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97.戦い、終わって

 エノクとの戦いが終わった後、俺とレオナ、そしてエステルの三人はしばらくグロウスター領に滞在することになった。理由は色々あるのだが、主な目的は療養と事後処理だ。


 ハイデン市に帰るまでの道のりは馬車で約三日。《ヒーリング》などの治癒スペルは負傷を治す効果しかなく、重傷の場合は掛けたからといってすぐに健康体に戻れるわけではない。そういうわけで、しばらくは馬車での長旅は避けるべきということになった。


 それと手当をしてくれた癒し手から聞かされたことなのだが、スパッと綺麗に斬られた傷なら腕の切断でも《ヒーリング》ですぐに治るけれど、粉砕骨折や内臓の損傷は比較的治りが鈍いらしい。

 砕けた骨を元の位置に戻すために余計な魔力が消費されるとか、身体の深部には治癒の魔力が浸透しづらいとか、そういう理由があるそうだ。


 冒険者になってからずっと《ヒーリング》を使ってきたが、出血を補えないこと以外にも限界があるというのは初めて知った。今後はこれも頭に入れて戦った方がよさそうだ。


 ちなみに俺の場合、無茶な突撃で砕けた足首と、横っ腹を殴られたときの骨折と内蔵へのダメージが深刻で、二日か三日は馬車に乗せられないと診断された。(おれ)としては治りが鈍くても全治三日で済む時点で驚きなのだが。


 とはいえ休みっぱなしというのも気分が良くないので、事件の事後処理の手伝いもさせてもらうことにした。最初は現場保全や証拠の確保を、応援が来てからは資料の分析などを手伝っていた。


 当然、ここでも《ワイルドカード》は活躍した。肉体労働が禁止されている分、《暗号解読》やら《司書》やらのスキルを使って役に立とうと思ったのだ。


 そうして事件の解決から一週間が過ぎ――


「お疲れ様。うまくいきそう?」


 夜も更けた頃、机に向かって分厚い本を読み込んでいると、レオナが温かい飲み物を持ってきてくれた。


「まぁそれなりに。目処(めど)が立つってほどでもないけど、少しは進んだかな」


 当面の滞在場所として借りた、グロウスター邸付近の空き家。俺はその書斎に資料と器具一式を持ち込んで錬金術師の真似事をしていた。


「制御薬の在庫、一ヶ月分あるかどうかなんだっけ」

「ああ。調合手順を知っているのはエノクだけで、分かりやすい手順のメモなんて残ってるはずもないから、断片的な資料を読み込んで再現するしかないってわけだ。どうにか間に合わせないとな……」


 ファム達アンゲルスは制御薬を飲み続けなければ身体を維持できず、それを製造できるのはエノクだけ。エノクを討てば薬を手に入れられなくなるのは自明の理だった。


 ファムとヴァンは『それでも構わない』という覚悟の上だったようだが、生憎(あいにく)と俺はそんな覚悟はできていない。尊い犠牲だの何だのと割り切る胆力がないからこそ、俺は()()()()()()()()()()を――制御薬の再現を試みることを選んだ。


 もちろん、ファム達のような子が悪党の犠牲になったまま終わるのが我慢ならないというのもある。自分本位の義憤と臆病さ。それこそが、こうやって錬金術師の真似事に手を出す動機だった。


「けど、昼間からずっと調査の手伝いしてたでしょ。もう夜も遅いんだし、そろそろ休んだ方がいいんじゃない?」

「もう少ししたら休むよ」


 レオナが()れてくれた紅茶に口をつける。ただの紅茶だと思ったら普通とは違う香りと味わいがした。


「暖まるのをちょうだいって言ったら、これがお勧めだって。名前は何だったかな……ブランデー、ウィスキー、リキュール……とにかくお酒を少し入れた紅茶なんだってさ。カイってこういうの好きでしょ?」

「そういえばここは錬金術師ギルドのある街だったな」

「何か関係あるの?」

「蒸留酒は錬金術の賜物(たまもの)ってこと」


 レオナが挙げた名前はどれも蒸留酒――普通の醸造(じょうぞう)酒を加熱して蒸発させたアルコール分を集めたものだ。


 転生前(もと)の世界では、この技術は錬金術師が発明したものだと伝えられている。転生後(こちら)の世界は錬金術が実用的な研究になっているくらい盛んなのだから、きっと蒸留酒を発明したのも彼らなのだろう。


 どんな技術も使う奴次第で良くも悪くもなる。エノクの狂った研究も、俺の身体を暖めてくれている蒸留酒(スピリッツ)も、等しく錬金術の産物だ。


 それにしても、こういうアルコール飲料を好きだと思われたのは、ホットワインの一件があったからかもしれない。実際、好きか嫌いかで聞かれれば好きだと答えるし、些細(ささい)なことを覚えていてくれたのは嬉しかった。


