71.詐欺師、ディー(1/2)
白髪の少女から鎧と武装を取り上げ、持ち込んでおいた拘束用の紐で縛り上げる。殺意の篭った視線で睨まれているが、流石に手を緩めるわけにはいかない。心を鬼にして動けないようにさせてもらう。
「侵入者め……何が目的だ……!」
手足を拘束しても安全というわけではないのが、この世界の厄介なところだ。武器がなくてもスキルや装備カードがあれば十分に戦えるし、口が自由ならスペルを唱えられる。
適切なカードさえあれば、この状態からだって簡単に逃れられるだろう。
だが、そこは割り切りどころだ。考えすぎたら身動きが取れなくなる。
「なぁに。テメェらのボスについて聞きたいことがあるだけさ」
「……っ!」
ルイソンはしゃがんで少女と目線を合わせている。見た目のせいかルイソンの方が悪役に思えてしまう構図だ。狼男が縛られた少女を脅している現場に出くわしたら誰だってそう思うに違いない。
「単刀直入に聞くぜ。エノクはどこだ」
「賊に答えることなど何もない」
少女は険しい顔でルイソンから顔を背けた。
「ああそうかい。んじゃ右脚からイッとくか」
鋭い爪が生えたルイソンの手が少女の足首を掴み、もう片方の手が膝に添えられる。強靭な腕にほんの少しでも力を込めれば、少女の華奢な脚は簡単にへし折れてしまうだろう。
少女はきゅっと口元を引き結び、目を強く瞑って、すぐにでも襲い掛かってくるであろう激痛を堪らえようとした。
「ちょっと待った」
拷問が開始される寸前に、俺はルイソンを引き止めた。
「何だオイ。今更ヘタれたんじゃねぇだろうな」
「まさか。もっと簡単に喋ってもらえそうなやり方を思いついたんですよ」
殺意すら篭った眼光を受け流しつつ、ルイソンに場所を譲ってもらって少女と向き合う。俺の推測が正しければ、折られてもスペルで治せる両手両足なんかより、こちらの方がずっと大切なはずだ。
「……温情をかけて口を滑らせる作戦か? その手には乗らないぞ」
「これ、飲もうとしてたんだよね」
俺がそれを見せた瞬間、少女の顔色が明らかに変わった。錠剤の入った小さな薬ビン。組み敷いたときに水筒と一緒に転がり落ちたものだ。兜を脱いで水筒を手に持っていたのは、この薬を飲むためだったんだろう。
ビンの形も錠剤の形も、ファムが飲んでいたものと同じ。ファムは落とした薬ビンを拾うために、戦闘中にも関わらず安全な場所から出てしまった。つまり、自分の身の安全よりも大事な代物ということだ。
仮にこの少女もファムと同じなら、体を痛めつけるよりもこちらの方が効|
く《・》に違いない。
「な、何のこと?」
「大事じゃないならいいんだ」
俺は錠剤を一つ取り出して指でつまみ、《瞬間強化》を掛けた指の力で粉々に粉砕した。
二個目をつまんだところで、少女が青ざめた顔でじたばたし始めた。
「だ、ダメです! それは大事なものなんです!」
「知ってるよ。だからこうしてるんだ」
そう言って二つ目を砕く。今の自分がかなり悪役じみている自覚はあるが、手段を選んでいられない状況だ。それに、これで上手く行かなければルイソンに任せるしかなくなってしまう。
三個目に手をかけたところで、少女は遂に音を上げた。
「エノク様の居室は……ひとつ下の階の……」
少女から一通り情報を引き出してから、エステルに拾ってきてもらった水筒で薬を飲ませる。少女を担いで歩く余裕なんてないので、拘束してこの場に残したまま先を急ぐことにする。
正門の方から激しい戦闘の音が聞こえてくる。ストイシャに人手を割かれているのか、それとも最初からこの程度だったのか、いずれにしても館内の警備はかなり手薄だ。
「さっきの薬がどんな代物か知ってたのか?」
「詳しいことはさっぱり。けど大事な物だってことは知ってました」
「ははっ! その程度で脅しの材料に使ったわけか! なかなか肝が据わってるじゃねぇか」
「本物のエノクならともかく、影武者なら売ってもおかしくないでしょう?」
