34.昇格試験―激戦
「ぬぅっ……!」
凄まじい速度で突進してきたナイトウルフを、アルスランの大剣が正面から受け止めた。人間一人が簡単に隠れられそうな幅の大剣に、ナイトウルフの大顎が牙を立てて噛み付いている。
口の端まで硬化しているのか、ナイトウルフは大剣の刃を恐れることなく顎を閉じようとする。
筋肉の塊のようなアルスランの足が巨狼の喉元を蹴り上げる。同時にアルスランは大剣を振り抜き、ナイトウルフを十メートルほど吹き飛ばした。
「やった!」
エステルが無邪気に喜ぶ。
しかし、今のは攻撃が決まったわけじゃない。吹き飛ぶ瞬間に、ナイトウルフも自分から後ろに跳んでいた。アルスランの腕力だけで押し切ったのではなく、お互いに距離を離そうと起こした行動が噛み合ったのだ。
この競り合いで、巨大化したナイトウルフの大きさがよく分かった。
身長二メートルを越えるアルスランの頭と、ナイトウルフの鼻がちょうど同じくらいの高さにあった。しかもその巨体が丸ごと甲冑状の外殻に覆われているのだ。もう存在自体が悪い冗談でしかない。
「ただのナイトウルフなら頭を両断できていたのだがな」
軽口には聞こえなかった。アルスランは確実にそれが出来て、巨大なナイトウルフはそれに真っ向から耐えた……これが事実なんだろう。
一人と一頭は間合いを保ったまま睨み合ってる。
その均衡を破ったのは、ナイトウルフの雄々しい遠吠えだった。
「まさか手下を起こすつもり!?」
「無理だね。これくらいの音じゃ起きにゃいよ」
レオナの予測をココが即座に否定した。自分が唱えた呪文だけあって、効果の程度を誰よりも理解しているという確かな自信が感じられた。
二人の後ろでエステルが急に青ざめ、そして叫んだ。
「大変です! この遠吠え……魔力が込められてます!」
その言葉の意味を、俺達はすぐに理解させられることになった。
眠りに落ちていたスケイルウルフの群れが淡い光に包まれたかと思うと、毛皮が刺々しい形状に変形し、次々に目を覚まして起き上がっていく。
「嘘……」
ココが動揺を隠しきれない様子で後ずさる。レオナもエステルも目の前の光景を信じられていないようだ。
そんな中、アルスランの反応は早かった。
「カイ! 皆を連れて後退しろ!」
「アルスラン!」
ナイトウルフの前脚とアルスランの大剣がぶつかり合う。その衝撃で足場の大岩に亀裂が走った。
あんたはどうするんだ――そんなことを聞く暇はない。退路を確保するために、俺は一番に飛びかかってきたスケイルウルフを右手の剣で迎え討った。
「ぐっ……!」
装甲の薄い場所を狙って斬りつけたはずなのに、刃が通らない。明らかに毛皮の硬度が増している。これもナイトウルフの遠吠えのせいなのか。
即座に《ワイルドカード》のコピー状態をノーモーションで《瞬間強化》に切り替え、スケイルウルフの腹を全力で蹴り上げた。これで倒せるとは思っていない。ただ間合いを離したかっただけだ。
「《アイスショット》!」
エステルが放った氷の散弾が数頭をまとめて吹き飛ばす。しかし硬い毛皮に阻まれて大きなダメージは与えられておらず、申し訳程度の時間稼ぎにしかなっていなかった。
「何匹いるのよっ!」
《瞬間強化》による加速を乗せたレオナのフレイムランスが、燃え盛る穂先でスケイルウルフを刺し貫く。更に、穂先を抜き取ってすぐに横薙ぎの一撃を放ち、横から仕掛けてきた一匹に深い傷を与える。
「これじゃあ逃げるどころじゃ……!」
ココはスケイルウルフの攻撃をギリギリでかわしながら、両手の鉤爪で反撃を加えている。しかし威力がまるで足りていなかった。
《スリープミスト》や《サイレントブーツ》、《探索》に《軽業》とココのカードは戦闘よりも斥候に向いている。スケイルウルフの強化された甲殻が相手では分が悪い。
アルスランはナイトウルフの相手に全力を注いでいて、スケイルウルフに致命傷を与えられるのは、相性で有利なレオナのフレイムランスだけ。だがそれもレオナの魔力が尽きるまでしか使えない。
《ファイヤボール》などの火属性の呪文をコピーして使ったとしても、俺の魔力を考えると撃てるのは十発以下だ。とてもじゃないが手数が足りない。
状況は圧倒的に不利。誰もがそれを悟った直後、ナイトウルフが駄目押しのように咆哮した。
「そんな! また……魔力が……!」
ナイトウルフの巨体が更に大きさを増し、スケイルウルフの群れが見るからに凶暴性を増していく。
強化の上乗せを目の当たりにして、エステルの目から戦意が消えた。ココも諦め気味に視線を伏せる。レオナだけは強気に槍を構え直したが、その横顔は不安の色に満ちていた。
「――任せろ」
そんな言葉が、自然と口を突いて出た。
「俺が片付ける」
手元に銅のカードを具現化させ、表面を指先でなぞる。《瞬間強化》をコピーしていた《ワイルドカード》が金色のカードに書き換わっていく。
