52.シンフィールド
「――っ!」
レオナは暴走した強化鎧の一撃を辛うじて木槍で受け止めた。木槍がきしみ細かな破片が飛び散る。
俺は《ワイルドカード》を《スプリンター》に切り替えて全速力で駆け出した。
到達までの数秒間にも強化鎧の猛烈な攻撃が続く。レオナは勢いに押されながらも凌ぎきり、一瞬の隙を突いて強化鎧の木槍を弾き飛ばす。強化鎧の兵士は即座にレオナの木槍を掴み、一瞬で握り潰した。
レオナの反応も早い。木槍の残骸を捨てて《フレイムランス》を出現させ、燃える穂先で突きを繰り出した。
「こいつ……っ!」
燃え盛る穂先を強化鎧の手が握り、刺突を止めていた。
まともな発想でやれる行動ではない。《フレイムランス》の熱が金属の籠手に伝わって掌を焼いているはずだ。しかし強化鎧の兵士は苦痛を感じている様子すらなかった。
強化鎧の兵士が《フレイムランス》の穂先を握ったまま振り回そうとする。槍ごと持って行かれるのを避けるため、レオナはやむを得ず《フレイムランス》の具現化を解除した。
再展開の所要時間は一、二秒間。この至近距離では間に合わない。
鋭い爪を持つ籠手が振り下ろされる。後二十センチでレオナの顔を引き裂いていたというところで、本物の双剣が腕を弾いた。
「間一髪、だな!」
「カイ!」
強化鎧の兵士とレオナの間に身体をねじ込み、《スプリンター》をノーモーションで《瞬間強化》に切り替える。そして双剣の刀身を押し付けるようにして、強化した腕力で兵士を突き飛ばした。
レオナの迎撃の仕方には非の打ち所がなかったように思う。おかしいのは、片手から肉の焼ける異臭をさせても怯みすらしない相手の方だ。
強化鎧の兵士はなおも俺達に襲いかかろうとする。
「ガアアアアッ!」
「後ろから失礼」
その両腕と両脚から細剣の切っ先が突き出し、濁った血が噴き出した。細剣の少女が背後に回り込んで、装備カードらしき細剣で瞬時に四肢を刺し貫いたのだ。
それでもなお、強化鎧の兵士は俺達に襲いかかろうとする。
「逃げた方がいいよ。巻き込まれる」
細剣の少女はいつの間にか強化鎧から距離を取っていた。俺は咄嗟に双剣の片方を捨て、《瞬間強化》を上乗せした脚力でレオナを抱えて大きく飛び退いた。
次の瞬間、数え切れないほどの攻撃が強化鎧の兵士に殺到した。
火炎、雷撃、氷弾、投げナイフ、矢――
高速の投槍が強化鎧の胸部装甲に直撃し、凄まじい衝撃で兵士を吹き飛ばす。地面を転がり、まだ立ち上がろうとする兵士にローブの男達が群がり、注射器らしき物を鎧の隙間から刺し入れた。
それでようやく暴走が止まり、強化鎧の兵士は糸が切れたように動かなくなった。
「大変お騒がせしました。予想外の事故が発生したため、今回の実験は中止とさせていただきます。報酬は全ての方に満額お支払いたしますのでご安心ください」
騒動が収束してから、進行役のヘルマが何食わぬ顔で姿を表した。
結局、実験は本当に中断してしまい、驚くほど迅速に会場の解体が始められた。Dランク冒険者も追加報酬を提示されて半数以上が作業を手伝い、会場を何もない平原に戻していく。
レオナは「心底疲れた」と言って先に町へ帰ってしまったが、エステルはこの要請を受けて会場のどこかで作業をしている。
かく言う俺も撤去作業に参加していたのだが、途中で主催者側の兵士に呼び止められた。強化鎧の兵士ではなく普通の前進甲冑を着た小柄な兵士の方だ。
「実験責任者のエノク様があなたにお会いしたいとおっしゃっています。ご足労願えますか」
「責任者が、俺に?」
怪しさ満点だが断る言い訳も思いつかない。少しだけ考えてから、あんな代物を持ち込んだ責任者の顔を拝んでやるつもりで要請を受けることにした。
エノクという責任者が到着するまで少し時間が掛かるということで、解体中の物見台の裏で待たされることになった。
「おや、こんなところに油を売っている人が」
通り掛かった細剣の少女が足を止めて微笑んだ。
「サボってるわけじゃないからな。主催者に会いたいって言われたから、ここで待ってるだけだ」
「ふぅん。ちょうどいいから、待ち合わせの相手が来る前にボクの用件も済ませていいかな」
細剣の少女は怜悧な眼差しで俺の顔を見上げた。
「カイ・アデル。君はあれだけの実力と希少なレジェンドレアを持ちながら、昇格してからずっと小規模な依頼しか受けていないそうじゃないか。どうして才能を遊ばせているんだ?」
「どうして俺の名前を――いや、それ以前に! 何で知ってるんだ!」
頭の中が急激に冷静になっていく。
俺が《ワイルドカード》の存在を教えたのは、村の皆やギデオンとの契約に居合わせた人達を除けば、昇格試験を一緒に戦った四人だけだ。
一体どんな経路で知られてしまったのか――必死に頭を働かせていると、細剣の少女はくすりと笑った。
「そういえば自己紹介をしていなかったね。ボクはクリス・シンフィールド。この家名には聞き覚えがあるんじゃないかな」
「シンフィールド……ギデオンの……!」
