81.調査再開
何事もなかったかのような態度とはこのことだ。クリスは外傷どころか疲労した気配すら見せず、当たり前のように俺の前に姿を現した。
「とりあえず、どういう経緯でこうなったのか教えてもらえるかな」
「そっちこそ。何でここにいるのか教えてくれ」
ひとまず俺達は、お互いの状況を説明し合うことにした。
まずは俺から、地下に足を踏み入れることになった経緯や、タルボットとの戦闘と通路が崩落した理由を伝えた。
次にクリスが、ここに来るまでの経緯を説明する。
実験施設に着いた後、四人それぞれ別行動をして施設内を調べ始めたのだが、建物の中を調べているといきなり黒鎧が襲い掛かってきたらしい。タイミングとしてはレオナ達が黒鎧に襲撃された直後のことだ。
連絡は追跡を振り切ってからと考えて、あちこち走り回った末にこの地下空間に逃げ込んだそうだ。どうにか追手は振り切れたものの、地下空間はまるで迷路のように入り組んでいて、見つからないように地上へ出るのが難しかったのだという。
そこに俺が《ディスタント・メッセージ》のリンクを繋いだので、地上から誰かが来るのを大人しく待っていたところ、凄まじい大爆発が置きたので何事かと思って様子を見に来たらしい。
「しかし驚いたね。地上への道が塞がっている上に、敵と和気藹々としているなんて」
「こいつらはエノクに弱みを握られて従わされているだけみたいだからな。黒い鎧の連中みたいに徹底的に戦う必要もないだろ」
「ふぅん……安全対策が万全とは言えないけど、武装解除は一応されてるみたいだし、君がそれでいいと思うなら構わないよ」
クリスは俺の肩を軽く叩き、通路の奥へ向かって歩き出した。
「助けが来るまでぼうっとしていても時間の無駄だし、奥を調べにいかないか? 色々と興味深いものがあるんだ」
「そうだな、ここにいても逃げ場がないだけだしな」
俺はクリスの提案に賛同してこの場を離れることにした。
敵の親玉がいるかもしれないのに奥へ向かうのは、一見とても危険な行為に思えるが、実はこの場に留まるよりもずっと安全だ。
何故なら、通路が崩落して埋まったせいで、この場所は完全な袋小路になってしまっているからだ。
爆発音や振動に気付かれたとか、タルボットの未帰還を怪しんだとかの理由で増援を送り込まれた場合、逃げ場のない行き止まりで追い詰められることになってしまう。
それを考えると、この場に残ることこそが自殺行為だ。
「……ちょっと待った!」
しばらく通路を歩いたところで、短髪の白い少女が急いで追いついてきた。
「どうしたんだ?」
「私も一緒に行く。エノク様は裏切れないけど、出来る限りの範囲でなら案内してやるよ」
俺はクリスと顔を見合わせた。
予想外の提案だった。裏切れないと言ってはいるが、俺達を案内する時点で裏切りとみなされても仕方のないことだ。かといって、罠に嵌めるつもりにしては唐突過ぎるし露骨過ぎる。
俺が困惑していることに気付いたのか、少女は更に言葉を重ねた。
「その……アレだよ。助けてもらっておいて何もしないっていうのは気持ち悪いだろ。あんたが言ってたのと同じだよ。気分の問題なんだ。私だってもやもやした気分でいるのは嫌なんだよ」
「……他の三人は放っておいていいのか? 特にあの二人、血を流しすぎてまだ動けないみたいだけど」
「あいつらはパルに……えっと、もう一人の軽症だった奴に任せておくよ。ついて行くのは私だけだ。もしものときにお叱りを受けるのもな」
俺はさり気なくクリスに視線を送って合図してから、短髪の少女に一つだけ質問を投げかけた。
「これだけは念のために聞いておくぞ。俺達を罠に嵌めるとか、エノクに有利になるよう誘導するとか、そういうつもりはないんだな」
「ああ、もちろん。ただ借りを返したいだけなんだ」
少女の返答を聞いて、クリスはコクリと頷いた。
《真偽判定》の結果は白――この返答に嘘偽りはない。
俺は短髪の少女の提案を、そしてクリスの判断を信じることにした。
「分かった、お願いするよ。ただしその前に――」
手元に双剣を実体化させて素早く少女の首筋に振り向ける。刃が柔肌の一ミリ手前で停止して、少女の肌が粟立った。
「君は俺に脅されて道案内をした。命を守るためには仕方のないことだった。これでいいな?」
白い短髪の少女と、通路の奥に残った他の少女達に順番に視線を向ける。
全員がちゃんと頷いたのを確かめてから、俺は双剣の実体化を解除して少女に謝った。
「悪かった。こういう体裁でいかないと後で面倒だからな」
「全く……甘いね君も」
クリスに呆れられながら、白い髪の少女を連れて移動を再開する。
「ところで、君の名前はなんて言うんだ?」
「……ヴァン。男みたいって言うなよ。私達に付けられてる名前は、普通の人とは規則が違うんだ」
本当に男みたいだな、と思ってしまったが、ちゃんと心の奥底に留めておく。
クリスは男女兼用の名前だし、ファムのもう一つの名前のトリスも男性名のトリスタンの略称と同じだが、ヴァンという名前はそれ以上に男性的だ。
喋り方もどことなく少年っぽい感じがするのだが、ヴァンと名付けられたからこういう性格になったのだろうか。それともこういう性格だから、後からヴァンという名前を与えられたのか。まぁ、別に性格と名前は関係がないのだろうけど。
下らないことを考えながら歩いていると、クリスが不意に足を止めた。
「まずはここを調べよう。死角も多くて隠れるのにも向いているからね」
目の前の扉には『資料室』というプレートが掲げられていた。
まるで小さな図書館のような部屋だった。古びた書物、古風な巻物、中身の分からない箱など、様々なものが整然と並べられている。分類も細かいところまで行き届いているらしく、所有者の几帳面な性格が伺える気がした。
室内を歩き回ってみて分かったのだが、確かにここは隠れるのに向いている。本棚やら何やらが立ち並んでいるせいで見通しが悪く、近くにいるはずのクリスの姿もよく見えない。
ただ、何故かヴァンは俺にぴったりとついて来ているので、見失うようなことはなかったが。
「一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「うわっ!」
物陰からクリスがひょっこりと現れて、思わず驚かされてしまう。
「カイじゃなくてそこの君にね。これ、君達と何か関係があるのかな」
そう言って見せられた本の表紙には金箔押しでこう記されていた。
人工生命の研究手法について――と。