21 ブルネット女1
私は赤ん坊の頃に、ある麦の大産地の村の長に拾われた。所謂捨て子だった。
夫妻には二人の子供がいたけれど、どちらも男。女の子を望んでいた夫妻は赤ん坊の私を一目見て養子にすると決めた。
何故ならその赤ん坊は雪のように白い肌、艶やかなブルネットの髪、目を引くほどに美しい顔を兼ね備えていたから。
「おまえはどこかの貴族の娘なのかもしれないわ。可憐で品があって美しいもの」
「いつか貴公子様が迎えに来るからそれまでに咲き誇るバラのように美しくなるのよ」
養母は貧しいだろうに私にはいつも高価な布で作った服を着せてくれたわ。そんな彼女は義弟を生むと流行病で死んでしまった。
家族で唯一の女になってしまったけど、家事なんてまっぴらごめんだわ。だって私は本当なら貴族の娘だもの。召使がする仕事で艶やかなブルネットの髪が埃と灰で輝きを失っては大変。丁度、義弟がいたから家事の一切を任せたわ。
村の長である養父は収穫した麦をどこの商会にいくら売るかを交渉するのが役目。いつも忙しなく働いていた。けれど、私のことになるとどんな仕事もそっちのけで駆けつけてくれた。二人の義兄もそう、私のお願いだったらなんでも叶えてくれるの。ただ、義弟だけは私に厳しくていつも文句を言っていたっけ。
年頃の娘になるにつれて、村人たちも私の美しさに惚れて次第に何でもお願いを聞いてくれるようになった。
「だっておまえは俺たちの大切なお嬢さんだから」
養父も義兄も村人たちも口をそろえてそう言った。ま、当然よね。だって私は貴族の娘だもの。運悪く村人に拾われてしまったけどきっと美しい大人になれば、貴公子が私を探しに来ると思ってやまなかった。
だけど、来るのは麦を買いつける行商人だけで、一向に貴公子は現れない。そもそも農村に貴公子は足を運ばない。そこで私は大きな町へ行くと決めた。
収穫期が一段落したある日、私は養父に村を出ると告げた。渋られたけど、最後には折れて旅費を持たせてくれた。
運のいいことに麦束を買いに来た行商人にがいたから、養父はお金を渡して町に連れて行くようにお願いしてくれた。
屋根のある馬車じゃないことに不満はあったけど、それでもこの行商人の御者台はしっかりとしていたので数日間の辛抱だと思って目を瞑ることにした。
なだらかな整備された道を行き、目的の町に着くと行商人は所属している商業組合の商館を案内してくれた。最後に館長室に入ると、中で仕事をしていた商館長は私を見るなり詰め寄った。
「おお、なんと美しい! どうだね、その美貌でうちの看板娘として働かないか?」
話を聞けば、最近看板娘だった女の子が辞めてしまったらしいく、後任がいなくて困っているようだった。私は本当なら貴族の娘だから労働は似合わないし、早く私の貴公子を見つけなければいけない。
「看板娘になればいろんな人と出会えるからきっと君にぴったりな人も見つかるんじゃないかな? それにいずれ旅費は尽きる。看板娘ならお金も溜まるし一石二鳥だよ」
旅費という言葉を聞いて残りの銀貨が頭をよぎった。日々のご飯代も宿代も考えると数日でなくなってしまう枚数であることは容易に想像できる。
「分かったわ。看板娘、やらせていただきます」
不本意だけれど、次の日から看板娘としての日々が始まった。看板娘の仕事は想像以上に簡単だった。肌触りの良い高価な布の服を身に纏い、商館を訪問する人に笑顔で挨拶をして館内の案内をするだけ。
私の美しさに惚れた商人たちは綺麗なアクセサリーや髪飾りをプレゼントしてくれたわ。沢山の商人に口説かれたけど、殆どが根無し草で収入の不安定な行商人。まずその時点で論外だった。
私と釣り合う貴公子はなかなかいないと、数ヶ月働いて諦めかけていた時だ。商業組合の組合長の息子が視察にやって来た。
彼は今まで見てきた男の中では最も顔の整った青年で笑顔が素敵だった。彼は私を一目見るなり雷でも打たれたような顔をして、暫く動かなかった。やがて、私に近づくと、手を取って甲にキスをして跪く。
彼は私にたくさんの愛を囁き、今までの商人と比べものにならないほどに豪華絢爛なアクセサリーをプレゼントしてくれた。私が欲しいと言えば、どんな高価な宝石も気前よく買ってくれたし、王都で流行っている服や靴も数種類取り寄せてくれたわ。程なくして求婚された私は看板娘を辞めて彼の町へと移った。
「俺はおまえを心の底から愛している。ただ、一つだけ困ったことがあるんだ」
いつになく顔を曇らせて言う彼。
話を聞くと、どうやら偏屈な年増の女に付き纏われ、挙句の果てには無理矢理婚約をさせられてとても困っているらしい。だから、彼女に諦めてもらえるように傍でずっと寄り添っていて欲しいと頼まれた。
