79.再戦、タルボット
タルボットが腕を変化させたのを見て、俺はすぐさま双剣を構えた。
奴の狙いが俺一人なのは明らかだが、他の三人に対してどんな行動に出るか、まるで予想できない。完全に無視してくるか、手を出してくるまで何もしないつもりか、それとも問答無用でまとめて攻撃するつもりなのか。
思考に割いた時間はほんの一瞬。俺は即座に駆け出してタルボットとの距離を詰めた。
《ワイルドカード》をノーモーションで《瞬間強化》に切り替え、ブーストした脚力で一気に間合いを踏破する。
「そうだ、それでいい!」
異形と化したタルボットの腕に力が込められ、何もない空間を爪で引き裂くように振り抜かれる。
悪寒が背筋を走り抜ける。
俺は反射的に横へ跳び、壁に身体をぶつけながら叫んだ。
「エステル!」
「……っ! 《アイスシールド》!」
出現した氷の盾の表面に大きく深い爪痕が刻まれる。まるで不可視の巨大な爪が突き立てられたかのように。
「ほぅ」
タルボットは意外そうに声を漏らした。当然の反応だろう。完全に不意打ちで放たれた『見えない斬撃』を回避しただけでなく、射線上にいたエステルに防御の指示まで出したのだから。
もちろんこれは偶然じゃない。既に経験していたからだ。
アデル村を襲った盗賊の頭目が使っていたスキル、《飛斬撃》。その『見えない斬撃』に対処し、撃破した経験があったからこそ、タルボットの狙いを見抜くことができたのだ。
「――殺らせると思ったか?」
実体化させた《ワイルドカード》の表面に触れ、銀色のカードに書き換える。
装備カード《巌の大盾》――岩肌を切り出したかのような大質量の盾を、自分の背後に出現させる。
この装備カードにはちょっとした特性がある。大きさと重量のせいで手に持って使うことが難しい代わりに、地面に置くと結合して固定され、巨大な置き盾として扱えるようになる。
後方を塞ぐ《巌の大盾》と左右の壁と天井の間の隙間は、人間一人が通れるかも怪しいほどに狭い。これならタルボットの攻撃が後ろの三人に当たることはないだろう。
「ちょ、ちょっとカイ! 一人で戦う気なの!?」
「すぐに片付ける。そこで待っててくれ」
「馬鹿っ! こんなことに使っていいカードじゃないでしょ!」
レオナがどれだけ力を込めて叩いても、大盾はびくともしない。
貴重なレジェンドレアの《ワイルドカード》を他人を守るために使い、目の前の敵と戦うための力としない。この選択を愚かだと思うのは当然だ。最大の武器を捨てているのも当然なのだから。
けれど、今回はこれが正解だという確信がある。俺は右手の剣をタルボットに振り向け、挑発を兼ねてその理由を突き付けた。
「こんな狭い場所で仕掛けてきた理由、読めてきたぞ。腕をぶった切られたときみたいに飛んだり跳ねたりさせないためと、味方への流れ弾を気にさせて動きを鈍らせるためだな。セコい考えしやがって」
だからこそ、《巌の大盾》で通路を塞ぐという一手は、レオナ達を傷つけられたくないという甘い考えとは無関係に有効な選択肢となる。
狭い通路と《飛斬撃》のような効果範囲の広い遠隔攻撃。これらの条件が合わさった状態で集団戦を挑むのは、単に的を増やす結果に終わるだけだ。かといって三人を階段まで逃がすのも下策。不可視の斬撃が無防備な背中に降り注ぐことになる。
しかし、こうして通路を塞いで一対一に持ち込んでしまえば、俺一人が回避すればそれで済む。追撃を許すこともない。開けた場所での戦闘なら四人掛かりの総攻撃がベストだが、この狭い通路ではこれが最善だ。
エステルに《アイスシールド》で防ぎ続けてもらうことも考えたが、魔力の消費と削り切られる恐れを考慮して、《巌の大盾》が絶えきれなくなったときの保険と考えることにした。
「『こうすれば自分から一対一にしてくれるからだ』……と言ったらどうする?」
「……苦し紛れの後付だろ?」
振り下ろされる爪を双剣で受け止める。片手で防いで反撃を、なんていう甘えを許さない強烈な一撃だった。
斬り結びながら隙を探り続ける。タルボットの攻撃は全て変異した右腕で行われている。つまり隙が生じるとすれば左半身。右腕が振り上げられたタイミングに合わせ、俺は素早く懐へ潜り込んだ。
「甘いっ!」
タルボットのローブが翻り、左腕を伝って一匹のリスが飛び掛かってきた。
