54.現状確認
その夜、宿の自室に戻った俺は、これまでの収入と返済状況について確認してみることにした。定期的にやっていることではあるのだが、改めて見直したくなった。
原因は分かっている。クリスから言われたことが頭に残っているからだ。
「……まずは昇格までに稼いだ分」
ペンを片手に、これまでの収入額と返済額を検算する。
昇格試験までの二週間ちょっとの報酬総額は、盗賊退治の臨時収入を除いておおよそ四千六百ソリド。返済額は約千四百ソリドになる。
臨時収入三万ソリドを加えれば、返済額はプラス九千ソリドの一万四百ソリドだ。
「次は、昇格してから稼いだ分……」
昇格試験の経費はギルド持ちだったので、試験中の一週間は収入も出費もゼロと考えて、計算からは除外しておく。
廃都市の探索依頼で約八百六十ソリド。
それから数日の雑多な依頼を合計して探索依頼とほぼ同額。
カードショップ・マーガレットの六日間の依頼で千五百ソリド。
新兵器実験までの二、三日で稼いだ約六百ソリド。
二週間弱の合計で約三千九百ソリド稼ぎ、約千二百ソリドを返済に回した勘定になる。実験協力の報酬はまだ支払われていないので、それ以前の収入までの計算ではあるが。
「……駄目だ。やっぱりこのペースじゃ時間が掛かりすぎる」
Dランク昇格試験の一週間を足しておよそ五週間――依頼を受けることができた実日数で一ヶ月相当。冒険者になってからこれまでの期間で、例の臨時収入を除いて合計二千六百ソリドを返済したことになる。
月に二千六百ソリド返済するペースで進めば、完済までは十二年から十三年は掛かる計算だ。その頃には前の俺と変わらない年齢になってしまっている。そんなのはゴメンだ。
「返済の本番はCランクになってからって決めたけど、この調子じゃいつ昇格できることやら……ここ最近のペースダウンが響いてるな」
俺は最近の二週間分の返済額の下に、ペンでぐりぐりと線を引いた。
昇格できるかどうかは、達成した依頼の内容と報酬総額が基準になると聞いている。安全で無難な依頼ばかり受けていたら、迅速な昇格なんて夢のまた夢だ。
「ランクが上がったのに返済ペースは殆ど変わらず。ローリスク・ローリターンの依頼ばかり選んできた証拠だな」
無難に稼げればそれでいいと思っているのか――クリスの言葉が脳裏を過ぎる。あのときは反射的に否定したが、こうして再確認してみると、ここ最近の俺は『無難に稼ぐ冒険者』以外の何者でもない。
ザックに大見得を切ってスカウトの誘いを断っておきながら、タルボットの脅威なんていう不確定要素に気を取られて、一番の目的から遠ざかっている。まさに本末転倒だ。
「クリスの言うとおり、方針を改めなきゃいけないな……昇格するためにもギルドに実力をアピールできる依頼を受けないと……」
だがそれはレオナとエステルにも負担を強いることになる。二人は覚悟の上と言うだろうが、やはり戦力の拡張が必要かもしれない。
そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。
「話したいことがあるんだけど、ちょっといいかな」
「レオナか? 勝手に入っていいぞ」
部屋着のレオナを招き入れて、反対側の椅子に座らせる。こんな時間に、それも一人だけで来るなんて珍しい。
「今日は……ありがと。また助けられたね」
レオナはぎこちない態度で視線を泳がせていたが、やがて意を決したかのように向き直った。
「私、やっぱり実力が足りてないんだと思う。あんな奴にいいようにされるようじゃ全然ダメ」
「そんなことはないだろ。他の連中よりずっと動きが良かったと思うぞ」
「Dランクにしては、でしょう? 私の目標はもっと上なんだから、この程度じゃ全然足りないの」
レオナの表情は真剣そのものだった。自分の不甲斐なさを嘆いてるようにも見える。
「カイはきっとすぐに強くなる。レジェンドレアがあって、戦いのセンスだってあるんだから。だけど私は、このままだと絶対に追いつけなくて、いつかカイの足を引っ張ることになると思う」
焦ることはないだろう――そんなことは口が裂けても言えなかった。着地点こそ違うが、俺達は『目的のために生き急ぐ』ことを共通項としているパーティなのだ。
