91.決戦―アンゲルス2/2)
巨大な扉の向こうにあったもの、それは異形の柱としか表現のしようがないモノだった。
喩えるなら、人間の形をした白い蝋を積み上げ、熱してくっつけた悪趣味なオブジェ。手足や顔のような突起がそこら中から突き出していて、苦悶の表情を浮かべているようにすら見えた。
――それが本当に人間だったモノなのだと理解するまでに、俺は数秒の時間を必要とした。
「エノク、お前まさか――」
「偉大なるヘルメスは万能の天才だった」
俺の憤りなど知ったことではないとばかりに、エノクは自己陶酔した様子で延々と語り続ける。
「彼と同じように『完全な人間』になることを望むなら、やはり彼と同じように万能になるべきじゃないか。僕はそう考えたんだ。その成果が『叡智の柱』であり、彼女達はその実験体というわけさ」
人間を実験の材料に使ったことを喜々として語るなんて、新堂海の価値観だけでなく、カイ・アデルの価値観でも唾棄すべき行動だ。
社会的に許される範疇の安全な実験ならまだいい。それくらいは前の世界でも許容されていた。本人が心から望んで実験を受けたのなら擁護もできる。自己責任だとか自業自得といった言葉で片付けられるだろう。
だが、エノクは違う。身よりも行き場もない子供達を集め、裏切れないように薬でコントロールするなんて、外道という表現すら生ぬるい。怯えきったヴァンの顔を見るだけで怒りが湧き上がってくる。
「……自分が何やってるのか分かってるのか」
「もちろん。研究の成果を存分に味わってくれ」
エノクの合図で三人の白い少女が戦闘行動を開始する。
三人がカードの名を次々に口にするたび、背後の異形の柱が呻き声のような雑音を響かせた。
「引用――《剣術》《槍術》《斧術》《弓術》《投擲術》《多重武装》《心眼》《魔力共有》《剛力化》」
「引用――《ライトニングボルト》《ファイアブラスト》《ウォーターテンタクルス》《フローズン・ソリッド》《アクセラレーション・フィールド》《サークル・オブ・ライフリンク》《トランスポート》」
「引用――《肉裂きの鋸剣》《水繰りの三叉槍》《大戦斧》《剣士の鎧》《従者の鎧》《魔道士の戦衣》《ハンドレッドダガーズ》《ミラージュコート》」
合計二十余枚のカードが出現して三人の身体に吸い込まれ、即座に効果を発揮する。
防具がそれぞれの身を包み、多種多様な武器がメガレーの周囲に出現し、床面を魔力の光が覆い尽くす。ヘルマは実体化した装備カードの中からギザギザの片刃剣と三叉槍を手にとって、凄まじい速さで一気に間合いを詰めた。
「くっ……!」
双剣の片割れで鋸剣を受けるも、ノコギリ状の刃がこちらの刃に絡んで動きを制限し、そこに三叉槍が至近距離から繰り出される。
三つに分かれた穂先の間に刀身を入れて受け止める。メガレーはその状態で両手の武器を手放して、間髪入れずに素振りのように両手を振り上げた。
「《トランスポート》」
ヘルマがスペルを唱えた瞬間、メガレーの元にあったはずの《大戦斧》が一瞬のうちにヘルマの手に握られ、色白の細腕からは想像も付かない威力で振り下ろされた。
咄嗟に《瞬間強化》をコピーし、鋸剣と三叉槍に絡め取られた双剣を手放して後ろに飛び退く。刃がほんの少し掠っただけなのに、胴体の前面が裂けて血が吹き出した。
双剣の実体化を解除して手元に再度実体化させる。
一、二秒程度のその隙に、ヘルマは大戦斧をブーメランか何かのように軽々とぶん投げた。
「冗談、キツいな!」
大戦斧の下を潜り抜けて回避するも、既にヘルマが眼前に迫っていた。
「引用――《蛇毒の牙剣》」
「《トランスポート》」
またも手元に転送された剣を紙一重で回避する。刀身から滲み出ている毒液が顔を掠めた。
ヘルマのもう片方の手に《獣牙の腕》が実体化し、回避行動のせいで無防備になっていた俺の脇腹に拳が叩き込まれる。刺々しい拳が肉に食い込み、凄まじい衝撃が骨と内蔵に悲鳴を上げさせる。
「がふっ……!」
《瞬間強化》で強化した脚力に殴られた衝撃を上乗せして、あえて勢い良く遠くまで吹き飛び、転がっていく。
ヘルマが唱えたスペルの恩恵なのか、攻撃のスピードが尋常ではない。
《ワイルドカード》を実体化させ、表面に手を触れて書き換える――レア以上のカードをコピーするために必要なワンアクションすらも、《アクセラレーション・フィールド》で加速された動きの前では致命的な隙だった。
しかもヘルマは《魔力共有》というスキルを使っている。恐らくだが、これは複数人の貯蔵魔力を共有リソースにするスキルだろう。つまりファムは、自前の魔力だけでなくヘルマの、ひょっとしたらメガレーの魔力までもエネルギー源としてスペルを唱えられると考えるべきだ。
「……くそっ」
せめて速度差だけでもなんとかしなければ。起き上がると同時に《ワイルドカード》の状態を《瞬間強化》から金色のスペルカードに切り替える。
「《アクセラレーション・フィールド》!」
ヘルマの高速の追撃を間一髪で回避し、対等以上の速度で切り結ぶ。