手品師じみた手腕に驚く暇もなく、眼前でリスの頭が醜悪に巨大化し、鋭い前歯で俺の首をギロチンのように切り落としにかかる。即座に双剣を振るって逆に首を斬り落とすも、その動作自体がタルボットに隙を晒すことになってしまう。
タルボットの右腕が俺の身体を通路の壁に叩きつける。少しでも衝撃を軽減しようとあがいたが、体中の骨という骨が軋みを上げることは止められなかった。
「ぐうっ……!」
腕が動いて隙間が出来たのを見逃さず、身体を捩って脱出する。
全身が苦痛を訴えているが、これでも運が良かった方だ。迎撃のための動作で明らかに右腕の速度が緩んでいたし、爪が当たっていれば間違いなく重症を負わされていただろう。
双剣を構え直しつつ敵の状況を確認する。
タルボットは余裕に満ち溢れた態度で通路の中央に立ちふさがり、鎧姿の少女達は戦闘に巻き込まれるのを避けるためか後ろに下がっている。
「ディーから話は聞いているぞ。カードをコピーできるカードを持っているそうだな。大方それが切り札なんだろう? 遠慮なく使うがいいさ。小娘共を守るのを諦めるならな」
《ワイルドカード》を使えない状態で戦うか、大盾を解除してリスクを他の三人に押し付けるか。俺が取れる選択肢はこの二つだけ――タルボットはそう考えているのだろう。
大筋では間違っていないが、一つだけ誤算がある。
「はっ、笑わせんな。お前の相手なんて、この二振りで充分なんだよ」
再び爪と刃が斬り結ぶ。今回は攻めに転じずに守りを固め、異形の右腕の猛攻を凌ぎ続ける。そして僅かな隙を突いて、右腕を足場に跳躍してタルボットを跳び越えた。
「……何のつもりだ?」
「追い詰められたらあの子達にも例の石を埋め込むつもりなんだろ。そんなことされたら面倒だからな」
「ははっ! 俺よりも非道な発想じゃあないか!」
俺が鎧姿の少女達に、タルボットがレオナ達を守る《巌の大盾》に背を向けた形で斬り合いを再開する。
その最中、先ほど『不可視の飛ぶ斬撃』を繰り出したときと同じように、異形の右腕に力が込められるのが見えた。
あまりにも見え見えの予備動作だ。俺は最小限の動きでそれを回避した。
「けふっ……!」
「ひっ!」
「いやあああっ!?」
突如、背後から悲鳴が上がる。思わず振り返ると、後ろの少女達が鎧ごとざっくりと斬り裂かれ、赤い血飛沫を撒き散らしていた。俺の見間違いでなければ、片腕が切断されてしまった少女もいる。
唖然としたところにタルボットの右腕が振り下ろされる。間一髪で双剣をかざして受け止めたものの、防ぎきれなかった爪の一本が、俺の顔面に斜めの傷を刻み込んだ。
「ぐっ……!」
流血に視界を奪われそうになりながらもタルボットを睨みつける。
「お前、自分が何したか分かってんのか! 味方だろうが!」
「分かっているとも。高価な実験動物が二、三匹死ねばまぁそれなりの損失だが、戦闘中に気にするほどのことでもない。まさか、アレを背にすれば攻撃の手が緩むとでも思ったか?」
タルボットの発言は皮肉でもなければ挑発でもない。こいつは心の底からそう思っている。
「ああ……そうかい」
腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってくる。
慎重にタイミングを測るのはもう止めだ。今ここで逆転の一手を決行する。これ以上、ふざけた真似をさせないうちに。
「……む?」
タルボットは俺の左手から剣が滑り落ちたのを見て、不審げに眉をひそめた。
自由になった左手の前に、真珠色のカードが実体化する。
「まさかっ!」
今度はタルボットが振り返る番だった。
通路を塞いでいた《巌の大盾》は既に解除されている。そして今、必殺の間合いで新たなカードが複製された。
「セット――《ファイアウォール》」
俺の眼前に炎の壁が出現する。それは即ち、まさにタルボットが立っているその場所が灼熱地獄に変貌したことを意味していた。
「――――ッ!」
言葉にならない叫びを上げるタルボット。炎の壁の中から逃れようとするが、俺は右手に握ったままの剣を振り下ろして大腿部に突き刺し、タルボットの動きを封じた。
更にその流れで、床に落とした左の剣を右手で拾い、天井に向かって斬り上げて異形の右腕を斬り落とす。
「終わりだ、タルボット」
炎が収まり、後には肌の焼け焦げたタルボットだけが残される。
流石に焼死体というほど酷くはないが、全身のどこにも無傷な場所がないのは明らかだ。
俺はとどめの一撃として、満身創痍のタルボットを袈裟懸けに斬り伏せた。




