77.研究棟の戦い(2/3)
研究施設の外で待っていたエステル達と合流し、レオナとアルスランから研究施設で起こった顛末を聞く。
三人が研究施設に到着した時点で、施設はもぬけの殻で黒鎧の兵士どころか研究員の姿もなかったらしい。しかし手分けをして作業場周辺を探索していたところ、突如として黒鎧の集団が現れ否応なしに戦闘になったそうだ。
レオナとアルスランはすぐに合流したが、クリスは《ディスタント・メッセージ》で安否を確認して以降、全く音沙汰がないのだという。
「安否を確認した時点では、彼女のところに奴らは現れていなかったようだ。同じように襲撃を受けているのであれば、援護を求めてくるとは思うのだが……」
「そっちから連絡はしたのか」
「いや、まだだ。戦闘に集中していたのもあるが、こちらの援護に来ることも連絡を寄越すこともしてこないということは、それが困難という可能性がある」
「敵から身を隠してるとか、誰かを尾行しているとかですね」
俺がそう言うと、アルスランは神妙な顔で頷いた。
《ディスタント・メッセージ》は有用なスペルではあるが、通信機や携帯電話ほど便利というわけではない。どうしても周囲に音を響かせてしまうし、それを嫌って小声で喋ると気付いてもらえない恐れがある。
「……一度だけ試してみましょう」
皆の了解を得て《ディスタント・メッセージ》越しにクリスに呼びかけてみることにする。もちろん声量はギリギリまで落とした上で。
「クリス、聞こえるか?」
『――その声、カイだね。何かあったのかい?』
意外なまでに普段通りの返答が帰ってくる。焦っている様子すら感じられない。ひとまず無事を確認できたので安心したが、だとしたらどうしてレオナ達と合流しなかったのだろう。
「こっちはレオナ達と合流したところだ。黒い鎧の連中は片付けた。そっちの状況は? 合流できそうにないのか?」
『ちょっと難しいかな。実はあの後にこちらも襲撃を受けてね。振り払うことはできたんだけど、追跡を撒くために無秩序に走り回ったら、現在位置が施設のどこなのか判断できなくなってしまったんだ』
「なるほど。要するに迷子ってことだな」
冗談めかしてそう言ってやると、クリスが苦笑する気配がした。
あちらの現状、安堵すべきか心配すべきか悩むところだ。話し方を聞く限り、少なくとも現時点では差し迫った脅威に晒されていないのは間違いないのだけど。
「連絡しなかったのはレオナ達の戦いの邪魔をしないためか」
『そういうこと。近くに二人はいるかい? それなら今謝っておくよ。迷惑を掛けてすまなかった、ボクは無事だから、こちらのことは気にしないでくれ』
レオナがホッとした表情を浮かべた。態度には表していなかったが、レオナもクリスの安否が気にかかっていたようだ。
「これから今後の方針について話し合うから、結果が出たらまた連絡する。魔力が勿体ないから一旦リンクを切るぞ」
『了解』
クリスとの通信が終わるなり、ルイソンがわざとらしく溜め息を吐いた。
「ったく、世話の焼ける小娘だ」
「普段は俺達の中で一番しっかりしてる奴ですよ。多分よほどのことがあったんだと思います」
クリスの性格からすると、敵を振り払うのに多大な苦労を費やしたとしても、それを殊更に強調することはないはずだ。うっかりで迷子になることも考えにくいから、かなり厄介な状況に追い込まれていたと考えた方がいい
ひとまず、俺達七人は改めてチームを二つに分けて、確保すべき連中の行方とエノクの研究の調査を続行することにした。研究施設は俺とレオナとエステル、そしてプリムローズの四人が、施設外はアルスランとルイソンとアイビスの三人が担当する割り振りだ。
もちろん分担の仕方には理由がある。
最大の手がかりであるディーの血の匂いを嗅ぎ分けられるのは、デミウルフのルイソンとデミドッグのプリムローズの二人だけなので、まず二人をそれぞれのチームの軸に据える。
体力の有り余っているルイソンは少数で施設外を、消耗しているプリムローズは大人数で施設内を。一人でも充分強いアルスランが少数側に付き、空を飛べるアイビスは当然屋外を担当。残る俺達がプリムローズを護衛する。
「トチんじゃねぇぞ」
「もしものときはすぐに連絡を。こちらの状況は気にせず、遠慮なく繋いでくれ」
