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 友人は頬にかかった解れた髪を、まとめ上げている髪に撫でつけながら、複雑な表情を浮かべて言った。

「ルナのことだから元恋人との賭けで策があるって私や他の子たちは思ってるわ。でもね、もう半月になるのよ? 町の人たちの中にはルナのことを『恋に溺れた痴人』だなんて陰で言い始めているの。このまま負けてしまったらって思うと……とっても心配なのよ」

「あら、昔のあだ名のコープスより随分儚げで可愛いあだ名に昇格したんだね」

「もう、こっちは真面目に言ってるの!」

 両手を合わせて声を弾ませて言うと、友人が尖った瞳でこちらを見る。


 世間からは私が乙女に見えているのが嬉しくてつい本音を漏らしてしまった。けれど、傍から聞いたらこの状況で当の本人がなんて呑気なことを言っているんだとむくれても仕方がない。

 いつも相手に付け入る隙を与えない友人が弱音を漏らすのは珍しかった。それ程私のことを気に掛けてくれていたなんて普段の素振りからはなかなか分からないからちょっとジーンとしてしまう。


「ありがとう心配してくれて。けど忘れないで欲しいのは私が薬師であり、商人の端くれってこと。勝算のない賭けに手は出さない」

 友人を安心させるために胸を張って強気な言葉を口にした。実際はこの後に待ち受けるトカゲの尻尾を考えただけでも鳥肌物だけれど。

「そうね、いざとなったら私のところに来ればいいわ。嫌ってほどこき使ってあげるから」

 友人は調子を取り戻し、いつもの毒のある言葉とともに朗らかな笑みを見せた。


 丁度その時、外から扉を叩く音が聞こえる。友人が返事をすると売り子を務めている気の弱そうな少女がおずおずと顔を出した。

「あの……奥様、お取り込み中失礼します。えっとその、例のお客様がもうすぐいらっしゃる時間です」

 売り子は私と友人を交互に見てどうすればいいのか分からず慌てふためいていた。友人は思い出したように声を上げると、売り子との距離を詰めて小声で何かを指示し始めた。それに二つ返事で彼女はいそいそと踵を返す。


「ルナが急に来るから忘れていたわ。今日はお得意様であるあのブルネット女が注文した服を取りに来る日なの。悪く思わないでね」

「へえ、そうなんだ」

 先ほどの売り子の態度に「嗚呼、だからなのか」と合点がいく。



 商業組合長の息子の婚約者で勝ち組のブルネット女。そしてここには彼女に男を取られた私という負け犬。因縁関係にある役者が服屋を舞台に揃っております!

 あの気の弱そうな売り子からすればやりにくいことこの上ないだろう。今頃、肝が冷えて仕事に手が付けられないでいるかもしれない。


 しかし、損得勘定のある商人からすればブルネット女は極上の客だ。ここら一帯を牛耳る商業組合長の息子の妻になる女なのだから今のうちに投資しておけば、商業組合と太いパイプができる。

 そうすれば近隣の町村だけでなく他領へ商品を流通してもらえるかもしれない。数人の従業員を雇っている以上、やりくりしていくにはある程度の利益が必要であることは分かっていたし、同じ立場なら私もそうする。


「じゃあ、みんなに迷惑が掛からないうちに店から出て行くよ。シンティオの服も選んでもらったことだし」

 財布を取り出して銀貨が何枚必要か頭の中で計算し始めた。服一式買うので結構な額だ。

「待って、まだ全部終わってないわよ。くたびれたその服で彼の隣を歩かせるわけにはいかないもの。ルナったらお馬鹿さんね」

「へっ?」

 友人の手にはいつの間にかフリルのついた白いブラウスと淡い黄色のフレアスカート、同じ色の髪留めが握り締められている。お金が足りなくなると頭の隅で心配が過ったけれど、拒否権はないのだと悟った。というより、断りの言葉の前に慣れた手つきで服を剥ぎ取られ、あれよあれよという間に新しい服に替えられてしまった。


 最後に友人は私の後ろに回って髪をいじり始めると口を開いた。

「お金のことは気にしないで。今回は私からのプレゼントよ。久々に楽しい時間を過ごせたんだもの」

 パチンと髪留めが留まる音がすれば軽く背中を叩かれた。

「さあ、あの彼と早く店から出て」

 優しく微笑む友人。その厚意に深謝すると足早にスタッフルームから出た。



 店内に戻るとシンティオは簡単に見つかった。私は並んだ服の間を通って拓けた入口まで歩くとシンティオに声をかけた。


「シンティ……」

「だから何に不満があるっていうのよ!?」

 突然天地を切り裂くような金切り声が店内に響いた。私の声は掻き消され、反対にその声の主の気迫に尻込みしてしまう。一体誰が取り乱しているのかと声の主の横顔を見れば、私は思わず顔を歪めた。

 それは私が今最も会いたくない因縁の相手、ブルネット女だった。彼女は下唇を噛み締めてシンティオを睨んでいる。


 ブルネット女は初めて会った時よりも自分の魅力を引き立てるために派手に着飾っていた。胸元はこれでもかというほどに大きく開き、昼間から色気を垂れ流している。たいていの男はあれだけでイチコロだ。

 しかし、先ほどの金切り声といい、現状は違っていた。シンティオは色気に当てられて興奮するどころか静かに相手を見ていた。その表情はどこまでも読み取ることができないため私は怖くなった。


 あそこまで無表情で冷たいシンティオを見たのはこれが初めてだった。


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