60.トレーニング・デイ
以前交わした約束の通り、俺は依頼の合間を縫ってレオナの特訓に付き合っている。
報酬は一回二百ソリド。これでもレオナが最初に提示した額より安くなっていて、俺は高額すぎるからもっと安くていいと言ったのだが、高レア持ちを拘束する代金としては安いくらいだと言われ、この金額で押し切られてしまった。
依頼を一つ終え、次の依頼を受けるまでの間に一回やると考えると、俺の報酬が毎回二百ソリド増えて、レオナの報酬が二百ソリド減るようなものだ。
場所はいつもレオナが特訓をしている空き地。道具はお互いの装備カード……という話だったのだが、何故か色々な種類の練習用の武器が用意されていた。
「これ、どうしたんだ?」
「思いっきりやれるように練習用の槍と剣を買おうと思ってたんだけどね。ちょうど近所の道場が新しいのに買い換えるところで、全部まとめて引き取るなら安く売ってくれるっていうから」
冒険者を対象とした道場の需要が伸びているということは、道場の金銭的な余裕が増える一方で、道具が酷使されて痛みも早くなるということだ。当然、新しい道具に頻繁に買い換えるだろうし、古い道具の処分に頭を悩ませることになる。
処分の方法は色々あるが、その道場は『安値でもいいから下取りに出す』という手段を選んだわけだ。
「槍が三本と双剣に使えそうな剣が五本。他の武器をどうするかは……後で考えることにして。槍と剣がこれだけあれば充分でしょ」
「でも、こんなにあるのに遊ばせておくのはもったいないよな」
何か有効活用する方法はないものだろうか。
そんなことを考えていると、俺の脳裏に閃きが走った。
「……そうだ、いいこと思いついた」
「差し入れ持ってきました。そろそろ休憩に……って、あれ?」
二時間ほど打ち合った辺りで、エステルとクリスが様子を見にやって来た。
軽食の入った籠を持ったエステルが、俺達の訓練風景を見てもの凄く不思議そうな顔をした。
不思議がられるのも無理はない。何故なら、俺が振るっている武器が双剣ではなく普通の槍だからだ。
何度も攻防を入れ替えながら槍をぶつけ合い、最後に穂先をお互いの眼前に突きつけ合って訓練を中断する。
「カイさん、どうしたんですか? いつもは槍なんて使いませんよね」
「ちょっと思いついたことがあってさ。もう少ししたら休憩するから、あっちで待っててくれ」
俺は具現化させた《槍術》スキルのカードの表面を撫でて、銀色の《武術教練》のカードに切り替える。
「それじゃあ、休憩の前に反省点を挙げてくぞ」
「……うん、よろしく」
レオナとの特訓は三つのステップに分かれている。
《武術教練》と《双剣術》を併用して打ち合いながら教えるメインの教練。
各武器の専門スキルをコピーして行う実戦さながらの模擬戦闘。
模擬戦闘の内容を《武術教練》の技能で分析し、改善点を伝える指導。
レオナから聞いた「評判のいい道場はこんな風に鍛えている」という教え方を、《ワイルドカード》を駆使して一人で再現してみようとした結果だ。
もしも《武術教練》の現物を持っていたら、《ワイルドカード》であらゆる武器の専門スキルを取っ替え引っ替えすることで、もっと効率よく教えられそうな気がする。高額なカードなので仮定の話に過ぎないのだが。
「お疲れ様です。水分補給はちゃんとしてくださいね」
来月には冬になる時期とはいえ、運動をすれば汗もかく。水分補給は必要不可欠だ。エステルからもらった飲み物を飲んだ瞬間、とてつもなく懐かしい感覚が全身を駆け巡った。
「……これは?」
「塩と砂糖とハチミツとレモンの果汁を溶かした飲み物です」
まさしく手作りのスポーツドリンクだ。懐かしい味がするはずである。
ちなみに、帝国では街道による大規模な流通網が発達しているので、南の方で採れる砂糖をハイデン市でも割と気軽に買うことができる。ハチミツも副産物の蜜蝋がロウソクの材料になるため、意外と生産量は多い。
「エルフってこういうの作って飲んでるのか」
「いえ、違うんです。レオナがこういうの作って欲しいって。よく知りませんけど、故郷の味とかなんでしょうか」