クリスに分担内容を手短に伝えてから、俺達は研究施設の作業場に戻った。
作業場は黒鎧の血の匂いで満たされていた。こんな場所に長居していたら気分が悪くなりそうだ。レオナ達は足早に隣の部屋へ移ろうとしていたが、俺はふと足を止めて、アルスランに倒された黒鎧に近付いた。
「ちょっと、カイ。危ないわよ」
「いい機会だから確かめたいことがあるんだ」
俺は動かなくなっている黒鎧の兜を掴み、引っこ抜こうとした。
ぎちり、ときつい手応えがして手が止まる。見た目の通り鎧兜が身体にきつく食い込んでいるようだ。それでも無理に引っ張ると、肉か皮のちぎれる感触がして、兜の中の頭が露わになった。
「……っ! 冗談じゃねぇぞ……」
反吐が出そうな有様だった。病的なまでに肌が白く、頭髪はおろか人相すらないのっぺりとした頭部がそこにあった。
これは本当に人間なのか。人間だったのか。
ヒトという生き物を溶かして均した無個性な物体。目の前の代物はそうとしか表現できなかった。唯一個性らしきものがあるとすれば、前頭部に付いた傷跡くらいだ。古傷のようなので、アルスランと戦う前に付いたものだろう。
俺は苛立ち紛れに、この黒鎧が使っていたであろう槍を蹴っ飛ばしてから、先行するレオナ達に追いついた。
「何か分かった?」
「ああ。エノクって野郎は心底ろくでもないってよく分かったよ」
無自覚に不機嫌さが滲み出ていたのか、レオナはそれ以上何も聞かずにいてくれた。
気を取り直して建物の中を探索する。一つ一つ部屋に入り、プリムローズに匂いを確かめてもらい、不審なものがないか俺とレオナとエステルの三人がかりで探し、次の部屋に移動する。
見取り図は依頼主からもらっているが、部屋の用途が当時のままとは限らない。部屋の用途が以前と変わっていれば、それは『エノクがその用途の部屋を必要とした』からであり、研究目的を探る有力な手がかりになる。
例えば三番目に入った大部屋。元は新兵器開発のベースにする様々な武器をしまっておく倉庫だったのだが、今は例の黒鎧を格納するために使われている。趣味同然の新兵器開発に見切りをつけ、黒鎧の大量生産に重点を置き始めたという証拠だ。
「……どうします? 全部壊しちゃいますか?」
「いえ、後で回収してギルドの研究班に解析してもらいましょう」
「そうだな。未使用のまま置いてあるってことは、多分この鎧は過剰に生産した分なんじゃないか。予備だとか……売りに出す予定だとか」
あるいは――人間をあんな姿にするために手間が掛かって、中身の製造が追いついていないか。
一階の部屋は全て確認し終わった。次は上の階か地下のどちらかだ。
レオナが全員に見やすいように見取り図を広げた。
「エノク一味に乗っ取られる前は、地下は新兵器の試験場になっていたみたいね。上の階は仮眠室や会議室、後は作業場の大型機材の制御室。この辺は乗っ取られてからも用途は変わらないと思うけど」
作業場にはクレーンなどの大掛かりな装置があった。もちろん電気や化石燃料を使ったものではなく、もっと原始的な仕組みをしている。制御室とはそれらを動かすコントロールルームのことだ。
プリムローズは上階に繋がる階段と、地下に繋がる階段の空気の匂いをそれぞれ嗅いで、地下への階段を指差した。
「こっちね。血の匂いやグロウスター卿の匂いとは違うけど、ごく最近に複数の人間が階段を降りているわ。恐らく、作業場に送り込んだ黒鎧の兵士を除いて、建物内にいた兵を地下に集めたのよ」
「さすがはデミドッグ……!」
そうと分かれば話は早い。俺とレオナが先頭になって階段を降り、足音を殺して地下へと踏み込んでいく。
研究施設の地下には広大な空間が設けられている。地下室と呼ぶにはあまりに広い。二階建ての建築物が丸ごと地下に埋まっているようなものだ。
階段を降りきったところで足を止め、《暗視》スキルと《聞き耳》スキルを切り替えて薄暗い廊下の奥の様子を探る。
「黒鎧が三体。姿を隠せる場所はない。やるしかなさそうだな」
「待って。まず私に任せて」
プリムローズは床に手を置いてスペルを唱えた。
「《エレクトロスタン》」
微かな光を放つ電流が床面を走り、三体の黒鎧にまとわりついてショックを与える。昏倒とまではいかないが、確実に動きが鈍らされているはずだ。
俺とレオナは無言の合図で走り出し、黒鎧に斬り掛かった。




