭様は神聖な教会敷地内を悪戯の場にされたと酷くお怒りらしく、今は組合幹部が謝罪対応に奔走している。
婚約者は厳しい顔つきで執務室の豪奢な肘掛け椅子に身を沈め、二人組の処遇について残りの幹部たちと話し合っていた。
今まで友人だからと言って何の戦力にもならない二人組のために婚約者は顔を立てきた。けれど、今回は教会というどうにもできない領域で起きてしまった。
さらに報告者によれば当の二人組は錯乱状態で会話が成り立たない精神状態なので暫くは療養が必要とのこと。
どのみち、ここまでやらかしてしまったのだから組合からの破門は避けられないだろう。
ことの成り行きをある程度見守った後、私は今が好機と捉えて保管室へ向かった。
皆の意識が二人組の件に向かってくれているおかげで堂々と入ることができた。
そして、目的の帳簿を見つけると、私は白銀の貴公子がどこに家の出身なのかを調べ始めた。




