59.地下墓所の怪(3/3)
熱気の残る通路を全速力で駆け抜ける。操り糸を失った骸骨はピクリとも動かず、ただ走りにくくするだけの障害物と化している。
踏み折った誰かの骨に心の中で詫びを入れながら、先へ、先へ。
曲がり角を越えたところで、通路の行き止まりに淡い光と小柄な人影が見えた。ロウソクの光とそれに照らされた何者か――
「あれか……!」
細い糸が身体に触れ、ちぎれる感触がした。それをきっかけに、行き止まりの人影が動き出す。今の糸は、暗闇の中で侵入者の接近タイミングを知るための警報装置だったらしい。
大量の糸が壁を覆う骸骨を絡め取り、一つの大きな塊に編み上げていく。
まるで蛇のように長く丸太のように太い骨の集合体。それは当然のように俺達めがけて突っ込んできた。
俺は突進を紙一重で回避し、声を張り上げた。
「エステル!」
《暗視》で攻撃の予兆が見えていた俺はまだいい。だが後ろの三人にとっては予想外の攻撃のはずだ。
「《アイスシールド》!」
氷壁が通路を遮断する。もはや盾のレベルじゃない。《フロストガントレット》の効果か、それともエステルが出力を高めたのか。天井から床まで繋がる完全な氷の壁と化している。
エステルの氷壁に激突した骨の集合体がバラバラに砕け散る。
飛び散った骨が糸に束ねられて大量の凶器に姿を変え、一斉に襲い掛かってくる。四方八方から殺到する凶器を、双剣で弾き、砕き、間に合わない分は《軽業》で無理やり回避する。
壁を蹴って走り、天井すれすれから糸使いめがけて飛び降りる。落下と同時に斬り伏せればそれで決着だ。俺は躊躇うことなく――
「ひっ……!」
「――っ!?」
次の瞬間、俺は剣を振り下ろす腕に急ブレーキを掛けていた。ローブとすら呼べないみすぼらしい布の下にあったのは、まだ十六歳にも達していない少女の顔だったのだ。
刀身が少女の眼前で停止する。少女は恐怖に目を見開いた顔のまま、力なくその場にへたり込んでしまった。
「あ、あう……」
「……どういうことだよ、これ」
俺も信じられないものを見た気分だった。この子はカードを持つには子供すぎる。十六歳の成人で神殿からカードを受け取るというルールから外れている。
「カイ!」
「大丈夫ですか、カイさん!」
氷壁を解除して追いついたレオナとエステルも、骸骨を操っていた奴の正体を見て揃って言葉を失った。
カードを持つには幼すぎる子供。服はボロボロで、羽織っている布もぼろきれ同然。顔は土やら砂やらで汚れ、手足は明らかにやせ細っている。こんなものを見せられたら敵意なんて一瞬で消え失せてしまう。
そんな中、クリスだけは俺達と違う表情で少女を見つめていた。
「……そうか。君もそうなんだね……」
少女の有様に驚いた様子はない。哀れみとも同情ともつかない――こういう子供が世の中に存在すると、最初から知っていたかのような顔だ。
「この子はボクに保護させてくれないか。新入りなのに我儘を言っている自覚はあるけど、お願いだ。事情は後で説明するから」
悲しそうな声でそんなことを言われたら、断るなんて言えなくなってしまう。
それにクリスの提案は正直渡りに船だった。動物やならず者との遭遇は想像していたが、これはさすがに想定外だ。対応してくれる人がいるならそちらに任せるほうがいいだろう。
丸投げだと言われると否定はできない。少女のことをクリスに全て任せるのを『パーティの仲間同士の助け合い』と呼ぶのは虫が良すぎる。
けれど俺は、クリスの頼みどおり少女の扱いを任せると決めた。その方がきっとお互いのためになる――そんな予感がした。
「依頼主には『骸骨を操っていた人間をギルドに引き渡した』と説明したよ。報酬も額面通り支払われるはずだ」
翌日の夜、クリスが山葡萄亭の俺の部屋を訪れて、事の次第を報告した。
「結論から言うと、あの少女は『反帝国主義者』の遺児のようだ」
「反帝国主義者?」
聞き覚えがあるような、そうでないような単語だ。
正確に言えば、カイの記憶にはそういう単語はなく、海の記憶には地球上の歴史用語として存在している。けれど、こちらの世界で使い道のある単語ではなかった気がするのだが。
「あまり知られてる集団じゃないから、そこから説明が必要かな。簡単に言うと、帝国の法制度や決まりごとには従わないと強弁している連中のことさ」
