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48.グリーンウッドの娘(2/2)

 今日の仕事が終わって宿に戻った後で、エステルと二人きりの話をすることになった。


 山葡萄亭の中庭に面した扉の前の足場に二人揃って腰を下ろす。

 空はとっくに暗くなっていて、窓から漏れる部屋の明かりだけが中庭を照らしている。


 エステルは風呂上がりだったらしく、金色の髪がしっとりと濡れていて、かすかに石鹸の香りがした。


「……グリーンウッドのこと、誰かから聞いたんですか?」

「シティエルフの成り立ちを教えられたんだ。それで前にエステルから聞いた話と違うなって気付いただけで、グリーンウッドとかは初耳だ」


 初耳と言ったものの、どこかで耳にしたことがあるような気もする。一体どこで聞いたのか……。


「……いや、前に『見た』ことはあったな。確か昇格試験のとき」

「はい。エステル・グリーンウッド――私の名前、見せちゃってましたね」


 Dランク昇格試験のときにエステルのパラメータを見せて貰った覚えがある。あのときは【体】の数値の低さばかりが印象に残っていたが、確かに名前も表示されていた。


 ステータスの第一画面にはギルド登録時に申請した名前が表示される。そして、法的に認められた偽名や一部の地域の風習で名乗る通称などを除いて、本名以外での登録は認められていない。


「本当は誰かに見せるつもりはなかったんですけど、疲れてたからうっかりステータス画面を見せちゃったんですよね。家族からも『お前は肝心なところで抜けてるな』ってよく言われてました」


 エステルは困り顔で笑っている。

 まぁ、それはちょっとご家族に賛同してしまう。思い返せば、初めて会ったときにもステータスを見せようかと言ってレオナに止められていた。


「名前を隠すことに慣れてないんだな。まぁ、普通は慣れるもんじゃないが」

「そうかもしれません。グリーンウッドは故郷の名前、一族の誇り、誰に対しても堂々と名乗れ――子供の頃からずっとそう教わってきましたから。慣れてないっていうか、隠す度に少し自己嫌悪しちゃうというか」


 エステルは両手で膝を抱いて背中を丸めた。普段よりも薄着な上に、湯上がりの身体に布地が貼り付いているせいで、華奢(きゃしゃ)な体格がより一層小さく見えた。


「昔、人間の国が大陸中で戦っていた頃、私のお父様は後に帝国になる国と契約を結んで、先祖代々の森と引き換えに平原の領地を貰いました。人間の国に対する影響力を持つことで、種族全体に利益をもたらすための契約だったと聞いています」


 アビゲイルから聞いた話と同じだが、やはり当事者に近いだけあって、細かいところに違いがある。

 領主になること自体が目当てなのではなく、それによって人間側に影響力を発揮できるようになることが目的――確かに納得のいく理由だ。


「エステルは、その頃のことは?」

「まだ生まれてませんから、何も」


 エルフなので見た目通りの年齢ではないのだろうが、流石に大陸統一戦争よりは後の生まれらしい。もしそうだったら三桁の大台だ。種族の違いを考慮しても『少女』とは言いにくくなる。


「お父様は同じ選択をした他の一族も協力して、帝国とエルフの関係を安定させました。私達の家族も幸せで……恵まれていたんだと思います」


 あくまでそれは、過去形として。


「――ある日、手放した森を買い戻さないかと言う男がやって来て、お父様は望郷の念からその提案を受けました。最初は上手く行って、ほんの少しだけど土地を買い戻すことができたんですけど……」

「信用して大金を預けたら、そのまま姿を消されたんだな」


 エステルは(うつむ)き気味のまま頷いた。


 最初に信頼を得て大金を騙し取る――詐欺師の典型的なやり方だ。泣く泣く手放した先祖代々の土地を取り戻したいという願望に付け込む悪辣(あくらつ)な手口だと言わざるを得ない。


 俺は自分でも気付かないうちに、膝の上で拳を固く握っていた。この拳を、顔も知らないその男に振り下ろしたい。滅茶苦茶に打ちのめしてやりたい。そんな衝動すら湧いている。


「エルフの森には、普通の森にはない資源がたくさんあったそうです。お父様はそれを()てにして大金を集めたので、お金を返すために領地の半分近くを切り売りすることになってしまいました」


 資源に(あふ)れる土地を買い戻す代金だ。それを用意するために、価値のある土地を売るレベルの金額が必要なのは想像に(かた)くない。


「お父様は自分が愚かだったと言って諦めていましたけど、そんなのおかしいですよね……私達、何も悪くないですよね……」


 エステルは震える声を絞り出しながら、額の前でぎゅっと手を握った。


「あの領地は、お父様やお母様が命よりも大事な森と引き換えに得たものです。同族(エルフ)の皆のためにそうしたんです。そんな土地をこんな形で失うなんて、絶対にダメなんです」