聞き覚えがあるに決まっている。ギデオン・シンフィールド。アデル村の復興費用の四十万ソリドを無利子で貸してくれたその人の苗字なのだから。
「まさか、ギデオンの子供? それにしては歳が……」
「いわゆる養女という奴さ。念のため言っておくと、君の情報はボクが自力で調べ上げたものだ。妙な疑いは差し挟まないで欲しい」
ギデオンが俺の情報を身内に漏らしたわけではない――クリスはそう念を押している。恐らくは、ギデオンに対する俺の信頼を損なわないために。
クリスが俺に接近したのは偶然ではなかった。事前調査まで済ませた上で計画的に近付いてきたのだ。そこまでした理由は、クリス自身の態度が雄弁に物語っていた。
「君はあの人に才能を見込まれて冒険者になったんだろう。あの人が理想とする冒険者像だって聞いたはずだ。それなのに、どうして無難な依頼に逃げているんだ」
質問ではなく、責めるような響きの込められた言葉だった。
冒険者は強欲でなければ務まらない。金を求め、名誉を求めて駆けずり回るからこそ高みまで上り詰められる。初めて会った日にギデオンはそう語っていた。
どうやらクリスは、俺がそうした生き方から遠ざかっていることが不満で仕方がないようだ。
「近頃の冒険者のように、無難に稼げればそれでいいと思っているのかい? だとしたら、君はあの人の期待を背負うには相応しくない!」
「まさか! 無難に稼ぐ程度で満足するもんか!」
俺は強い口調で否定した。
「けどな、そんなに調べたなら知ってるだろ。俺はタルボットとかいう錬金術師から恨みを買ったかもしれないんだ。しばらくは用心して、ギルドの近くで仕事をするようにしてるだけだ」
「気持ちは分かるよ。確かに、冒険者ギルドは冒険者の活動を妨害するものを許さない。依頼を組織的に妨害したり、故郷の家族を人質にしようものなら、見せしめも兼ねてギルドの武力が振るわれることになる。けれど、その庇護も冒険者本人の身の安全までは保障しきれないからね」
依頼を受けて旅立った先で襲撃を受け、敗れて命を落とす。冒険者ギルドといえど流石にそこまではフォローしきれない。何かするにしても事後対応だ。
俺が警戒しているのはそこだ。復興に関わる依頼のために大勢の冒険者達が滞在しているアデル村よりも、自分達の身を自分自身で守らなければならない俺達の方が危険度は上なのだ。
「分かってるならそれで納得してくれないか? 報復を受けた後でギルドが敵討ちをしてくれるとしても、死んじまったら何の意味もないんだからな」
嘘偽りない本音をぶつけたつもりだったのだが、レオナの反応は俺にとって想定外のものだった。
「仲間が巻き込まれるのを気にしているんだね。君一人なら簡単に切り抜けられるはずだ。レジェンドレアのおかげで、戦闘能力だけならCランクと比べても遜色がないんだから」
「それは――」
否定の言葉がすぐには浮かんでこなかった。それどころか、無意識にそう判断していたかもしれない、と納得しそうになってしまった。
「迷惑を掛けたくないという良心。足手まといになって欲しくないという打算。どちらが主なのかは知らないし、興味もない。けれどそのせいで、君があの人の理想から遠ざかってしまうというのなら、ボクにも考えがある」
クリスは整った顔に謎めいた笑みを浮かべた。
何通りもの嫌な予感が脳裏を過ぎる。クリスの細剣と刃を交えるという最悪のケースすら思い浮かんだ。
しかし、クリスの放った一言はまたもや俺の想像を越えていた。
「さっそくだけど提案だ。ボクを君達のパーティに加えてくれないか」
「――は?」
「戦力が充実すれば錬金術師の報復ごとき恐るるに足りない。君は今まで通りあの人の理想を体現し、ボクはその障害を排除する。お互いのためになると思うんだけど、どうかな」
その通りだと安易に納得できる内容ではないが、少なくとも言わんとすることは分かる。他所の集団に自分を売り込む宣伝文句としては高得点だろう。
理解が及ばないのは、そこまでしてギデオンの理想にこだわる動機だった。
クリスだって冒険者だ。当然ながら、彼女なりの目的や方針を持って活動しているはずである。養親だからという理由だけで、初対面の相手のパーティに加わろうと決意できるものだろうか。
自分をパーティに加えれば障害を云々という提案は一旦脇に置いて、まずはその辺りのことを問い質す。
「どうしてそこまでして……俺にギデオンの理想を叶えさせたいんだ」
「ボクがそうしたいと思うから。理由はこれだけさ。あの人の指図じゃないとは断言するよ。信じてもらえるかな?」
返答を躊躇っていると、クリスは俺の後ろに視線を向けて、小さく肩を竦めた。
「時間切れみたいだね。返事はまた後で聞かせてくれないかな」
振り返ると、ヘルマに先導されて見知らぬ人物が近付いてきているのが見えた。四十代くらいの男で、錬金術師のローブに大神官の衣装のような荘厳さを足し合わせた装束に身を包んでいる。
あいつが実験責任者のエノクに違いない。俺は即座にそう直感した。