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皆が寝静まった夜もかなり更けた頃だった。辺りはしんと静まり返って、耳を澄ませば無数の星の瞬きが聞こえてきそうだ。
雲一つない濃紺の空が美しい夜にもかかわらず、私は二階にある自室のベッドの上に座り、顔に枕を押し付けて断末魔めいた奇声を上げていた。
これで一体何度目の奇声だ。数えていないけれどざっと三十は超えているんじゃないだろうか。
心の中でぽつんと呟けば、その原因である昼間のできごとが頭の中でフラッシュバックする。
「うぎぃあああああああ!!」
枕を押しつけたまま横に倒れると、じたばたと両足を動かしながらのたうち回った。そのさまはまるで悪魔に憑りつかれてもがき苦しんでいるよう。こんなところをもしも誰かに見られれば、あまりの恐ろしさに教会へ駆け込んで悪魔祓いに助けを請うだろう。
私は苦しくなって酸素を取り込もうと枕から顔を上げた。
顔が火照っているのは酸欠になってなのか、昼間のことを思い出してなのか分からない。いや、言われなくても答えは出ている。けれど、恥ずかしくて認めたくなかった。
教会墓地入り口でキスされた後、私はシンティオと一言も口を利かないまま距離を取って逃げるように店へ戻った。
サンおばさんからシンティオが店番から抜けたことで売り上げが下がったと嘆かれたような気がするし、その後ご飯も食べたような気もする。けれど全てが霞んでしまっていて、いまいち思い出せない。
思い出そうとすると、墓地入り口のできごとが色濃く浮かび上がってきて、そのたびに私の顔は熱を帯びた。そのせいで思考が完全に覚醒してしまって未だに寝られずにいる。
明日は白霧山に帰って黄金のリンゴの薬を作らなければいけない。必然的に起きる時間は早くなるし、いい加減寝ないと明日の作業に支障をきたしてしまう。
確か、台所に行けばサンおばさん特性の眠り薬があるはずだ。あれを飲んでさっさと寝てしまおう。
私は深くて長い溜息を吐くと、ベッドから下りて枕元にある携帯用の蝋燭に明かりを灯した。それを持つと扉をそっと開けて廊下へ出る。向かいには来客用の部屋が二つあり、サンおばさんとシンティオが寝ているはずだ。
築何年かは知らないけれど生まれてからずっと住んでいるこの家は雨や風に打たれ、至るところの木材が反ってしまっている。そのため、慎重に歩かなければギシリ、ギシリと大きな悲鳴を上げて二人を起こしてしまう。
私は音をたてないよう、神経を尖らせてゆっくりと廊下から階段、階段から一階の居間へ降り立った。すると夜中にも関わらず、奥にある台所から明かりが漏れていた。
半開きの扉からは竈に掛けられた鍋がぐつぐつと音を立て、湯気がこちらにまで漂っている。ツンとした薬草独特の匂いが微かに香り、馴染みのある匂いに誰が何をしているのか凡その見当がついた。
台所に近づいてひょっこり顔を出せば、予想通りサンおばさんが真ん中のテーブルで数種類の薬草を広げていた。立っているのが億劫なのか椅子に座って、それらをすり鉢に入れてすりこぎ棒で潰している。
サンおばさんは一瞬こちらに目を向けると、すぐに視線を戻して黙々と作業する。
一定の間隔で聞こえる鍋の煮えたぎる音とすり潰す音は不思議と小気味良かった。
ぼんやりとサンおばさんを見ていた私だったが、不意に大事なことを思い出してハッとした。ここに戻って来てからというもの、シンティオに意識が向いてしまっていた結果、サンおばさんにお礼がまだ言えていなかった。
自責の念が押し寄せるけれど、今は反省している場合じゃない。私は台所に入るとサンおばさんの脇に立った。
「お礼が遅くなってしまったけど昼間はシンティオに薬を持たせてくれてありがとうございました。おかげで助かりました」
深々と頭を下げると、フンとサンおばさんは鼻を鳴らす。
「別に構やしないよ。あの二人組は数日前から草原でこそこそとトカゲを集めているのを見ていたから、ルナが帰ってきら幼稚な嫌がらせをしてくると思っていたんだよ。ま、返り討ちにできたみたいで清々した。あんなおかしな薬でも役に立つとはねえ」
「おかしな薬っていう自覚あるんだ!?」
「あれはある貴族からしつこくお願いされて渋々作ったんだ。その時の副産物としてできたのがクモ用とネズミ用の魅了薬さね。完成した薬は納品したけどね、試作の蛇用の魅了薬と副産物は使うこともなくて処理に困ってたんだ。そんな折に二人組がやらかしてくれてこちとら大助かりだよ」
サンおばさんは二人組がどうなったのか想像しているのか楽しそうにイッヒッヒと笑い声を上げる。
本当に転んでもただは起きない人だと脱帽した。
「それでルナは眠れないのかい?」
サンおばさんのすぐ後ろにある棚へ移動して私が眠り薬を取り出した時だった。驚いて振り返るけれど、サンおばさんは変わらずこちらに背を向けて手を動かしていた。
後ろに目玉でもついているのか私が何をしているのかがバレバレで薄ら寒い。
「うん、目が冴えてしまって。でも薬飲めばすぐ眠れるから大丈夫だよ」
同じ棚から蒸留酒を取り出し、さらに隣の食器棚へと滑るように手を動かして木製のコップを取る。
胸元で抱えながらテーブルまで運ぶと私はサンおばさんの向かいの椅子に腰を下ろした。
コップに蒸留酒を注いで眠り薬を数滴垂らしていると、甲斐甲斐しく動いていたおばさんの手が止まった。視線を感じて顔を上げれば、彼女が目を細めて口を開く。
「――ルナはシンティオが随分とお気に入りみたいだねえ」
意味深なことを口にされて、私は危うく持っている眠り薬の瓶を落としそうになった。
慌ててそれをテーブルに置くと、咳払いをする。
「お気に入りって……親切にしてくれる相手がいたら好意を持つのも自然じゃない? あ、好意っていうのは恋愛感情的な意味じゃないから! 別に好きって意味じゃないから!!」
この言い回しだと私がシンティオを好きで恥ずかしくて必死に隠してるみたいじゃないか。
昼間のできごとによって動揺しているだけで、まず前提として私は爬虫類が嫌いだ。
よって導き出される答えとして『私は竜なんか好きにならない』だ!
どうやって誤解を与えないように説明をしようか悩んでいると、サンおばさんが身体を前に乗り出して真剣な眼差しを私に向けた。
「ルナ、アタシはアンタが可愛い。だから早く幸せになって欲しいって心底思ってる。でもねシンティオは、あの子だけはダメだ。諦めておくれ」
「へ?」