「カイさん……!」
「何……その、カードは……」
三人とも目の前の光景に目を奪われていた。スケイルウルフの群れも、野生の本能で異常事態を悟ったのか、警戒してじりじりと距離を開けている。
ギデオンは言った。ランクが低いうちはレジェンドレアの存在を伏せておくべきだと。俺を利用しようとする輩を引き付けかねず、自由に動きにくくなるかもしれないと。
俺もその理屈に納得したから、今まで『切り札』のことを明かさずにいた。
けれど、それも今日で終わりだ。仲間が窮地に立たされているのに、現状を打破できる力を隠したままにするなんて、俺にはできない。
だから――ここからは全力だ。
「《バーサーク・ビースト》!」
セットしたスペルを叫ぶように詠唱する。
その瞬間、全身の血管が激しく脈打ち、血液の代わりにマグマが流れ始めたかのように全身が熱くなった。
ココはこのカードを『強化ではなく変身』と言っていた。その気持ちが痛いほど分かる。まるで自分の身体が作り変えられていくような感覚だ。
一頭のスケイルウルフが俺めがけて猛然と突っ込んでくる。俺の脅威に気付いて妨害に来たようだが、もう遅い。
スケイルウルフの頭が正面から斬り裂かれ、鮮血が噴水のように飛び散る。
《バーサーク・ビースト》で増幅された腕力が、普段とは桁違いの速度で剣を振り下ろし、堅牢な装甲と頭蓋骨を砂糖菓子のように叩き割ったのだ。
「……いくぞ!」
地面を蹴って駆け出した瞬間、俺の身体はとてつもない勢いで加速した。
混乱するスケイルウルフの間を駆け抜け、斬り裂き、叩き割る。強化された剣速は肉食獣の反射神経でも追いつかず、無造作な一撃が堅牢な背中の外殻を背骨ごと輪切りにする。
ほんの数十秒、絶え間なく双剣を振るっただけで、スケイルウルフの一群が死体の山に変わり果てた。
俺達を取り囲んでいたスケイルウルフの群れが、レオナ達を無視して俺一人に殺到する。
――腹の底から戦意が湧き上がってくる。戦い続けろと煽り立てる声がする。
怒り狂う獣の名は飾りではなかった。このスペルは使用者を文字通りの狂戦士に変えてしまいかねない。
「カイ! 危ない!」
レオナが叫ぶ声がした。
スケイルウルフの群れは息の合った動きで連携を取り、四方八方から同時に攻撃を仕掛けてきた。数十体の計画的な連携攻撃。いくら強化されているといっても、《双剣術》の技術で凌ぎきれるか怪しい規模だ。
だから俺は、《バーサーク・ビースト》を更に別のSRカードへ書き換えた。
「出し惜しみは無しだ……!」
四方八方からスケイルウルフが完璧な連携で同時攻撃を仕掛ける。
俺はそれを更に完璧な双剣捌きでバラバラに斬り裂いた。
SRスキル《上級武術》――これに《双剣術》の特化技術と《バーサーク・ビースト》の肉体強化が合わさった超高速の剣技を駆使して、第二波と第三波の同時攻撃も一瞬のうちに切り刻む。
《上級武術》といった常に効果を発揮し続けるカードは、コピーを止めると効果も消滅してしまう。しかし、一時的な強化を与えるスペルなどは制限時間が来るまでは効果が継続する。
これを利用すれば、高レアリティなカードを限定的に同時発動させることができる。《ワイルドカード》の使い方の練習中に発見した裏技だ。
「……終わりだ!」
最後の一体にとどめを刺す。もう周囲にスケイルウルフの気配はしない。逃げ出した生き残りがいるのかどうかは分からないが、少なくとも俺達の周りにはいないはずだ。
「カイ!」
戦いが終わってすぐにレオナ達が駆け寄ってくる。
それを見て、返り血で汚れすぎていないかとか、血の臭いが染み付いていないかとか、どうでもいいことを考えてしまった。
「大丈夫ですか……! 怪我は!?」
「平気だよ。全部返り血だから」
エステルは血まみれの俺を見てすっかり青ざめていた。
ココも心配そうな顔をしていたので、安心させるために笑顔を向けてみる。ココは《バーサーク・ビースト》を使ったことがあるから、このスペルのキツさを理解しているのだ。
内側から溢れる活力で身体がバラバラになりそうになり、戦意を煽り立てられて気が変になりそうになる。ココが買い戻しを拒んだのも当然だ。
俺がこうして平静を保っていられるのは、《上級武術》に心を落ち着かせる鎮静効果もあるからだ。《双剣術》にはない《上級武術》の特長で、これのお陰でどんな状況でも落ち着いて対処することができる。
「皆は今のうちにここを離れて。後は任せてくれ」
「任せろってどういうこと? それにカードが金色に変わったのって……」
「説明は後でするから。まださっきの呪文の効果が残ってるんだ。戦える間にアルスランの援護を――」
そのとき、アルスランとナイトウルフが戦っている方向で、凄まじい大爆発が起こった。




