56.エノクの使者(2/2)
指名依頼――依頼を持ち込む側が冒険者を指名できる制度だ。
あまり頻繁に行われると依頼が一部の冒険者に集中してしまうという理由で、指名するには依頼費用の増額が必要になる。このため低ランクの依頼で指名依頼制度が使われることは滅多にない。
「俺達はまだDランクだぞ。指名依頼ってもっと高ランクの冒険者にやることじゃないのか」
「エノク様はご自分の目で実力を確かめた冒険者だけに依頼する主義なんです。模擬戦闘のような大量依頼はグロウスター卿のご趣味ですね」
そういえば、グロウスター卿名義の依頼には少人数が雇われる場合と多人数が雇われる場合があると、ロベルトから聞いている。その辺りの違いはここから生じていたんだろう。
「具体的な内容は決まってるの?」
レオナの質問に、ファムは少し困ったような顔で答える。
「物資輸送の護衛になる……と思います。正式な依頼は来週以降になるはずなので、ひょっとしたら変更があるかもしれませんけど」
どうにも歯切れの悪い返答だ。俺達に依頼をすることだけが決まっていて、具体的な内容は詰められていないとみた。
案外、ファムは上司に苦労させられるタイプなのかもしれない。
「受けるかどうか決めるのは、正式に依頼を申し込まれてからじゃ駄目か?」
「それで構いません。こちらにそういうつもりがあると覚えていただければ十分です」
エノクから感じた底知れない胡散臭さとは裏腹に、ファムとのやり取りは穏健に進んでいた。ファムの物腰が柔らかいのもあるが、全くの初対面でないことも影響している。
やがてファムが帰る時間になったので、俺は最後に一つだけ質問をした。
「――エノクって奴は錬金術師なのか?」
「はい、グロウスター領で最も優れた錬金術師と言われています。他の地域のことはよく知らないので、世界的にどうなのか私には分かりませんけど……」
領地持ちの貴族とそれに雇われた腕利きの錬金術師。コネクションを作る相手としては申し分ない肩書だ。
それでも俺の警戒心はまるで緩まなかった。タルボットの存在や、実験場で起きた暴走事故ことを考えると、エノクの研究の裏に黒いものを感じずにはいられないかった。
けれど、指名依頼の提案をこの場で断ろうという考えは浮かんでこなかった。確かにハイリスクだがハイリターンを得られる可能性は高い。うまく立ち回ればこれまでの遅れを取り戻して余りある――そんな予感がした。
「さっきの話、どこまで信じていいのかな」
ファムがギルドハウスを立ち去った直後に、レオナが真剣な表情で話題を切り出した。
「トリス……じゃなくて、ファムの言うことが本当なら、私達にとっても魅力のある話だとは思うんだけど」
「少なくとも彼女は嘘を吐いていないね」
クリスは断言した。エノクを影武者と断定したときと同じ言い方だ。
「どうして言い切れるの?」
「スキルがあるからだよ。《真偽判定》っていうんだ」
そう言って、クリスは《真偽判定》スキルの説明を始めた。
レアリティはR。相手の発言の真偽を『嘘である』『嘘は吐いていない』の二通りで判断することができる。判定に失敗した場合は『不明』と認識されるので、嘘偽りの有無を効果的に見抜けるらしい。
声の調子や動作から無意識に判断するため、姿が見えないと成功率が大幅に下がる。文章の場合は筆跡しか手がかりがないので更に低確率になり、成功する方が珍しい。もちろん印刷文字の場合は完全に無効となる。
発動は能動。嘘を見抜こうと意識しなければ発動せず、声の調子や動作の記憶が薄れると成功率がどんどん低下する。なので発言を見聞きした直後に試みるのが一番効果を発揮できる。
「上位スキルの《真偽看破》なら問答無用なんだけど、所詮はレアだから判定に失敗することも少なくないし、本人が嘘だと思っていない場合は全くの無力で過信は禁物なんだけどね。それでも頼りになるスキルだと思うよ」
「便利なスキルなんですね……それがあったら詐欺師にも騙されないのに」
エステルが羨ましそうに呟いた。クリスは気付いていないようだが、事情を知っている側からすると、もの凄く重い発言である。エステルにとっては何よりも欲しかったスキルに違いない。
