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85.特務調査員

 暖を取り着衣を乾かすための火を点けた後で、俺は一度そこから離れて鋼鉄の扉の前に足を運んだ。腰を()えて休息を取る前に確かめておきたいことがある。


 どうせ俺の予想通りなのだろうが、念のための確認だ。銀色のスペルカードをコピーして扉に向けて唱えてやる。


「《ストーンジャベリン》!」


 猛烈な勢いで放たれた石の棘は、扉に触れる寸前に霧散して掻き消えた。


「……やっぱりな」


 驚くようなことじゃない。完全に予想通りの展開だ。

 ここが侵入者を捉えておくための場所なら、脱出させないための備えを念入りに講じているにきまっている。恐らくこの扉には、アンチスペル・シールドと同じ防御機構が組み込まれているのだろう。


 そもそも、グロウスター卿かエノクがアンチスペル・シールドを買い付けた目的自体、この扉を作る参考にするためだったのかもしれない。


 スペルでは扉を破れないという確認も取れたので、ひとまず二人のところに戻ることにする。


「その様子だと予想通りの結果だったみたいだね」

「ああ。こじ開ける手段は思いついてるんだが、上手くいかなかったら大量の魔力を無駄遣いするだけだからな」

「具体的にはどれくらい?」

「最大値の半分くらい。今の残量だと、成功しようとしまいと一発で空っぽだ」


 これからどんな事態が待ち受けているかも分からないのに、成功する確信が持てない手段で魔力を使い果たしてしまうのはリスクが大き過ぎる。


「で、そっちはどうだった? 《ディスタント・メッセージ》は地上(うえ)のみんなに繋がりそうか?」

「駄目だったよ。厚い地層が邪魔になってるのか、妨害でもされているのかは分からないけど」


 クリスとヴァンは、焚き火の前でなるべく薄着になって、濡れた服と身体を乾かしている。


 地下の気温は常に低温で安定している。地下室を低温の保存庫に使ったり、井戸水がいつも冷たかったりするのはそのためだ。ここも気温が低く、濡れたまま放置していたら冗談抜きで命に関わる。


 そういう理由で致し方のない状況とはいえ、俺にとっては目のやり場に困る光景なので、なるべく視界に入れないように心がけることにした。


 焚き火の煙が、どこからか拭いてくる弱い風に煽られてゆらゆらと揺れている。どうやらここは完全に密閉されているわけではないらしく、ちゃんと空気の流れもあるらしい。


「……えっと、私が聞いたら変なのかもしれないけど、ギルドの特務捜査員って何のことなんだ?」


 ヴァンがおずおずと切り出した。俺も思わず視線をクリスに向けてしまう。


 焚き火の音が冷たい空気を震わせる。しばらくの沈黙の後に、クリスは静かに口を開いた。


「冒険者ギルドの支部は、担当地域での依頼に関わる事件を独自に調査する権限を持っている。ほとんどのケースは、Bランク以上……ギルドが信頼に値すると判断した冒険者にギルド名義で調査を依頼するんだ」

「今回は『クルーシブル』がそうだったんだな。確かリーダーのストイシャがBランクだったから……」


 クリスはこくりと頷いた。

 ご段階の冒険者ランクのうち、戦闘能力やサバイバル能力といった実力で評価されるのはCランクまで。それより上、Bランク以上にランクアップするためには信頼と貢献が大切になる。


 極端な話、戦闘能力ではCランクの水準ギリギリでDランクの上位に毛が生えた程度でも、ギルドに多大な貢献をしたりして信頼を得ていればBランクになることができるわけだ。


 Bランク以上に限定して回される依頼は、難易度よりも信頼性が重要視されるものばかりだという。どんなに強大な魔獣の討伐であっても、単なる魔物退治ならCランクも受けられる。逆にどれだけ簡単な依頼だろうと、ギルドの信頼に大きく関わる依頼はBランク以上にしか託されない。それがギルドのシステムだ。


 そういった依頼の中に依頼絡みの事件の調査も含まれているというのが、クリスの発言の趣旨である。


「だけど場合によっては、依頼という形を通さずに、ギルド本部や支部の運営に携わる人間から捜査員を選出して派遣することもある。それが特務捜査員だ」


 クリスの手元に一枚のカードが実体化する。

 銅色をしたギルドカード――Dランク冒険者の身分証明証であり、活動履歴の記録媒体。必要不可欠な一枚のカード。


「特務捜査員に選ばれた冒険者は必要に応じて特権を与えられる。種類は様々だけど、例えばギルドに登録する氏名を偽名に変更して身分を隠したり、特別な《ランク偽装》のスキルカードでギルドランクを偽ったり……ね」