借金の返済を急ぐ俺。失った土地の買い戻しを急ぐエステル。理由はまだ知らないが、強くなることを急ぐレオナ。第三者から見れば全員等しく焦り過ぎている。そんな俺が偉そうにしたところで、人の振り見て何とやらだ。
「Cランクになったら積極的にカードを手に入れて強くなるつもりだけど、昇格できるだけの実力を身に着けなきゃ話にならない。だからカイに二つだけお願いがあるの」
レオナは少し間を置いて、俺の目をまっすぐ見据えた。
「ギルドハウスのカードショップに、レアスキルの《武術教練》のカードがあったでしょう? あれを模倣して、私の特訓に付き合って欲しいの」
「《武術教練》……ああ、あったな確かに。でも俺なんかでいいのか。プロの道場とかもあるんだろ?」
「カイと会う前から探してるんだけど、冒険者も受け入れてるところは希望者が多くて抽選になったり、月に数回しか順番が回ってこなかったりするのよ……だから自主トレするしかなくって」
「ああ……需要に供給が追いついていないのか」
この世界には『教える』才能を秘めたカードもある。当然それがなくても教えることはできるのだが、専門的なカードを持たない人間が専門職に就くという発想そのものが希薄なのだ。
「専門スキルのカードを持ってないと、いくら開業しても客から信用されなくて商売にならないしな。市内の道場の数は戦闘技術を教えられるカードの所持者数で決まって、今は入門希望者が溢れてるってわけだ」
カードの所持は客からすれば信頼性の最低条件だ。単純な仕事ならともかく、専門性の高い職業ではカードを持たない奴が開業しても客が付かない。そういう社会常識が出来上がってしまっている。
もちろん、どうしてもその仕事をしたい奴は金を貯めてカードを買うだろうし、その分野で名を知られた一流なら教えるためのスキルがなくても弟子入り志願者は多いだろう。だがどちらも少数派だ。
「供給は限られてるのに、冒険者は余裕ができたら戦闘スキルを買うから、スキルを鍛える場の需要は高まるばかり……と。分かった、協力するよ」
「ありがとう。それと二つ目のお願いなんだけど、協力のお礼にちゃんとお金を払わせて」
「それも分かって……え?」
レオナのリクエストは俺の想像と正反対だった。
「ちゃんと払うって、レオナが俺にか?」
「当たり前でしょ。それ以外に何があるのよ」
じとっとした目で睨まれてしまう。
「そりゃあ、まぁ……わざわざ『お願い』なんて言うくらいだから無報酬でかと」
「頼りっぱなしなんて格好悪いじゃない。試験の前は好意に甘えたけど、こんなことまでタダでやってもらうなんて甘えすぎでしょ。私は姫プレイなんて趣味じゃないの」
つまりは自尊心の問題なのだ。クリスが秘密を明かして対等の関係に持ち込んだように、レオナは金銭取引の形を保つことで対等の関係を維持しようとしている。
甘え、依存し、守られる被保護者ではなく、お互いに頼り合う仲間でありたい――レオナの言葉からそんな意志を感じた。
ならば断る方が非常識というものだ。
「変な想像して悪かった。それでいこう。けど金は大丈夫なのか?」
「口座に三千ソリドは残ってるから。むしろ懐事情はカイの方が悪いんじゃないの?」
「……いや、まぁ、それは……」
図星である。
自由に使える資金は現時点で二、三百ソリドしか残っていない。収入から返済分を引いた残りから、一泊百ソリドの宿代を差し引いた残金が三千ソリド少々で、その殆どを防具の購入に当てたからだ。
レオナは同じくらいの収入と支出があって、なおかつ返済に三割回す必要がないので、その分が丸々余裕になっているのだ。
「カードを買ってもらった分くらいは、報酬って形で返していくつもりだから」
ああ、なるほど。そういう意味合いもあったのか。
返済分の三割があるため、俺の金銭事情はパーティの中で一番悪い。そのくせ装備やら何やらには惜しまず出費する方針なので、残金だけ見るとかなりギリギリだ。
成り上がりを語るヒモ男とか最低最悪過ぎる。うっかり赤字を出して二人の預金を頼ることだけは絶対に避けよう。俺は固く心に誓ったのだった。