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「ルナ」


 シンティオはいつもより低い声で名前を呼ぶと、横目でちらりとこちらを見た。ブルネット女が捲し立てて何かを言っているけれど、シンティオに釘付けの私には内容がちっとも入ってこなかった。

 一体何があったのか。ここまで生気がなく冷淡なシンティオを見たのは初めてだ。


 シンティオは外套を纏い、目深くフードを被ると、そのまま脇にあった荷物を掴む。

フードの下から垣間見える唇は血色が悪い。それをキュッと噛み締めるようにして結ぶとシンティオは私の手を引いて何も言わずに店を出た。



「シンティオ、シンティオってば!!」

 前を歩くシンティオに声をかけるけれど、返事はない。シンティオの歩幅で早歩きだと私はつんのめるようにして後をついていくことになる。一度立ち止まって欲しくて何度も声をかけたのに、完全無視で終わってしまった。

 諦めて半ば引きずられるような形で喧騒の中をかき分けて進んでいくと、人気のない細い路地に入る。そこで漸く歩みを止めてくれた。


 私は上がった息を深呼吸して整えるとシンティオの前に回り込んだ。

「何かあった? さっきから様子がおかしい」

 俯いたままなので腰を折って顔を覗き込むと、私は言葉を失った。

 水でも被ったのかというほどシンティオの顔は汗でびっしょりと濡れ、唇は震えていた。目が合うと、それが合図だったのかシンティオは気を失い、前に倒れてきた。


 意外とがっしりした体格らしく、慌てて身体を支えようとした私は反対に押し倒される形になってしまった。震えているのは唇だけだと思っていたけれど、身体も小刻みに震えているのを肌で感じる。熱でもあるんじゃないかと額に手をつけると、対して熱はなさそうだった。

 普通なら悪寒の時に高めの熱がでる。それでないなら違う病を疑わなくてはならない。

 一刻も早くシンティオの下敷きになっているここから抜け出して誰か助けを呼ばないと! とはいってもシンティオの全体重がのしかかる今、私は身動きが取れないことに今さら気がついた。


 そんな折、通りから路地にやって来た十代半ばの旅装束の少年と視線がぶつかった。

「ねえ、君」

 声をかけると少年の顔はみるみるうちに赤く染まっていくではないか。

 え、赤く染まる? ちょっと待った少年よ、もしやこれを情事か何かと勘違いしておりませんかね?


「ねえお願い、私を助けて欲しいの」

 少年の誤解を解いて、手を貸してもらわなければいけないので、なるべく落ち着いた声色でゆっくりと話しかける。しかし、それは逆効果だったのか少年は狼狽えた。

「ぼぼぼ、僕にはお姉さんを助けらんないし。そいういう経験はまだだし。はっ……初めては好きな相手って決めてるし!! だから初っ端から三人とかっ……三人とか僕にはハードルが高すぎるしいいい!!」


 おいおい、どこまで妄想を広げているんだ少年よ。ウブなのかムッツリなのかその辺は置いといてあげるから兎に角、私に手を貸しておくれ!!

 しかし、少年は赤い顔をさらに赤くさせると、脱兎の如くもと来た通りへ走り去ってしまった。慌てて呼び止めようと口を開きかけた途端、私はある異変に気が付いた。


 意識の戻らないシンティオの身体は不思議なことに氷のように冷たくなり始めていた。あまりの寒さに身体がぶるりと震えた。どうやら私の体温も下がりはじめている。

「この病は一体なんなの? このままじゃ身体が凍えてしまう」

「フン、竜臭いと思って来てみたら、まさか本当にいるとはねえ。しかも人間の欲に当てられて魂が侵されてるときた」

 頭上から声がして視線を上に向けると、自分の身長より少し高めの杖を持つサンおばさんがいた。相変わらず、にこりともしない顔でしげしげと私たちを見下ろしている。

「サンおばさん!」

「いつまでそこで下敷きになってるんだい。早くしないと凍死しちまうよ」

 サンおばさんが私の上からシンティオを転がすようにして除けてくれた。私は起き上がると横たわっているシンティオに駆け寄った。相変わらず身体は冷たく、血色がない。眠っているというよりも寧ろ、死体と言った方がしっくりとくるような蒼白さだった。


 あれ? そういえば、サンおばさん『竜臭い』って言っていなかった?

「サンおばさんはシンティオが竜だって分かるの?」

「ああ、分かるともさ。それにこの子が倒れた原因もね」

 サンおばさんは私と肩を並べると、横掛け鞄を地面に下ろした。

「ほら、早くこの薬を口に流し込むんだよ」

 そう言って中から水筒を取り出して、蓋を開けると私に手渡した。受け取った私はシンティオの首下に腕をまわすと、慎重に薬水を口の中に流し込ませる。意識はなくてもシンティオの身体は反応してゆっくりと飲み下してくれた。徐々に身体から氷のような冷たさは消えて熱が戻りはじめる。安堵の息をつくとゆっくりとシンティオを横に寝かせた。


 暫くすると、眉間に深い皺を寄せてシンティオが何かを呟き始めた。どうやらうなされているらしく、心配になった私はシンティオの身体をゆする。

「シンティオ、大丈夫?」

 すると、シンティオはぱちりと目を開いた。上半身を起こすと、側頭部に手をあてて俯くと(かぶり)を振る。時折呻き声を上げて、まだ様子はおかしい。

「まだどこか具合が悪いの?」


 不安気に尋ねると、シンティオは私の顔をじっと見る。やがて、開口一番にこう言った。

「……陰裏の豆も弾け時なのだ」

 …………はい? 今、陰裏の豆って言った?

「つまり、どんな残念な娘も年頃になると色気が出る……。って、ちょっと。誰が陰裏の豆だ! 寝ぼけてるの? ねえ寝ぼけてるの? だったらもう少し寝てていいわよ。いや寧ろ一生寝てるがいいわ!!」

 心配して一生懸命介抱したのにどうして私は初っ端から貶されなければならないのか。ムカついた腹いせにシンティオの胸板を叩く。

「違う! ルナに対して言った言葉ではない。あのさっきの女のことだ!!」

「ブルネット女のこと? いやいやいや。あれは陽の光を浴びて育った大輪の花よ。絶世の美女だったでしょ」

「あれがか? あんなに醜い欲まみれの人間が美しいとは……。人の趣向とは変わったものだ」

 腕を組んで難しそうな顔で言う。


 そこでそのやり取りを黙って聞いていたサンおばさんがいつもの不気味な声で笑い出した。

 イッヒッヒという特徴的な声でシンティオは私の他に誰がいるか認識すると、目を見開く。


「其方、サンドラか?」

 シンティオはびっくりしたような顔になった。

「死人でも見たような顔をするんじゃないよ!」

 不機嫌そうにサンおばさんは鼻を鳴らす。


 私は二人が知り合いであることに酷く驚いた。



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