「デメリットもあるよ。無意識に頭をフル回転させるから、ずっと発動させっぱなしだと頭が疲れて眠くなってくるし、相手が『騙す』ためのスキルを持っていると判定が不利になる。何より嘘を見抜けることに慣れてくると……」
不意にクリスは言葉を詰まらせて、小さく首を横に振った。
「……いや、こっちは別に大した問題じゃないか。とにかく彼女は嘘を吐いてなかった。エノクから間違った情報を与えられているならお手上げだけど」
エノクが本人でないと見抜いたのもこのスキルの恩恵のようだ。ひょっとしたら、俺の情報を調べるときにも活用したのかもしれない。
「それじゃあ、このブランクカードっていうのが本物かどうかは?」
「『彼女は本物だと思っていた』としか分からないよ。気になるならギルドに調べてもらうしかないね」
やはりそうなってしまうのか。まぁ、貰った物をギルドに調べてもらうのは予定通りなので何の問題もない。
さっそくブランクカードを受付のマリーに渡して鑑定サービスを利用する。有料だが昇華で得られるカードの価値に比べれば微々たるものだし、昨日の実験の報酬が入る予定なので財布にも余裕がある。
「そういえば昨日の報酬はまだもらえないのか?」
「もうしばらくお待ちください。鑑定が終わる頃には支払準備も済みますから」
マリーはブランクカードを別の係員に渡して、支払いのための手続きを終わらせにかかっている。
ちなみにマリーも《鑑定》スキルを持っているのだが、低レアなので有料の鑑定サービスをやれるほどではないらしい。
両方の結果はおおよそ十五分程度で出揃った。
「お待たせしました。ブランクカードは本物です。それと報酬の方ですが、基本報酬として二千ソリド、迷惑料の名目で五百ソリドが追加で支払われます」
報酬は合計二千五百ソリド。悪くない、というか一日の報酬額としてはかなり良好だ。
残る問題は、やはりブランクカードのことだろう。
「このカードは間違いなく本物なんですね」
「はい。適切な製法で作られていますし、不法改造の痕跡も見られません。ギルド名義の鑑定書を出してもいいくらいです」
そこまで言うなら、ギルドのお墨付きがもらえたと考えていいだろう。これ以上疑うなら調べてもらった意味がない。
「さっそくだけど、祭壇を貸してもらってもいいかな」
「もちろん。こちらへどうぞ」
安全だと信じると決めた以上、いつまでもブランクカードのまま持っていても宝の持ち腐れだ。
俺はマリーに案内されて祭壇の部屋に行き、祭壇にブランクカードを捧げて祭壇の紋章に触れた。
ブランクカードが宙に浮かび上がり、それを中心にして、光の粒子が祭壇の上で渦を巻くように回転する。魔石を昇華したときは光が弾けて消えたら完了だったが、今回は光の粒子がブランクカードに吸い込まれていく。
全ての光が吸い込まれ、ブランクカードが銅色の輝きを放った。コモンかアンコモンのカードだ。いくら貴族の贈答品といっても排出率を覆せるわけではないらしい。
要するに、ソシャゲで言うガチャ一回分のチケットだ。よくあるパターンだと、いわゆる『石』を使うガチャは最低でもRが確定で、UC以下は『石』を使わない別リソースの安価なガチャになっていることが多いが、この世界ではそんなサービスは存在しない。
最高レアからコモンまで全て混在している上に、転生時の十連で最高レアを引き当てる確率が一億人に一人という、他に類を見ない鬼畜仕様。こちらの世界ではゲームではなく人生なので、たった一回のガチャで高レアを引き当てられるほど甘くはないのだ。
「どんなカードでも立派な才能です。もしもご不要でしたら、ギルドが買い取らせていただきますので安心してください」
マリーが正論とも慰めともつかないことを言ってくれている。
どうせ貰い物なのだ。結果がどうだろうと俺は何も損をしない。ただ得をする度合いが変わるだけで。
カードを手に取って種類と名前を確かめる。種別はスキルカード。レアリティはアンコモン。カード名は――
「――《軽業》か」
なるほど、これは当たりだ。《軽業》スキルは何度もコピーしてきたカードで俺のスタイルによく合っている。現物を引き当てたことで、他のカードをコピーしたまま《軽業》を発揮できるようになるのも嬉しい。
思わぬところで予想外の強化をすることができた。俺はほんの少しだけ、エノクという男に感謝したい気持ちになっていた。




