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 私は驚いて目を見開いた。

 それはサンおばさんの言葉にではなく、自分の心臓が大きく跳ねたからだった。得体の知れない感情が胸の中でぱっと弾け、奥底にまで広がっていく。

 そっと胸元に視線を落として手をあてたけれど、これが何の感情なのか分からない。焦燥感に駆られ、露骨に顔を歪めてしまった。



 サンおばさんは持っていたすりこぎ棒を置いて小さく息を吐くと、居住まいを正した。

「今までアタシが竜だって黙っていたのは言う必要なかったからだよ。本来、アタシは一度訪れた場所は五十年以上経たなきゃ再び訪れない。竜と人では生きる時間が違うから長居するといずれ歳の取り方に差異が生じて怪しまれる。だから数年過ごしたら別の遠い場所へ移っていた。でも今回ここに戻って来たのは、あの子を竜の国へ連れ戻すよう竜王から頼まれたからだよ」


 竜王からの頼みと聞いて、私はいたって冷静だった。ずっと疑問に思っていたシンティオの薬草や生き物に関する知識、教養の高さから何となく察しがついていた。

 彼は人間でいう王族貴族の階級にあたる竜なのだろう。そしてサンおばさんもまた、竜王と口が利けるほど位の高い存在といえる。シンティオが初代竜王の末妹と言っていたし、現竜王の血縁者なんだろうか。


「サンおばさんは現竜王とどういった関係なの? 現竜王はサンおばさんの子供?」

「人間の王族のような世襲君主制なんてのはないよ。竜は王が死ねば次に最も強い者が王になる。だから現竜王と血は繋がっちゃいない。けど仕えてはいる」


 サンおばさんは両肘をテーブルについて手を組む。

 何かを言うか言うまいか躊躇っている様子だった。やがて、決心が固まったのか強面で険しい表情をより一層きつくさせ、低い声で言った。

「アタシはね、表向きは放浪薬師なんてことをしているけど、本当は人間の国の動向を探るために各国を渡り歩いているんだ。人間は単体としては弱いが寄り集まればいろいろと厄介だ。万が一に備えてアタシや他の者が常に目を光らせているんだよ。ま、アタシの場合は竜の国の生活よりも人間の国の方が性に合ってるってのもあるけどね」




 外は風が出てきたのだろう。窓の戸の揺れる音が聞こえてきた。

「――それで、ここまで手の内を明かしたんだ。その意味をルナはもう分かってるんだろ?」

 鋭い視線を向けられて私は身じろぎすると曖昧に笑った。

 竜の国の習慣や政治なんて全く知らないからどう応えていいか分からなかった。けれど、竜王がシンティオを連れ戻すようサンおばさんに頼むくらいだから、重要な役どころにいることは簡単に想像がつく。

「竜王とシンティオは主従関係で結ばれていて、彼がいないと政治が回らず、逼迫した状態になってしまうとか?」

 でもやっぱり自信がないので語尾にクエスチョンマークをつけた。サンおばさんは正解、というように大きく頷いた。


「二人は主従関係という言葉で説明できる関係でもない。……竜王にとってあの子は特別な存在なんだ」

「特別?」

「白い竜というのは竜の中でも珍しいんだよ。もともと竜というのは火や水、風、地なんかの自然の力を操る力を持って生まれる。けど、白い竜というのはその力を持たず、とても弱い。代わりに今日あったみたいに他人の心の声を聴くことができる。竜王の側近として反逆者がいないかどうか相手の心を読んで探るのが白い竜の役目なんだ」


 途端に考えるよりも先に言葉が口をついて出ていた。

「それのどこが特別なの!?」

 単に竜王は政治目的でいいようにシンティオを利用しているだけじゃないか。

 彼を必要としているのは己の玉座を守るため。側近なら竜王を諌めることはできても聞き入れられなければ嫌でも従わなければならない。

 己の玉座が心配で傍に置いているなら他の竜より弱いシンティオを守ればいいのに。



 私は震える唇を舐めて掠れる声で言った。

「私が初めて会った時、シンティオを探している仲間らしき竜なんていなかった。シンティオも暫く竜の国へは帰れないって言ってた。また竜の国に帰って……彼に居場所はあるの?」

「そう思ってるのはあの子だけだよ。竜王はいなくなったことを怒ってはいないし戻ってくることを切望している。寧ろあの子がいなくて困るのは竜王よりも他の側近だね。――それにあの子の婚約者だって会いたがってる」

 話し終えたサンおばさんを前に私は目が点になった。

 考えもしなかった言葉に眩暈と激しい耳鳴りに襲われる。



 ちょっと待って。シンティオには婚約者がいたの? それなのに私を抱き締めたり、キスしたりしたの?

 不誠実な振る舞いをしていたのかと腹の底から怒りがふつふつと湧いてくる。けれど、よく考えれば最初からシンティオはマーキングとそうはっきり言っていたじゃないか。あれは私の位置を把握するためにしただけで愛情表現なんかじゃなかった。


 なんだ、私は……私だけがシンティオの言葉や行動に翻弄されていたんだ。

 ――――――ほんと、キスされたくらいで舞い上がるなんて馬鹿みたい。

 強く唇を噛み締めると、俯いた。膝の上に乗せている拳を固く握りしめれば、目頭が熱くなる。そしてまた、胸の中が得体の知れない感情で埋め尽くされていく。

 これが一体何なのか分からなくて苦しくて、それに比例して耳鳴りは激しさを増していく。

 もう、考えるのを止めよう。目を閉じると心を支配する分からない感情に蓋をする。激しく鳴っていた耳鳴りが徐々に引いていった。




「――……ナ。――ルナ?」

 正気に戻った私は目を開けて顔を上げた。ほんの一瞬のことだったのに長い間悪夢に魘されていたみたいだった。額には嫌な汗が滲んでいた。

「大丈夫かい? 顔色が悪いよ」

 私は無理に笑って大丈夫だと答えるしかなかった。


 そうだ、元恋人に振られた時から分かってた。所詮、人間は一人だ。

 私にはもう私しかいない。


 私は強く(かぶり)を振ると、両手で両頬を叩いた。思いのほか勢いが良すぎて痛い。

「……黄金のリンゴの件が終わるまでシンティオを借りてもいいかな? リンゴの木は人間じゃ行けないところにあるし、シンティオもリンゴが必要みたいだし」

 サンおばさんは私の行動が分からなくて狼狽えている様子だったけれど、すぐにいつもの調子に戻った。


「ああ、構わないよ」

「ありがとう」

 私は一度も口をつけていない木製のコップを握ると、一気に飲み干した。

 焼けるような感覚とツンとしたアルコール独特の匂いが鼻につく。


 それ以上会話のないまま、私は寝室へと踵を返したのだった。



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