 エステルが生まれたのは統一戦争が終結して以降、つまりエステルの両親が森を離れた後だ。エステルが生まれ育ったのは人間の国であってエルフの森ではない。


 それでもエステルは、領地を森と引き換えに得たという過去の重さを理解して、その土地を理不尽に失った事実に胸を痛めている。まるで自分の身が引き裂かれているかのように。


「私は、お父様の領地を取り戻したい。何としても買い戻したい……だからお金がたくさん必要で、そのために冒険者になったんです。私なんかが大金を稼げる可能性がある仕事なんて、他に思いつきませんでしたから」


 エステルは気恥ずかしそうに笑っている。

 何ていう遠大な目標だ。数年で百三十万ソリド(六千五百万円)とか言って悲壮ぶっていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。間違いなく金額の桁が違う。それも桁一つで済めばマシな方だ。


「どれだけ時間が掛かると思ってるんだよ……」

「エルフですから。時間はあります。それに、一度に全部買い戻せなくても、少しずつ取り返せていけたらいいんです」


 領地ではなく森を買い戻すと言わないのは、実は金銭以外の問題で不可能だったのか、領地の後で挑戦するつもりでいるのか、どちらかだろう。


「……期限とかはないんだな」

「いえ、十年経っても二百万稼げなかったら諦める約束なんです。グリーンウッド家の力を使わずに、最初の十年で二百万稼いでみせること。これだけがお父様の条件でした」


 お父様とやらは時間のスケールが俺よりも明らかに大きいようだ。少なくとも三桁の年齢を重ねているからだろうか。


 十年で二百万ソリド(一億円)、一年ごとに平均二十万ソリド(一千万円)を稼ぐ計算だ。数字だけ見れば非現実的というわけではないが、エステルの場合はそのレベルまで()()()()()という準備段階が必要になる。

 不可能ではないが極めて難しい――絶妙なラインを突いた要求だ。


 エステルは手をもじもじとさせながら、横目で俺の様子を窺ってきた。


「だからカイさんと一緒にランクアップして、一緒に稼いでいけたら、何ていうか、こう……ちょうどいい、と言いますか……変な意味じゃないんですよ? パーティを組むなら、同じペースで歩いていける人が一番だなって……」

「……そうだな、それは同感だ」


 数年で百三十万ソリド(六千五百万円)。十年で二百万ソリド(一億円)。確かにペースはよく似ている。俺の目標を六年で達成できたなら、エステルの目標もほぼ間違いなく達成できることだろう。


 同じ方針を掲げられる相手とパーティを組みたい――昼間にザックに告げた条件とこれ以上なく合致している。


 けれど例えそうでなかったとしても、俺はエステルという少女を見捨てられなかったに違いない。

 詐欺師に騙された親。その後始末を背負うと決めた子。

 俺はエステルにとてつもない共感(シンパシー)を覚えてしまっていた。


「カイさん。こんな私ですけど、一緒に冒険してくれますか?」

「ああ、もちろん。こちらこそよろしくな」


 隣に座るエステルに右手を差し出す。エステルは照れくさそうにその手を握り返してくれた。


「ところで、どうしてこのことを秘密にしてたんだ?」

「それは……バカにされたりするじゃないですか……こっちに来る前にもそういうこと言われましたし……。だから故郷から離れた支部を選んだんです」


 そういうことを言う奴は確かにいる。実感を込めてそう言い切れる。騙される奴が馬鹿なんだというのはもはや定番の台詞だ。


「騙す奴が悪いに決まってるだろ。被害者を馬鹿にする奴の言うことなんて気にするだけ時間の無駄だ」


 俺はあえてはっきりと言い切った。


「そんなことより、まだレオナにも教えてないんだろ。仲間なんだから自分の目標くらいは伝えておいた方がいいと思うぞ」

「……そう、ですよね。ありがとうございます、少し気持ちが軽くなりました。すぐにレオナにも言ってきます」


 エステルは笑顔で頭を下げ、早足で宿の中に戻っていった。

 俺達が掲げた目標は果てしなく遠い。これだけ稼げれば人生安泰だというほどの金額を十年足らずで稼ごうというのだから。


 それくらい途方もない目標でも、一人ではなく二人なら、三人なら果たせるような気がしてくる。だから冒険者は皆パーティを組むんだろう。一人ではできないことをやり遂げるために。

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