「勿論よ、未来の旦那様。私たちの愛を阻む者は早く排除しなくちゃ」
二人してクスリと笑うと、熱い口づけをする。ああ、漸く思い描いた私の人生が花開くのね! とこの時はとても歓喜した。
待ち合わせの広場に着くと、年増がやって来た。これが私の彼に言い寄った女なのかとまじまじと観察する。
彼女は顔のパーツは整っているのに髪と瞳の色がくすんでいるせいでお世辞にも綺麗とは言えなかった。それに、私が暮らしていた村の女のように肌が日に焼けて白くもないし、肉付きも悪く細すぎて抱き心地が悪そうだった。こんな女と彼とでは不釣合いだ。
「おまえとの結婚は無かったことにしてくれ」
その言葉から始まり、彼は年増に諦めてもらうために辛辣な言葉をたくさん並べたてた。
正直、私が年増だったら泣き崩れるだろうに流石は唐変木、顔色一つ変えない。
それどころか年増よりも私の方が彼の発言に耳を疑った。
「たった今おまえにこの町での業務停止を執行する。おまえの店は俺の婚約者が明日から薬草店として経営するから出てってくれよな」
私が薬草店を経営する? 一体何の話か分からなくて、私は面食らって頭が真っ白になった。
すると、養母の声が頭の中で響いた。
『おまえはどこかの貴族の娘なのかもしれないわ。可憐で品があって美しいもの』
『いつか貴公子様が迎えに来るからそれまでに咲き誇るバラのように美しくなるのよ』
『おまえは貴族の娘で労働は似合わない。貴公子とは言ったけれど容貌や風采が優れている青年ではないよ。高貴な家柄の青年でなければ、おまえとは釣り合いが取れないもの』
『本当の貴公子が誰か、おまえなら一目で分かる筈。それまでこの男を利用するんだよ』
現実に引き戻されると、いつの間にか屋敷に向かって彼と馬車に乗っていた。
さっきの養母の声はなんだったのか。
未だに心の整理はできていなかったけど、彼の発言が単なるはったりかどうかは確認しておくことにした。
「ねえ、薬草店ってどういうことなの?」
「ああ、まだ話してはいなかったけど、将来的には薬草店の女主人になって欲しいんだ。おまえの瑞々しく吸い付くような肌なら信憑性もあって香油や薬草茶が売れる」
その答えを聞いて落胆した。貴族の娘の私を働かせる気でいるなんて本当の貴公子なら絶対にしない。
私は本当の貴公子を見つけ出すまでこの男を利用すると胸中で決意した。
それから数十日後、行きつけの服屋へ注文していた服を取りに行くと、私は運命の相手に出会ってしまった。
その人は私の婚約者よりも遥かに美しく、王子様のような気高さがあり、所作の一つ一つが品の良い白銀の青年。一目見て分かったわ、この人が本当の貴公子だって。
きっとどこかの貴族の令息に違いないわ。
私と漸く釣り合う青年。
ああ、うっとりするくらい綺麗な顔。
彼なら私の全てを叶えてくれるわ。
頭の中でたくさんの想いが稲妻のように駆け巡った後、私は群がる店員の女たちよりも通る声で貴公子に話しかけた。
「ねえ、そこの方。私に似合うドレスを選んでくださらない?」
こちらに気づいた貴公子は私の方をゆっくりと向く。けれど目が合った途端、貴公子の表情が強張った。私が一歩踏み出せば、寄るなという風に数歩後ずさる。
「……くい」
「え?」
「其方は……みにく、い」
醜い? この私が? 何を言っているのこの男は?
「私の何に不満があるの?」
戸惑いを隠せない私は落ち着いた声色で尋ねる。しかし、貴公子は理由を語らずに顔色を蒼くさせ、横に首を振るだけ。
「だから何に不満があるっていうのよ!?」
金切り声上げて私は心の中で怒り狂った。頭を抱え、纏めていたブルネットの髪を掻き毟る。
だって、欲しいものを何でも思うがままに手にしてきた私に初めて手に入れることも触れることもできない男が現れたんだもの。こんな体験は初めてで新鮮だった。
ふと、我に返った私は鏡に映る自分を見てあることに気が付いた。
そうか、私は貴公子に相応しい女になるためにもっともっと自分を磨いて美しくならなければいけない。
いつの間にか貴公子は店からいなくなり、気まずい表情の店員たちが私を盗み見ている。
「コホン。服はまた後日取りに来ます。今日のところは失礼するわ」
私は踵を返すと服屋を出て、待たせていた馬車に乗り込んだ。
「出してちょうだい。屋敷に帰るわ」
御者は手綱を叩いて馬をゆっくりと走らせる。私は馬車の中で抑えられない笑い声を上げた。
待っていて。必ずあなたの隣に並ぶに相応しい女になってみせるから。
そうしたら、次に会った時は私のものになってくれるわよね?
私は将来の旦那様との甘い生活を想像して喜色満面になった。




