76.研究棟の戦い(1/3)
「ルイソン! この子が浴びた返り血の匂いで黒幕の居場所を探るわ」
「まずはアルスランとの合流が先だ。できればストイシャともな」
グロウスター卿が連れて行かれた場所の特定を急ぐプリムローズの意見を、ルイソンは即座に却下して、アルスランのいる研究施設へ一直線に走っていく。
研究施設は屋敷よりも一回り小さく、シンプルな外観をしていた。
ストイシャ達の事前調査によると建物の半分は吹き抜けの作業場になっていて、正体不明の機材が大量に持ち込まれているのだという。
建物はかつて錬金術師ギルドが使っていたものなので、詳しい構造も依頼主経由で既に把握済みだ。しかし、エノク達が台頭して錬金術師ギルドが追い出されてから持ち込まれた機材については、用途どころか総数すら定かではない。
作業場の前に着くと、激しい戦いの音が漏れ聞こえてきた。
「まずは俺とこの男だけで突入する。他は合図をしたら入ってこい」
ルイソンは巨大な狼の姿のまま身震いをした。背中から降りるよう促しているのだと思ったので、ひとまずその通りに降りようとする。
「いや、お前は降りるな。乗せたまま突っ込む」
「ああ……なるほど」
俺一人がルイソンの背中の上に残り、エステルとアイビス、プリムローズは地面に降ろされる。
負傷していたプリムローズとアイビスを戦場から一旦遠ざけ、体力魔力共に余裕があって遠距離攻撃も防御スペルも仕えるエステルを護衛に残す。ルイソンは言葉遣いこそ悪いが、こういう判断はとにかく早くて正確だ。
しかしプリムローズだけはこの割り振りに不満を浮かべていた。
「傷も塞いでもらったんだから、まだ戦えるわ」
「馬鹿も休み休み言え。どう見ても血が足りてねぇだろ」
《ヒーリング》は傷を癒やすが失血までは治せない。より正確には、一定以上の質量と体積の欠損は修復しきれないのである。
刀傷や打撲、受傷したばかりの火傷などは塞いだり元に戻したりできるが、斬り落とされたり炭になったりして完全に喪失した部位や、流れ出て失われた血液を元通りにすることはできない。レアスペルの限界と言えるだろう。
また、傷跡や火傷の痕を消すこともできない。跡を残さず治すことはできても、自然治癒力で塞がった痕跡は消せない。それらは既に治っているので、いくら外見を損ねていても更に治すことはできないのだ。
そういったレベルの治癒は更に高レアリティのスペルが必要となる。ギルドのショップでもお目に掛かったことがなく、当然ながら俺のコピー対象のストックにもない。とにかく希少な代物である。
「エステル。違う血で汚れたらまずいから、こいつを預かっといてくれ」
俺は着衣の一番上の服を脱いでエステルに投げ渡した。
今のところ本物のエノクに繋がる唯一の手がかりだ。別の敵の返り血を浴びて判別困難になったら目も当てられない。
「間違っても先走んじゃねぇぞ? エノクを探すのはこっちが片付いてからだ。アイビスとエルフの女は、そこの馬鹿犬に首輪でも付けて見張っておいてくれや」
そう言うなり、ルイソンは四本の強靭な脚で地面を蹴って一気に加速した。
「突っ込むぞ! ビビんなよ!」
この一言は、俺だけではなく《ディスタント・メッセージ》を通じてレオナとアルスランにも届けられているようだった。突入の音に驚いて隙を作らないようにという配慮だろう。
加速を付けて跳躍し、二階相当の窓を突き破って作業場に飛び込む。
着地までの一秒程度の間に、俺は作業場の様子を見渡した。体育館のように広くて天井の高い施設内に、木製や金属製の箱や使い道の分からない大型器材が並んでいる。
そしてそれらの間を縫うようにして、アルスランとレオナが黒鎧と戦っていた。
「行け!」
ルイソンが着地した瞬間にその背中から飛び降り、二人を狙っていた黒鎧を後ろから斬りつける。驚いたことに、二人の周りには動かなくなった黒鎧が何体も倒れ伏していた。
「カイ……!」
「援護しに来たつもりだったけど、要らなかったか?」
「いや、実にありがたい! こいつらを片付けなければ調査も続けられん!」