当のレオナは、汗だくになって荒く息をしながらお手製スポーツドリンクを飲み干している。レオナと比べると俺の【体】は四割増しなので、同じ時間だけ動いても疲れ具合がぜんぜん違う。
【体】は一朝一夕では上げられない。《ステータスアップ》のカードを使えばもちろん話は別だが、コモンというレアリティの割にショップでもなかなか見かけない希少品である。
それというのも需要が供給量を上回っているせいだ。
《ステータスアップ》は各種類ごとに三枚ずつまでしかセットできないが、まず引き当てた本人が真っ先に使い、九枚を越えた分は仲間内で取引され、それでも余ったときにようやくギルドに売却されるようになる。
しかも、一般人にとっても有用なカードなので各地のカードショップからも納品要請が絶えないそうだ。これらのハードルを乗り越えてギルドショップに並んだ分も、その需要の高さからあっという間に売れてしまう。
ショップで見つけたら迷わず買おうと三人で決めてはいるのだが、未だに在庫がある瞬間に巡り会えていない。
「甘いものも持ってきたからどうぞ。あっ、レオナも食べてね」
エステルがレオナに間食を持っていったのと入れ違いに、今度はクリスが俺に話しかけてきた。
「随分と気合が入ってるみたいだね。そこまで彼女に入れ込んでるのかい?」
「お互い様って奴だよ。俺のための訓練にもなってるからな」
俺はスポーツドリンクを半分ほど飲んでから、訓練前に思いついた俺にとってのメリットを説明する。
「カードは使い込むほどに成長するだろ? その経験値は俺達のステータス上のレベルと同じように、得る物が多い経験や、新しい刺激ほど多くなって、レベルが上がりやすくなるわけだから……」
「……ああ、なるほど。君は彼女の特訓と同時に《ワイルドカード》のレベルを上げようとしているんだね」
クリスは納得顔で頷いた。
「そういうこと。訓練の相手役として色んな戦闘スキルをコピーして戦えば、その分だけ《ワイルドカード》にも新鮮な経験が入ってくる。量そのものは実戦の方が多いけど、本気で戦いながら同じことするのは現実的じゃないからな」
実戦にこんなたくさんの武器を持っていくことはできないし、戦闘が起こりうる依頼に『今日はこの武器で戦うことにしよう』なんて舐めたことができるほどの実力は備わっていない。
しかも、様々な武器を相手に戦う経験は、レオナにとってもカードと自分自身のレベルを上げるいいトレーニングになる。まさに一挙両得の特訓なのだ。
「まぁ、《ワイルドカード》のレベルを上げたらどうなるのかってのは知らないんだけどな。今のうちに経験値を稼いでおいて損はしないだろ」
「なるほど。てっきりCランクより上への昇格を考えた予行練習かと思ったよ」
「……? どういうことだ?」
「ギルドは昇格条件を公表していないから、あくまで冒険者の間の伝聞なんだけどね。戦闘の強さとサバイバル技術だけで昇格できるのはCランクまでだと言われているんだ」
初めて聞いた噂だったが、言われてみればそういうものかもしれない。
冒険者ランクが『重要な仕事を任せるに値する実力と信頼』を表すものなら、ただ強いだけではランクが上がらなくても不思議じゃない。
「Bランクに昇格するために必要なのは、冒険者という業界全体への貢献度だそうだ。未開の地を切り拓いて他の冒険者のための道を作ったり、今までギルド支部のなかった貴族の領地に支部を誘致させたり……若手の冒険者をたくさん鍛えて実力を身につけさせたのも評価されたことがあるらしい」
だからレオナの特訓に付き合っているのを見て『予行練習』だと思ったのか。
「どれだけ戦いが強かろうと、レアリティの高いカードを持っていようと、自分一人の利益にしか使わないようなら冒険者として一流未満――Cランク止まりさ。冒険者ギルドは相互扶助団体なんだから、他の冒険者のために進んで一肌脱げない奴は上にいけないということだね」
「そっか……ありがとう、為になったよ」
「どういたしまして。そういえば君、これを知らないのに他人の訓練に協力しようと思ったんだろう? それならやっぱり、君にはあの人が思った通りの冒険者の資質があるんだよ」