「エノクが白状してくれたら、制御薬ももっと楽に再現できたんだけどな……結局、あいつは何も話さずに終わったのか?」


 紅茶の蒸留酒割りを半分ほど飲んだところで、何気なく話題を元に戻す。


「そうみたい。今朝『中央』に送られて、もっと厳しい取り調べを受けることになるそうなんだけど……」


 レオナはもう一脚の椅子を持ってきて、俺の隣に座った。

 しばらくこの街に滞在すると決まってすぐに、レオナとエステルは地元の服屋で新しい着替えを買ってきていた。今着ているのがその服なのだが、いい意味で冒険者らしくなく……有り体に言えば女の子らしかった。


「薬の作り方まで白状させるのは、ちょっと間に合いそうにないか」


 あれからすぐにエノクは捕らえられ、様々な尋問を受けることになったらしいが、未だに成果は上がっていない。エノクの口が固いのも原因の一つだが、それ以上に『厳しい尋問をすることができない』という現実的な理由があった。


「それにしても、エノクの正体がまさかあんな爺さんだったなんてな」

「想像を絶する若作りよね。そういうスキルなんだっけ」


 《老化抑制》――エノクが持っていたというSRスキルである。エノクはこれに《錬金術》スキルで作った薬品を組み合わせ、何十年にも渡って若い肉体で研究を続けていたそうだ。


 俺が《祝福停止》スキルを使ったことで《老化抑制》も封じられ、実年齢相当の老体になってしまった。結果、乱暴な尋問をしたら死んでしまう恐れが出てしまったのだ。


 もっとも、《祝福停止》はセット中のカードを一括で封じてしまう融通の利かないスキルなので、エノクを生け捕りにするならこうなることは避けられなかったわけだが。


「それで『再現』はどれくらい進んでるの?」

「試作品までは何とか。ただ現状だと製造に時間が掛かり過ぎるから、どうにか簡略化していかないと」

「もうそこまで出来たの?」


 驚くレオナに試作した錠剤を見せる。


「エノクの研究メモを貸してもらえなかったら、こんなに早くはできなかったよ」


 制御薬を作ると言ってもゼロから開発するわけじゃない。まずは無理を言って貸してもらった証拠品(メモ)を《暗号解読》や《錬金術》スキルで読み解いて、分からない単語があればまた別の資料に当たり、制御薬の組成を解明するという地道な作業を繰り返した。


 これで間違いないだろうというところまで解読が進んだら、次は材料の調合だ。《錬金術》スキルを頼りに様々な素材や薬品を絶妙な配分で調合し、加熱などの処理を施して加工する。


 錠剤は大掛かりな機械がなくても作ることができる。材料をすり潰して混ぜ合わせ、卓上サイズのシンプルな形成器でプレスすれば完成だ。


 そうやって試作品を完成させることはできたが、今のやり方だとアンゲルス全員の一日分の薬を作るために二日掛かってしまう。なので、生産スピードを上げる手段を探して専門書や研究メモを読み込んでいるところなのだ。


「全部一人でやったの? 錬金術師ギルドにも手伝ってもらったらよかったんじゃないかな……」

「それは難しいな。ほら、グロウスター卿が『中央』の査問を受けることになったから、今後のグロウスター領がどうなるか分からないって話、聞いたろ? 錬金術師ギルドはそっちの方の対応に追われてるんだとさ」

「ああ、そっか。ギルドを存続させられるかも分からないものね」


 冒険者ギルドと『クルーシブル』に依頼を出した錬金術師ギルドの面々だが、今はこれからのことで頭を悩ませている。


 彼らはエノクを排除すれば問題が解決すると考えていたのだが、グロウスター卿がエノクの非人道的な研究を知っていて、なおかつ援助していたのではと言う疑いが持ち上がってきたのだ。


 そりゃあまぁ、あれだけ大掛かりなことを地下でやらかしていたのに何も知らない方が不自然だ。最低でも黙認はしていたと考えるべきだろう。


 グロウスター卿が実験を黙認していたり、それどころか支援していたなら、グロウスター卿個人は間違いなく重罪に問われる。本当に知らなかったとしても統治能力の欠如を問題視されて領主の地位を剥奪されるはずだ。


 となると、錬金術師ギルドにとって問題になってくるのは、グロウスター領の今後だ。この国の政府は昔ながらのギルドを悪しき風習として嫌っている。今までは貴族の領地だったから領主の裁量で存在が認められていたが、領地没収で皇帝直轄領にされたらギルド解体はまず避けられない。


「錬金術師ギルドとしては、帝都に留学中のグロウスター卿の一人息子に領地を継がせるよう働きかけるつもりらしいけど、父親と凄まじく仲が悪いんで説得には苦労しそうだとか言ってたよ」


