35.昇格試験―決着
爆風が俺達のいる場所にまで届き、地表の砂を舞い上がらせる。轟音が聴覚に、閃光が視覚に責め立てられて、何が起こっているのか判断することもできない。
「な、なんだ!?」
「アルスランだ! 《メガ・エクスプロージョン》を使ったのか……あれは最後の切り札のはずにゃのに……」
次第に爆発が収まり、周囲に夜明け前の暗さが戻ってくる。
爆心地ではまだ炎が燃え盛っていて、そこだけ太陽が昇った後のようだ。
「俺が見てくる。皆は安全なところに」
《バーサーク・ビースト》の効果時間も残り少なくなってきている。レオナとエステルのことをココに任せ、爆心地へ駆け出した。
アルスランは火柱の前で片膝を突き、苦しそうに肩で息をしていた。
「カイか……他の皆は無事か」
「怪我ひとつしてないよ。スケイルウルフも全部倒した。逃げた奴がいなければ、だけど」
「あの数をか! 大したものだ……逃走した狼がいるとしたら、ナイトウルフの鼓舞を上回る恐怖に直面した証拠だろう……ぐっ!」
「……! アルスラン! その傷は……!」
今頃になって、アルスランの脚から大量の血が溢れていることに気が付いた。
「手傷を負わされて決着を焦った結果がこれだ。切り札を切ったはいいが、魔力を使い果たしてこの様だ。我ながら情けない」
「だけど、アイツは倒せたんだろ」
「いや――」
火柱の向こうから巨狼の姿が現れる。硬質化した毛皮のそこかしこが融解しているが、五体満足で、足取りも確かだ。
シャッターのような目蓋が開き、殺気に満ちた眼球が露わになる。
死に損なっている可能性も考えていたが、まさかここまで平然としているだなんて。あまりのデタラメっぷりに変な笑いが浮かんでくる。
「おいおい、熱に弱いんじゃなかったのかよ」
「純然たる火力不足……私の実力不足だ。私が時間を稼ぐ。君は皆のところへ」
アルスランは傷ついた脚をかばいながら立ち上がろうとした。誰が見ても満足に戦える状態じゃない。アルスラン自身も理解しているに決まっている。
それなのに時間を稼ぐつもりなのだ。文字通り命と引き換えに。
「冗談じゃない」
俺はアルスランの前に立ち、双剣を構えた。
「やってやるさ。あと二分か三分、時間は残ってるんだ」
「待て、カイ――!」
全速力でナイトウルフに肉薄する。正面から噛みちぎろうとしてくる大顎をかわし、疾走しながら片手の剣で側頭部に斬り付ける。
硬い――が、斬れる。
《バーサーク・ビースト》の強化が乗っていたお陰か、アルスランの《エクスプロージョン》の熱で脆くなっていたのか。双剣の刃は堅牢な装甲を斬り裂いて、内側の肉を傷つけた。
傷口から浅黒い血が吹き出す。太い血管は傷つけられなかったらしい。これでは軽い切り傷と変わらない。
残された時間はあと少ししかない。俺はナイトウルフの胴体の下に滑り込み、無防備な腹に斬撃の嵐を叩き込んだ。魔獣と言っても生物だ。ここに深手を与えれば致命傷になるはずだ。
一呼吸の間に数え切れないほどの斬撃を繰り出し、腹部の表面をズタズタに切り刻むも、出血の量はさほど多くならなかった。
「……ちっ」
理由に思い至り、つい舌打ちをする。
傷の深さが足りていない。《始まりの双剣》は片手でも軽々と振れる代わりに、刃渡りはあまり長くない。巨大化したナイトウルフの肉体に根本まで突き立てたとしても、分厚い筋肉を貫通して内蔵を傷つけるほどの長さがないのだ。
それなら次に狙うべきは脚だ。動けないようにしてしまえばいくらでも手の打ちようはある。
しかし次の一手を実行に移す前に、ナイトウルフが叫びながら走り出した。装甲を突破されたことに驚いて撤退するつもりなのか。
