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夕食を終えて寝支度を済ませると私は旅灯の傍に座り込んでサンおばさんからもらった応用薬学の本に目を通していた。護身用に使えなかったとはいえ、こんなに分厚いんだからきっと何か役立つ知識が書かれているはず。
本は随分と年季が入っていて、シミや黄ばみが酷く、破れている部分もしばしば。何より、どのページを捲っても書かれている文はこの国の文字ではなかった。
全く読めなくて困ったけれど、代わりに懇切丁寧に材料や作り方の挿絵が描かれている。数字らしき文字も読めそうなのであとは今までの経験をいかせば解読できそうだ。
何気なくページをひたすら捲っていると、不意にある項目に目が留まった。
「あ!」
その項目を見て思わず歓喜の声を上げる。そこには黄金のリンゴらしき絵があって、その下に必要な材料の絵も描かれていた。声に反応してやって来たシンティオが本を覗いてきた。
「ほう、これは竜文字ではないか! 何故これを其方が持っておるのだ?」
「へっ、竜文字?」
一体なんだそれは。竜にも文字文化ってあるの? それに、この本はポケット版とサンおばさんが書くくらいに大きさは人間の手のひらサイズだ。果たして人より数倍大きい竜の手でこの本のページが捲れるのか、大いに疑問だ。
頭の隅でそんなことを考えていると、シンティオが興奮気味に声を荒げた。
「これは……初代竜王の大事な本ではないか! 彼の死後は大事に宝物庫に保存されていたが一昔前に紛失して酷く騒がれたものだ!」
「はえっ!?」
私は手にする本に真っ青になり、素っ頓狂な声を上げた。
サンおばさん、あなたなんてものに『楽しい応用薬学 ― 多分ポケット版 ―』と書いたんですか。これ、竜族にとってめちゃくちゃ貴重な文献みたいですよ。そして一体どこでこれをくすねてきたのですか? いや、くすねるというよりもどこかの闇賭博にでも足を突っ込んでこれをもぎ取って来たと言った方が合っているだろう。
もしかするとサンおばさんでさえこの本の本質を理解できていなかったんじゃないか、という疑念が浮かぶ。……折角の本だというのに宝の持ち腐れもいいところだ。
「この本があるのならば、我の知っている知識より正確かつ早急に黄金のリンゴを手に入れられそうだな」
「え、それは本当!?」
私は身を乗り出して目を輝かせるとシンティオに尋ねる。すると、シンティオは大きく頷いてくれた。
「初代竜王は竜族の持つ力だけに頼ることを良しとしなかった。他の種族との共生を図るために様々なことを研究したと聞いている。だから、ここに書かれていることは緻密且つ正確なものばかりだし、信頼における」
早速、黄金のリンゴが熟すために必要なものが何かシンティオに訊く。ずいっと顔を寄せてきたため、もっと文字が見えやすいように私は立ち上がった。
「必要なものは――――。む? ルナよ。其方のポケットから出ているもの、それは」
何かに反応してシンティオは私のポケットを凝視する。釣られて私も視線を向ければポケットから紐が垂れ下がっていた。それは昼間の濃霧の時に拾った綺麗な指輪、についた紐。
私はポケットから指輪を取り出すと、シンティオに見せた。
「山でシンティオに会う少し前に拾ったんだ。多分どこかの貴族様の大事な指輪だと思うから、今度町に戻ったら自警団の人に渡すつもり」
シンティオは目を瞬かせてから狐に化かされたような表情を浮かべる。次に半ば声を震わせるようにして私に言った。
「こ、この指輪は我のものだ。白霧山へ降りた時に落としてしまってな……もう見つからないと諦めていたのに」
そっと小指の爪で私の掌から指輪を拾い上げると、愛おしそうにしげしげと見つめている。
「ルナ、ありがとう。其方には助けられてばかりだ」
「そんなに大切なものだったんだ。もうなくしたらダメだよ」
指輪の持ち主が見つかって良かったと私は心の底から安堵する。何故なら、これがシンティオのものということは強盗がこの山に潜伏しているという恐ろしい可能性がゼロになるからだ。
これからは黄金のリンゴを熟させるために頻繁にここから外に出ないといけないだろうし、危険が減ったんだったら良かった。……でもあの指輪、サイズからして人間仕様なのは間違いない。竜の指にピッタリ嵌るどころか鋭い爪で精一杯そうなんだけど。
私が苦笑いに堪えていると、シンティオは私が石に見惚れていると思ったのか説明をしてくれた。
「この石は月長石と言って闇を祓い、能力を高める力がある。要は、我にとっては結構大事なものということだ」
言っていることが良く分からず首の後ろに手をあてて唸ると、シンティオは私に見ればわかると言って指輪を自身の薬指にはめこんだ。
指輪が爪の先端に触れるか触れないかという時、月長石が一瞬白く発光した。私は目が眩んできつく閉じるけれど、瞼の裏からでも分かるほどにその光はとても強烈だった。あまりの強さに私はたまらず腕で顔を覆う。
やがて、辺りが真っ暗になるとシンティオに名を呼ばれた。
私は再び、顔を上げてゆっくりと瞼を開ける。目の前にいたはずの白い竜はどこにもいない。反対に飛び込んできたあるものに、私はぽかんと口を半開きにして言葉を失った。
ふわふわした白銀の髪、黄金の瞳を持つ美丈夫な青年が私の目の前に立っているのだ。しかも生まれたままの姿――つまり、素っ裸で。