しかし、俺が苦悩に顔を歪める一方で、ヘルマは防戦に徹しながらも余裕の態度を崩さなかった。
「そのスペル、負荷がとてつもないでしょう? なけなしの魔力があと何分持つかしらね」
想像以上の魔力消費量だ。一秒ごとに大量の魔力が抜き取られていくのが感じ取れる。
読み違えていた。《アクセラレーション・フィールド》は個人戦闘用のスペルじゃない。戦術級、あるいは戦略級のスペルだったのだ。一人の魔力で少人数に掛けるのは極めて非効率。大人数に一気に掛ける、部隊運用クラスの規模を想定したスペルなのだ。
これをファムが顔色変えずに使っているのは、膨大な魔力――それこそ二、三人の貯蔵魔力では収まらないほどのバックアップがあるからに違いない。
「……『叡智の柱』か! あそこから魔力を……!」
「その通り!」
ヘルマが間合いを離し、転送された無数の短剣――《ハンドレッドダガーズ》を弾幕のように投げ付けてきた。
打ち落とすことは可能だが数が多すぎる。弧を描くように走って回避するも、進行方向に《ウォーターテンタクルス》の触手の群れが殺到する。人間の胴体ほどの水の塊が大蛇のようにのたうって、俺の行く手を塞ごうとする。
跳び越え、潜り抜け、身をかわし、《ウォーターテンタクルス》の群れから逃れ続ける。剣で斬りつけてもすぐに塞がってしまって意味がなく、《軽業》も駆使して避け続けるしか手段がない。
「《フローズン・ソリッド》」
そのスペルが唱えられた瞬間、四方八方を取り囲んでいた水の触手が瞬く間に凍結し、歪で巨大な氷の檻と化した。
「しまっ――」
直後、肩口にクロスボウの短矢が突き刺さる。
行く手を塞がれて足を止めた一瞬を狙って、メガレーが《オートマティック・クロスボウ》の連射を浴びせてきた。
狙いを絞らない連射なので大半は氷の檻に刺さって止まり、隙間を通り抜けた分も双剣で弾ける程度の数だったが、それでも防ぎ切れなかった数本が身体の端々を傷つけていく。
「《ファイアブラスト》」
「……っ! 《アイスシールド》!」
矢の連射が途切れ、炎の奔流が氷の檻を丸ごと飲み込む。
辛うじてエステルのスペルのコピーが間に合ったが、それでもなお《ファイアブラスト》の火力は抑え切れず、皮膚が焼け焦げていくのが分かった。
炎が消えた後には氷の檻も氷の盾も消え失せ、膝を突いて苦しむ俺だけが残されていた。
「ここまでよく耐えたものね。それだけは賞賛してあげましょう」
ヘルマが悠々と近付いて来る。俺が発動した《アクセラレーション・フィールド》は魔力残量を考えて既に解除している。それを知った上で余裕を持って仕留めに掛かるつもりなのだろう。
俺は片腕を前に伸ばし、銀色のスペルカードに変えたままの《ワイルドカード》を実体化させた。
クリスが負傷した足に構わず駆けつけてくるのが見えた。呼吸が整わないせいで、逃げろと叫ぶこともままならない。
どうにかして隙を……クリスとヴァンだけでも逃がす機会を作らなければ。
銀色のカードの表面に指を触れさせた瞬間――
「何っ……!」
ヘルマの顔が驚愕に歪む。
突如、《ワイルドカード》が脈動するように光を放ち始めた。光の弾ける音が地下空間に響き渡り、弾けるたびに光の強さが増していく。
「貴様っ、何をした!」
俺はヘルマのことなど視界にも入れず、無我夢中で《ワイルドカード》に手を伸ばし、強く握り締めた。
その瞬間、頭の中に新たな知識が一気に流れ込んできた。
以前にも体験したことのある感覚だ。そう、《前世記憶》を使って新堂海の記憶と人格を得たときと同じような。
だから瞬時に理解できた。
《ワイルドカード》に何が起こったのか。
そして、これから俺に何ができるのか。
「――大したことじゃねぇよ。ただレベルが上がっただけだ」
カードは使い込むほどにレベルが上がる。そして性能の向上や機能の拡充などの恩恵を受けられる。ただそれが、今ここで起こっただけのこと。レジェンドレアのそれが他のカードよりも派手で桁違いだっただけのこと。
俺は脳裏に浮かぶ知識に従って、《始まりの双剣》の装備カードを実体化させ、《アイスシールド》を写し取った《ワイルドカード》に重ね合わせた。
「させるかぁ!」
ヘルマが三叉槍を構えて突進する。
《始まりの双剣》と《アイスシールド》がひとつになり、一枚のカードとして俺の胸に戻っていく。
繰り出された刺突を双剣で弾く。次の瞬間、三叉槍が氷の殻に包み込まれ、それを握る手までも凍結した。
更に足、肩、腹、腕と鎧に覆われた部分を斬りつけるたびにその箇所が凍結し、ヘルマの全身は顔の周辺といくらかの部位を残して、分厚い氷の塊に閉じ込められ、身動き一つ取ることができなくなった。
どれだけ高速で動くことができようと、こうなっては何の意味もない。
「な、なに……動けない……何をしたの……!」
「――よう、エノク」
俺は透き通るような氷の双剣の切っ先を遠くのエノクに振り向け、挑発するように笑ってやった。
「これで少しはレジェンドレアに相応しくなっただろ?」