この国――神聖帝国はかつて存在した多くの国を飲み込んで成立した。
帝国の長年に渡る努力の甲斐もあって、殆どの人間は「帝国人」となって新しい国に馴染んでいったが、そうではない者達も少数だが存在した。
そういった人々の中でも『反帝国主義者』と呼ばれる者達は特に頑なだった。
帝国に暮らしながら、帝国の社会制度を作り変えようとする穏健派。
帝国の制度を受け入れないと宣言し、恩恵すらも拒絶する拒絶派。
帝国を軍事的に打倒しようと目論む過激派。
これらの派閥を総称して『反帝国主義』と呼ぶのだが、特に厄介なのは拒絶派と呼ばれる派閥だという。
「彼らは自分達に有利なものであっても、帝国の制度や施策、文化風習を受け入れない。子供が授かったカードを神殿に預け、適切な年齢になってから受け取るという安全のための制度すらもね」
「ああ……だからその子は、まだ子供なのにカードを持っていたんだな」
これで一つ疑問が解決した。それにしても、とんでもない主義の連中もいたものだ。いくら帝国が嫌いだからといって、福祉や社会保障まで含めた全てを拒絶するなんて。
嫌いなのに恩恵だけ受けるよりマシかもしれないが、それにしても凄まじい。
「……それで、その子の両親は?」
「既に二人とも死んでいるよ。拒絶派は帝国の恩恵を拒むから、残された子供は主義を同じくする仲間に預けられるか……独りで生きるしかなくなるんだ」
「地下墓所が寝床で、食料その他は市場で盗んで調達か」
十六歳にも満たない子供――せいぜい十一歳か十二歳に過ぎないのに、その子は一人きりで生き抜いてきた。侵入者から身を守るために骸骨を操り、正体を隠して脅しをかけ、必死に戦い続けていたわけだ。
想像するだけで胸焼けがする。理由は分かりきっている。その子の親に対する苛立ちだ。
俺やエステルのように、親の不始末を自分の意志で背負うのはいい。誰に強制されたわけでもなく、親も背負わせたくはないと考えているにも関わらず、それでも自分で勝手に背負っただけなのだから。
だが、その子はそうではないはずだ。自分で人生を決められる歳でもないのに、親のわがままで辛い立場に放り出されてしまったのだ。
「……大変だったんだな、おまえ」
俺はクリスの後ろにいた少女に視線を向けた。身体を綺麗に洗われ、真新しい服を着せられていてまるで別人のようだが、地下墓所にいた糸使いの少女で間違いない。
地下洞窟では茶色い髪のように見えていたけれど、汚れを落として明るいところで見ると淡い金色の髪色をしているのが分かった。エステルの鮮やかな金髪とは違う繊細な色合いだ。
少女は俺に見られていることに気がつくと、小動物じみた素早さでクリスの背中にさっと隠れてしまった。
「何か怯えられてる気がするんだが」
「仕方ないさ。君が一番怖かっただろうからね」
俺は気まずさを感じて頭を掻いた。確かにあと一歩で頭をかち割ってしまうところだったので、怖がられるのは仕方のないことかもしれないが。
「名前はドロテアというらしい。苗字は覚えてないそうだ」
「まぁ、それはいいんだけど……その子はどうなるんだ? もう家族も隠れ家もないんだろ?」
「ギルドと協議しているところだよ。孤児院に預けることになるかもしれないし、少し早いけど成人と認定して市民権を申請することになるかもしれない」
クリスは背後に隠れたドロテアの頭を優しく撫でた。
今までずっと警戒心に満ちていたドロテアの表情が緩む。どうやらクリスに対しては信頼を寄せているようだ。
「ひょっとしたらこの子も冒険者になるかもしれない。生活基盤がなくても稼げる数少ない生業だからね。そのときはボクがバックアップしてあげたいんだ。もちろん君達のパーティの仕事はしっかりこなすから……構わないかな」
「……わかった。覚えとくよ」
俺は根本的な疑問を飲み込んで頷いた。
どうしてクリスは会ったばかりの少女に力を尽くすんだ――
ギルドと市政に全て任せておしまいでも構わないんじゃないのか――
考えても答えの出ない疑問だったが、本人に問いただす気にはどうしてもなれなかった。少しでも踏み込んでしまえば、クリス・シンフィールドという人間の深いところを覗き込んでしてしまう気がしたからだ。