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押し寄せた涙を零さないように何度か瞬きをして深く息を吐く。鼻の奥はまだツンとしているけれど、徐々に涙は引いていった。
シンティオは強引なところもあるけれど、私を気遣ってフォローしてくれるし、危険な目に遭うといつも助けてくれる。翼の怪我を治した恩返しにしてはもらいすぎだ。
何よりもこんなに過剰に優しくされると私はこのまま甘えてダメになってしまいそうで、胸の奥がすっと怖くなった。気をつけないと、そのうちシンティオなしでは生きられなくなってしまいそうだ。あまり気を許しすぎない方が良い。
様々な考えを巡らせていると、どうしたのだ? と心配そうにシンティオが尋ねてくる。
慌てて立ち上がろうと足を動かして膝を三角に折る。それと同じタイミングで釣り道具一式をシンティオに押し付けられた。
されるがままに道具を受け取ると、気づいた時には腰がふわりと浮いていた。三角に折った膝下にシンティオのほど良く締まった腕が通され、私を持ち上げている。
これは以前の竜姿のシンティオと違って最高に絵になるお姫様抱っこ。
しかし、顔の綺麗な人間のシンティオに対してヒロインが私では釣り合わない。よって前回同様、最高に残念なものになってしまった。
「ひぁっ! は、恥かしいから下ろして!!」
ジタバタと暴れるも、シンティオは放すまいと私を支える手に力を込めた。
「この辺りはまだルナの苦手な爬虫類がうじゃうじゃいる。墓地の入り口まで運ぶから少しの間我慢してくれ」
爬虫類がうじゃうじゃと言われては大人しくなるしかない。けれど、シンティオの顔が近すぎて目のやり場に大変困った。
そろそろ慣れてもいいはずなのに、何故か赤面してしまう。視線を何度も泳がせて自分の膝を眺めるという落としどころを見つけると、シンティオがゆっくりと歩き始めた。
墓地の入り口に辿り着くと言葉の通り、私は地面に下ろされる。ここは大通りに面している教会入り口の反対に位置しており、ひっそりとした場所にあった。
故人を連れて最後に一緒に歩く道は、両サイドに樹木が植えられているだけで民家もなく、人は滅多に通らない。
道を通るのはリスや野ウサギなどの小動物が多いようで、今もリスが地面に落ちた木の実を頬袋につめては忙しなく巣との往来を繰り返していた。
私はシンティオに向き直ると顔を真っ直ぐに見て、改めて感謝の言葉を口にした。
すると、シンティオは私が持っていた釣り道具を取り上げながら気まずそうに表情を歪める。
「いや、助けが遅れてしまった。もう少し早く着けばこんなことにはならなかった……」
悔しそうに唇を噛み締めるシンティオに私は激しく首を横に振った。
「ううん、遅くなかったよ。寧ろあの時助けに来てもらえてなかったら蛇に噛まれてただろうし。……でもどうして私が危ない目に遭ってるって分かったの?」
訊けば、マーキングは相手が数キロ離れていてもどこにいるか把握できるだけではなく、相手が危機的状況かどうかも分かるらしい。
「どうやって分かるの?」
「それはマーキングの匂いが劇的に変わるのだ」
何それ凄い! と目を輝かせたが、すぐに私は声を上げた。
とどのつまり繁殖期の蛇の体臭が変わる原理と同じということだ。それに気が付くと何とも言えない気持ちなった。
「今回の件は我の責任なのだ!! 山と違って町は安全だからと今朝はマーキングをちゃんとしていなかった。そのせいで匂いが薄く、辿るのに時間が掛かってしまった。だから……」
真剣な眼差しのシンティオは空いている方の手を私の肩に乗せて力強く握る。この後何をしようとしているか分かった私は表情が引きつった。
待て待て待て。いくら人通りがほぼゼロに等しいからってここであの執拗な頬擦りをするっていうの!? それだけは勘弁して欲しい!!
手を前に突き出して必死に制止を求めると、顔を近づけてきたシンティオが至近距離のまま不思議そうに首を傾げる。
「そ、そいういうの、恥ずかしいから!」
「む? 頬擦りはルナにとって恥ずかしいことなのか? でもマーキングをしないと今度はもっと助けが遅れてしまう。一応、人の姿ならばもう一つだけ手早くできる方法もあるにはあるが……」
え? あるならなんでもっと早く言ってくれなかったの?
一刻も早くこの状況から解放されたい私は口早に言った。
「他の方法があるならそっちでお願い! とにかく、頬擦りは嫌!!」
「本当にそれで良いのか?」
何故かもったいぶるように尋ねるシンティオに私は首を縦に振ると口を開いた。
「いいから早くして。というか、な……」
何をするの? と尋ねようとした私の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
チュッという音とともに温かくて柔らかいものが唇に触れる。
頭が真っ白になって茫然と立ち尽くしていると、私と対照的にシンティオは満足そうな笑みを浮かべた。
「人の姿だとこうやってルナの体内に我の体液を送り込むことができるのだ! 体外のマーキングよりも持続時間は長くなるし、一瞬で終わるし一石二ちょ……」
私は自分の持てる力を振り絞り、得意気に力説するシンティオの頬に乾いた音を響かせた。
「この人でなしいいい!」
いや、そもそもシンティオは竜だから人ではないんだった。
こうして大事な私の唇はロマンティックの欠片もない教会墓地入り口で奪われたのだった。