「逃がすか!」
俺は全力疾走でナイトウルフに追いすがった。ブーストされた脚力で並走し、胴体側面に飛びついて、刀身を突き立ててしがみつく。
火柱の明かりがどんどん遠ざかっていく。
金属同然の剛毛を掴み、走り続けるナイトウルフの胴体を頭部に向かって這い進む。まるで暴風が吹き荒れる中のロッククライミングだ。
時間がない。体感でのカウントだが、《バーサーク・ビースト》の効果が切れるまであと一分もないだろう。
その時が来れば、反動で俺の体力はゼロとなり、身動きひとつ取ることができなくなる。初めて会ったときのココのように。
俺は力の限り先を急ぎ、遂にナイトウルフの側頭部までたどり着いた。
「――よう」
ナイトウルフの眼球がぎょろりと向けられる。俺はその眼球めがけて双剣を叩きつけた。鋼鉄の目蓋が閉じられるも、そんな薄い装甲は何の意味もなさない。
眼球に刃が食い込み、ナイトウルフが絶叫した。
間近での咆哮に鼓膜が破れそうになる。
眼球は脆い。だが致命傷には程遠い。片目を潰したところで、ナイトウルフを戦闘不能にすることはできない。そんなことは先刻承知。俺の目的は邪魔な目蓋をこじ開けることだけだ。
「そらっ……!」
突き立てた剣に力を込めて目蓋を強引に開かせる。眼球の傷が広がって透明な液体を撒き散らす。
こじ開けた隙間に片脚を突っ込み、俺の身体と目蓋の両方を固定する。
ナイトウルフが走りながら狂ったように首を振り乱す。俺は目蓋と目玉に突き立てた剣と、眼窩に突っ込んだ脚を頼りに、強烈な抵抗に耐え続けた。
「さっき火柱から出てきたとき、目を閉じて目ン玉を守ってたよな」
具現化させた《上級武術》のカードを片手で握り締める。手の中で金のカードが銀色に書き換わっていく。
「つまりこの奥だけは弱いってことだ」
銀のカードを胸に押し込み、掌をこじ開けた目蓋の隙間に向ける。
「――《ストーンジャベリン》!」
掌から放たれた石の棘がナイトウルフの眼球を貫き、その奥にある脳髄をぐしゃぐしゃに押し潰した。
ナイトウルフが断末魔の絶叫を上げて倒れる。
疾走の勢いを残したままの転倒に、俺は軽々と吹き飛ばされて宙を舞った。
弧を描いて落下する最中、全身から力が抜けていくのが分かった。《バーサーク・ビースト》の効果が切れたのだ。
紙一重の勝利を喜ぶ暇もなく、俺は受け身も取れずに岩山の地面に叩きつけられ、何度か転がってからようやく停止した。
「…………」
意識がぼうっとする。体力がゼロになったせいなのか、頭を打ったせいなのかも判断できない。ただ苦しくて、吐き気がした。
どれくらいの時間が経ったのかも分からないが、気がついたら近くで何者かの気配がした。
獣の臭い。唸り声。おぼろげな視界の隅にスケイルウルフの顔が映った。
魔力を持つリーダーを失ったせいか、姿形はすっかり元に戻っている。それでも今の俺にとっては致命的な相手だ。
――やっぱり逃げてた奴もいたのかよ。この臆病者め――
そんな悪態を声に出すこともできなかった。
身動きひとつ取れない俺の喉笛めがけて、鋭い牙が――
「やめろぉっ!」
光が視界を横切り、スケイルウルフが血を撒き散らしながら吹き飛んだ。
燃え上がる炎。銀の穂先。レオナのフレイムランスがスケイルウルフを薙ぎ払ったのだ。
「カイ! しっかりして! カイっ!」
レオナが俺の上半身を抱き上げて、ぎゅっと抱き締める。心臓の鼓動が伝わり合い、お互いの無事を言葉よりもはっきりと教え合った。
「よかった……生きて……」
今の俺は死体と間違われるくらいに酷いのか。
安堵のあまり泣きそうになっているレオナの温かさを感じながら、俺はひとまず意識を手放した。