俺達が居場所を探している『エノク』とは本物の方ではない。あくまで影武者の方を制圧することが役割だ。表向きにはあいつが『エノク』として行動していたわけだから、貴重な情報をたくさん抱えているだろうという判断である。
『クルーシブル』が受けた任務は、錬金術師エノクの研究の実態を探ることと、その背後関係を明らかにすること。研究施設の制圧は前者のためで、グロウスター卿の身柄確保とエノクの影武者の制圧は後者のためだ。
階段を降りて下のフロアに出たところで、ルイソンが声を潜めた。
「……っと。気ぃ引き締めとけ。真新しい臭いがする」
「さすがに自分の部屋の周りは警備させてるか……部屋の前に二人……さっきと同じやり方で制圧します?」
《暗視》で確認できた人数は二人。どちらもさっきの少女と似たような体格と装備で、部屋の前で立番をしている。
「いいや、面倒臭ぇ。強行突破でぶっ飛ばす。それと女、俺が扉を蹴破ったらすぐに部屋の中に一発ぶち込め。狙いは付けなくていい」
「はいっ!」
俺とルイソンが先行し、見張りに強襲を仕掛ける。足音を誤魔化していないので途中で気付かれてしまうが、対応される前にルイソンの豪腕が二人とも吹き飛ばしてしまった。
しっかり爪を立てた一撃だったように見えたが、鎧を着込んでいたので死んではいないだろう。
「ふんっ!」
ルイソンが勢いのまま扉を蹴破る。蝶番が弾けて扉そのものが宙を舞った。
すかさずエステルが前に出て、室内に氷の散弾を撃ち込む。
「《アイスショット》!」
「一体何の騒――ぐほぁっ!」
散弾の範囲内にいた男が数発分の直撃を受けて吹き飛ばされる。前に見たときよりもだいぶラフな格好をしているが、こいつがエノクの影武者――ディーという名の詐欺師で間違いない。
ディーは口の端から血を流し、混乱を極めた表情で辺りを見渡している。エノクを名乗っていたときの威厳は欠片もなかった。
情けない有様だが、あの威厳ある振る舞いを違和感なく演じていたわけだから、凄まじい演技力と言わざるをえない。その手のスキルカードでも持っているのだろうか。だとしたら詐欺師じゃなく役者になればよかったのだ。
「きさ、貴様ら、何のつもりだ! どこから来た!」
血の混じった唾液を飛ばし、ディーがわめき散らす。
「か、金か? それならあるぞ、持っていってさっさと帰れ!」
「……ハァ。情けねぇ奴だ」
ルイソンは呆れ顔で部屋に踏み込んだ。気勢をそがれたというか、出鼻をくじかれたというか、とにかくやる気を失わされた顔だ。
気持ちは分からなくもない。影武者とはいえ、事件の真相に最も近い人物の一人を追い詰めてみたら、部屋の隅で情けなく震え上がっているだけだったのだから。戦意が減退するのも仕方がない。
「少しくらい抵抗しようって気概はねぇのか?」
「て、抵抗? そんな、そんなもの……」
突如、ディーの目の前の床が強烈な光を放つ。
「とっくに終わっているとも!」
「何っ!」
まるで穴を這い上がってくるかのように、巨大な漆黒の甲冑が光の中から姿を現す。この部屋の高い天井に頭頂部が達するほどの巨体で、体格相応に大きな斧を携えていた。
まさかあの情けない振る舞いすら演技だったのか。巨大な甲冑を喚び出す時間を稼ぐための。
ディーが壁に取り付けられた飾りの一つを捻る。すると床の一部がスライドして正方形の穴が出現した。
「ははは! やってしまえ!」
巨大な甲冑が横薙ぎに斧を振るう。ルイソンは素早く踏み込んで柄の部分を受け止めたが、その隙にディーは隠し階段を駆け下りてしまっていた。
「逃がすな、追え!」
ルイソンが指示を出すより先に、エステルは斧の下を潜り抜けてディーノ後を追っていた。
「ここはお願いします!」
「おう、さっさと行け!」
エステルを追いかけるかルイソンを援護するか――悩んだのはほんの一瞬。隠し階段を駆け下りる俺の背後で、斧が壁と床を打ち砕く轟音が響き渡った。