 結局、エノクの企みは潰えても全ての問題が解決するわけではないのだ。むしろグロウスター領の人々にとっては、これまでの出来事は混乱の始まりに過ぎないのかもしれない。


「大変なのはこれからなんだね」

「ああ……俺達もな」


 事件を解決した冒険者ギルドにとってもこれからが本番。広い視点で見れば、俺達の戦いは()()ではなく()()だ。


 消息不明の冒険者の末路が判明した以上、ギルドはパーティの仲間や遺族への補償や、更なる真相解明に本腰を入れることになる。ファム達アンゲルスをどう扱うかという問題だってある。押収した研究資料をどう処理するか帝国側と話し合い、決定した処理を実行に移す仕事も残っている。


 ――そして俺も大きな問題に直面しなければならない。


 数日前にクリスと交わした会話を思い出す。


『申し訳ないけど、これから先、ギルドはいい意味でも悪い意味でも君を注視することになると思う』


 いい意味での注目の理由はもちろんエノクを討伐したことだ。

 悪い意味での注目の理由は、そのために《祝福停止》をコピーしたことだ。


『あのスペルは許可を受けた特務調査員が一時的に使用を許可され、任務が終われば速やかに外すことが義務付けられている。君はそれをいつでも複製できるようになってしまった』


 治安維持のために使用制限を掛けて使われる道具を、一般人が無制限に使用できる――そんな状態が危険視されないはずがない。


 俺もそれは承知の上でコピーすることを選んだ。その提案をしたときに、クリスはちゃんと警告してくれた。それでも俺は、エノクを倒すために必要だからと無理を言ったのだ。


『今のところ、君のレジェンドレア……《ワイルドカード》のコピーに制限を加える手段はない。やろうとするなら《祝福剥奪》でカードごと没収するしかないけど、それだけは絶対にさせない。ギデオン(あのひと)だってそう思っているはずだ』


 全てをクリスの功績にして黙っているという選択肢もあったが、バレたときのリスクが大き過ぎた。そもそもエノクが倒されたときの状況を証言すれば一発で真相が明るみに出てしまう。そうなったら、ギルドを騙して重大な情報を隠していたということで、一気に信頼を失ってしまうだろう。


 二人を信頼していると伝えると、クリスは真剣な態度を維持したまま、少しだけ嬉しそうな顔をした。


 クリスとギデオンを信頼する。それが俺にできる最善の方法だ。


「ひょっとしたら、レオナとエステルにも迷惑をかけることになるかもしれない。もしそうなったら……」

「今更でしょ」


 レオナは椅子ごと向きを変えて俺の方を向いた。


「私達はパーティの仲間なんだから。迷惑を掛け合うのはお互い様。むしろ私達の方が借りを作りすぎてるくらいだから、もっと迷惑かけてくれたくらいがちょうどいいのよ」


 そう言って、レオナはにっこりと笑った。

 涼やかな風が吹き抜けた気がした。胸の奥の()()()が取れたような気持ちだ。


「お互い様、か。そういえば、今回もあのときと同じ終わり方だったな」

「あのとき?」

「昇格試験のときだよ。どっちも俺が無茶やってぶっ倒れて、レオナが抱き止めてくれたじゃないか。アルスランとは立場が逆だったけど……」


 懐かしいことを思い出していると、隣に座るレオナの顔がみるみる赤くなっていくのが分かった。


「ち、違うから! ただそうするしかなかっただけで!」


 耳元で叫ばれて耳がキーンとする。それなのに頬が勝手に(ほころ)んでしまう。戦いが終わって、こんなやりとりで騒いでいられることが嬉しかった。生きていなければこんなことで騒いだりもできないからだ。


「レオナ」

「……何よ」

「ありがとな」


 レオナは何も言わず、顔を赤くしたままそっぽを向いた。

 不意にその目が驚きに見開かれる。


「あ、雪……」


 窓の外で白い結晶が音もなく舞っている。一晩降っても積もりそうにもない、ほんのささやかな数ではあるが、まぎれもなく雪の結晶だ。


 レオナは席を立って窓を開けると、冷たい空気が流れ込んでくるのにも構わず窓を開け、降ってくる雪を受け止めようと手を伸ばした。


「こっちだと本当に雪が降るんだね……」

「そんなに珍しいのか?」

「私の生まれ故郷だと全然降らなかったから。子供の頃に一回少しだけ降ったきりかな」


 童心に帰ったようなレオナの横顔を眺めながら、俺は窓枠に頬杖を突いた。

 これまでに何度も危険を潜り抜けてきた。これからも色々な危険に飛び込んでいくことになる。それでも、こいつとなら上手くやっていける。根拠はないけれど、そんな予感がした。

この話をもって第二部は完結です。

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