とは言うものの、相手は手足を斬っても襲い掛かってくるような連中だ。どう考えても数を減らすこと自体が難しい。
そんなことを考えている俺の前で、二人はそれぞれのやり方で黒鎧達を無力化し続けていた。
「ぬぅん!」
アルスランが黒鎧に大剣を振り下ろす。防御のためにかざされた剣を叩き折り、鎧ごと腕をへし折って、更に胴体まで陥没させる。力尽くで刀身を引き抜くと、今度は逆側から横薙ぎに振り抜いて、反対側の腕と胴体を破壊した。
レオナは黒鎧の攻撃を落ち着いて対処し、隙を見て兜の覗き穴に切っ先を突き立てた。もちろん穂先の厚みのため先端が少し入る程度だが、レオナはその状態で《フレイムランス》の機能を発動させ、兜の中に直接炎を注ぎ込んだ。
「……えげつないな、二人とも」
黒鎧はそうでもしなければ止まらない相手なのだ。普通の人間ならオーバーキルになるくらいでちょうどいい。
ルイソンも前脚で倒した相手に噛み付いて、四肢や重要部位を噛み砕いて無力化するという作業を繰り返していた。
ぼやぼやしていたら一番の役立たずで終わってしまいそうだ。俺は《上級武術》に変えていた《ワイルドカード》をレアスペルの《ストーンジャベリン》に切り替えて、一番近くにいた黒鎧に向かって駆け出した。
大雑把な動きで振られた剣を双剣の片割れで受け流し、懐に潜り込むと同時に兜の顔面をわし掴みにする。
「《ストーンジャベリン》!」
密着状態から放たれた石の投槍が兜のバイザーを突き破り、その中身を水風船のように破裂させる。遠くから放っただけでは吹き飛ばして骨を折る程度になるだろうが、ピンポイントで撃ち込めば確実にとどめを刺すことができる。
問題は、一発撃つごとにそれなりの魔力を消耗してしまうことだ。本来の用途とは違う贅沢な使い方をしているので、仕方のないことではあるが。
「おい坊主。そうやって仕留めるなら《ウィンドカッター》の方が安上がりだろ。ドルドが見せてたんじゃねぇのか」
ルイソンにアドバイスされて、デミラットのドルドに見せてもらったスペルカードのことを思い出した。慣れたスペルをつい選んでしまったが、確かにこの使い方なら低コストの《ウィンドカッター》の方が向いている。
俺は二人目の黒鎧に肉薄し、さっきと同じように兜の覗き穴からスペルを撃ち込んで、中身を風の刃で断ち切った。
普通の人間相手ならまず通用しないか、そもそもやる必要のない戦い方だ。異常なまでにタフで凄まじい力を持つが、動きはあまり洗練されていない黒鎧が相手だからこそ、こんな無茶苦茶な戦い方が有効になる。
「一通り片付いたかな」
アルスランが大剣を床に突き立てて一息つく。
あれから休みなく戦い続けた結果、作業場にいた黒鎧は全て無力化または殺害された。血の臭いが鼻を突いて、あんな化物でもちゃんとした生き物だったのだと実感させる。
上着をエステルに預けてきてよかった。あれを着たまま戦っていたら、貴重な証拠が台無しになっていたところだ。
ルイソンも元の人狼の姿に戻って、顎の周りをしきりにマッサージしている。
「……んで、そろそろ外の連中も呼びつけるか?」
「いや、我々が外に出よう。こんな場所にいたら気が滅入ってしょうがない」
アルスランの提案はむしろレオナを気遣っての判断のようだ。レオナの顔色はあまり良くない。疲労もあるだろうが、黒鎧達の凄惨な有様に気分を悪くしているようにも見える。
悪人や敵を殺すことを悪とは思わない――それがこの世界の共通認識ではあるが、必要以上に無残な殺し方は当たり前に嫌悪される。黒鎧達の惨状は、普通の人間相手なら『いくら何でもやりすぎだ』と非難される状態である。
「……そうだ! クリスはどこにいるんだ?」
俺は今になってようやく、この場所にいるはずのもう一人がいないことに気が付いた。てっきり死角で戦っているものだと思い込んでいたが、この期に及んで姿が見えないのは明らかにおかしい。
「そのことなのだがな……話せば少し長くなりそうなのだ」
アルスランは白獅子の顔に困ったような表情を浮かべた。