 クリスのギルドカードの表面がひび割れていく。表面を覆っていた銅色の鍍金(メッキ)が剥がれ落ち、その下から金色に輝くカードが現れた。


「Bランク冒険者。冒険者ギルド本部粛正(しゅくせい)嘱託(しょくたく)員、クリス・シンフィールド。それがボクの本当の肩書さ」


 俺は驚きのあまり何も言うことができなかった。部外者であるヴァンもただならぬものを感じて押し黙っている。


「粛正課は冒険者の活動を妨げる人的要因を()()()()()ためにある。依頼主を騙す不届きな冒険者への制裁や、冒険者を悪用する依頼主への注意勧告まで幅広くね」


 これまでずっと、俺はギルドの運営側の内情については無関心だった。

 要するに依頼と報酬の仲介をする表面的なところばかりを見ていたわけだが、全国規模の大組織である以上、それ以外の部署があるのは当然だ。


「ボク達は、東方地域において冒険者の失踪と未帰還が増加している背景に、グロウスター卿が深く関与していると早くから確信していた。けれど東方支部が慎重に動きすぎていて、ずっともどかしく思っていたんだ」


 そう言って、クリスは微笑みを浮かべた。確かに笑っているはずなのに、寂しさと申し訳なさを同時に感じさせる不思議な表情だった。


「だから秘密裏にボクが派遣された。クリス・テイラーと名乗っていたのは()()()との関係を隠すためじゃなくて、この正体を隠すためだったんだよ」

「クリス……お前……」

「まぁ、蓋を開けてみれば東方支部の『クルーシブル』への依頼とタイミングが被ってしまって、わざわざ派遣する必要は薄かったという()()なんだけどね。結果論でどうこう言っても仕方がないけれど」


 クリスは自嘲気味に笑った。さっきからずっと、クリスは俺と目を合わせようとしていない。理由は分かる。俺に対して――正確には俺達三人に対して後ろめたさを抱いているんだ。


 このまま話を終わらせてもよかったが、俺はあえてクリスの後ろめたさの理由を指摘することにした。


「なるほどね……例の実験依頼のとき、わざわざ俺に近付いてきたのは、グロウスター卿……いや、エノクが次は()()()()()()()()だろうと推測したからなんだな」


 今回の依頼の真意は次の獲物を物色することにある――クリスはきっとそう読んだのだ。

 責めるような口調にならないよう、俺は慎重に言葉を選びながら話し続けた。


「虎穴に入らずんば何とやら。エノクが俺達を狙っているっていうなら、一緒に依頼を受けて懐に潜り込むのが一番だろうからな」

「……君達には本当に申し訳ないと思っている。レオナが怒っていただろう? 危険だと分かっているのに、どうしてギルドは指名依頼を許可したのかって。あれも粛正課が裏で手を回して依頼を通させたからなんだ」


 まるで『トロイの木馬』だ。クリスという本命を敵の懐に忍び込ませるために、エノクが目を付けた冒険者(おれたち)をあちらの目論見通りに送り出したのだ。


「てことは、レオナやアルスランとはぐれたのもわざとなのか」

「本来の役目を果たす絶好の機会だったからね。まさか君に追いつかれるとは思わなかったけど」


 クリスはこの期に及んで視線を逸らしたままだった。

 俺は立ち上がってクリスの視線の先に移動したが、それでもクリスは別の方を向いてしまった。


「理解してもらえたかな。これがボクの真実さ。君達のことを騙していたのかと言われたら……言い訳の余地もなくその通りだ。恨みたければ恨んでいい。君達にはその資格がある。けれど、せめて全てが終わるまでは……」


 いい加減に苛立ってきた。真相を伏せられていたことにではない。目を合わせようとしないことにでもない。ギルドという大組織の意向で働かされていただけの少女(クリス)が、こんなにも罪悪感を堪えた顔をさせられていることに、俺は同しようもない苛立ちを覚えていた。


「クリス」


 俺はクリスの顔を両手で抑えてこちらを向かせた。


「ありがとな。あんたが一緒に来てくれてよかった」

「……カイ、何を言って……」

「どうせ三人でも依頼を受けるつもりだったんだ。もしもクリスが『俺達と一緒に行こう』と思ってくれなかったら、今よりずっと最悪な状況になってたに決まってる。第一、俺は全力疾走で成り上がるつもりでいるんだからな。この程度の難局なんてむしろ大歓迎なんだよ。だから……」


 両手でクリスの瑞々(みずみず)しい頬を軽く叩くと、クリスはびっくりした子供のように目を(つむ)った。


「こっからが正念場だ。気合い入れていこうぜ、クリス」


 にいっと笑みを浮かべてみせる。強がりでもなければ気遣いでもない。心の底から俺はそう思っている。


 Bランク冒険者――ストイシャからの支援の約束。

 東方支部の調査依頼と、ギルド本部直々の調査への協力という実績。


 どれも俺にとってメリットにしかならない。冒険者ランクを駆け上がって更に上へと成り上がるための強烈な起爆剤だ。だからクリスに対しては怒りも恨みも一切なく、ただ感謝だけを感じている。


「……っ、君という人は……」


 クリスは目元についていた水気を腕で拭い、今度こそ普段通りの――いや、普段以上に力強い目で俺をまっすぐ見据えた。


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