なんだろう……間接的に『人を見る目のあるギデオンを褒め称える』理由付けにされてしまった気がする。それくらい養父のことを尊敬しているんだと考えると、まぁ微笑ましい光景ではあるのだが。
しばらくして、呼吸を整え終えたレオナが次のトレーニングを持ちかけてきた。
「カイ。次は盾と長剣でお願い」
「分かった。でも根を詰め過ぎるなよ」
――その日の夜。風呂から上がった俺は、同じく風呂上がりのレオナと廊下でばったりと出くわした。部屋に戻るまでの間にあれこれと雑談を交わし、その流れで前から気になっていたことを尋ねてみることにした。
「なぁ、レオナ。どうしてそんなに急いで強くなろうとしてるんだ? もちろん、答えたくないなら答えなくてもいいんだけどさ……」
「……この話、部屋でしてもいい?」
意外にも、レオナは回答を拒絶しなかった。
女将のメリダさんに温かい飲み物を貰い、二人で俺の部屋に向かう。話をする場所として俺の部屋を選んだことに大した意味はない。レオナの部屋よりも台所から近かっただけだ。
ハチミツを溶かして生姜を加えたホットワインをちびちびと飲みながら、レオナは少しずつ自分のことを語り始めた。
「一言で言うなら――復讐、かな。財産を持って行かれたとか、肉体的に酷い目に遭わされたとか、そういう直接的な被害があるわけじゃないんだけど……」
レオナは暗い赤色のホットワインの水面を見つめている。明るい表情ではなかったが、気持ちは落ち着いているようだ。
「知らなくてもいいことを……知らなければよかったことを無理やり知らされた……そのせいで私の人生が滅茶苦茶になった……詳しくは言いたくないんだけど、私はそれを教えた奴が許せないの」
「……そいつは戦う力を身につけないと復讐できない奴なのか?」
復讐の理由には疑問を差し挟む余地はない。どんなことを教えられたのかは知らないが、知るべきではなかった事実なんて世の中にはいくらでもある。どうあがいても『それを知る前の自分』には戻れない以上、復讐心を抱いたとしても不思議ではないだろう。
恨みを晴らしたいだけなら他の手段もあったのではないか。その疑問をレオナは首を横に振って否定した。
「あいつは巧妙に姿を隠した犯罪者だから。冒険者ならそういう情報も手に入りやすいし、依頼っていう形で追い詰められるかもしれないでしょ」
「それはそうだけど……急ぐ理由はないんじゃないか?」
「急がないと、あいつはもっと『力』を付けて見つけにくくなる……今頃は、私にアレを押し付けたときよりも大物になってるかもしれないから……」
だんだんレオナの言葉が不明瞭になってくる。顔も赤い。まさかホットワインのアルコールでも酔ってしまうのか。そんなに酒に弱いのか。
「ひょっとして、エステルには教えてないのか」
「教えられるわけないじゃない……」
レオナは力なくテーブルに突っ伏した。
「……あの子は『いいこと』をしてる……家族のためにお金を稼いで土地を買い戻すなんて、誰がどう見ても美談でしょ……? そりゃ、両親のことを馬鹿だなぁって思う人はいるだろうけど……でも私は……恥ずかしくて……言えな……」
声が小さくなって消えていき、やがて寝息に変わっていく。これくらいなら大丈夫だろうと思ってホットワインを勧めたのが失敗だったか。
「いや、ちょ……おい、ここで寝るのか……? マジかよ……」
これはまずい状況ではないだろうか。結果だけ見れば、相談の名目で女を部屋に連れ込んで酔い潰させたというシチュエーションでしかない。なんというか、こう、他人に堂々と証言できる状況では断じてない。
このままベッドに運んで寝かせるべきか。無理に起こして部屋に帰すべきか。抱えて部屋まで送ってやるべきか。
悩みに悩み、焦りに焦った末に、俺はこの宿の最高権力者である女将のメリダさんに事情を話して部屋まで運んでいってもらうことを選んだ。
ホットワインをくれたのが本人だったので、メリダさんは特に疑うこともなく了承してくれた。
どうにか丸く収まった。冒険者人生で一番焦りを感じた瞬間かもしれない。
こんな一件があった二日後、俺達の元に一通の仰々しい封書が届いた。
送り主はグロウスター卿。指名依頼を申し込む正式な書類であった――




