27.冒険者達のとある朝
11/22、割り込み投稿
「ん……朝、か」
今朝はいつもより早く目が覚めた。昨日の依頼が楽に終わったので疲れが溜まっていなかったのかもしれない。
とりあえず井戸で顔を洗って眠気を覚ます。二度寝をするには遅すぎるけれど、朝食まではまだ時間がある。適当に時間を潰す必要がありそうだ。
「うーん……どうしたもんか」
考えてはみたものの、何もすることが思いつかなかった。収集依頼で余った薬草は全部調合してしまったし、洗濯などの身の回りのことは昨日の夜の暇潰しに済ませてしまった。
故郷の村なら早朝でも誰かが必ず働いていたので、その手伝いをしていればいくらでも時間は潰せたのだけれど。
「……その辺ぶらついてこよう」
しょうがないので、山葡萄亭の周りを軽く散歩することにした。
山葡萄亭からギルドまでの道は毎日歩いているが、それ以外の道、特に逆方向の通りは殆ど通ったことがない。土地勘を養うついでに散策してみよう。
この季節の早朝は霧が出やすい。濃霧というほどではなく、せいぜい朝靄程度なのだが、それでも数十メートル先の風景はよく見えない。
スキルを使えばよく見えるようになるかもしれないけれど、今はこの風情を楽しむことにした。朝靄の海に沈んだ町並みはなかなか幻想的だ。
通りに沿って歩いていると、横道の奥にある公園のような空き地から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ふっ……! はぁ!」
見ると、薄着のレオナが槍を振るって汗を流していた。
真剣な表情で突き、払い、構えを変えて繰り返す。かなり本格的な鍛錬のようだ。《上級武術》をコピーしていれば技や構えの具体的な理屈も理解できたはずだが、素の俺だとただ凄いとしか思えない。
鍛錬が一段落したのを見計らって、レオナに声を掛けてみることにした。
「凄いな。毎朝やってたのか?」
「え、ちょ……カイ!?」
レオナは脱ぎ捨ててあった上着を引っつかみ、汗だくの薄着の上から大慌てで羽織った。
「ええ、まぁ……基本的には毎日ね。盗賊相手にあんな格好悪い真似はもうしたくないから」
「盗賊って言うと、ああ、あのときの」
「魔力が切れてフレイムランスの炎が使えなくなったらもう歯が立たない、なんて情けなさ過ぎるでしょ。アンコモンとはいえ《槍術》スキルは持ってるんだから、磨けるうちに磨いておかないと」
レオナは激しい運動のせいか顔を赤くしていて、体が冷えてきたのか上着でしっかり身体を覆っている。
……というのは、俺にとってかなり都合のいい解釈である。
正直、迂闊だった。汗をかいて薄着が素肌に貼り付いた姿なんて、異性に見られたら恥ずかしいに決まっている。わざわざ人通りの少ない時間帯と目立たない場所を選んでやっていたのだから、こっちが配慮するべきだった。
それはそうと、アンコモンの武術系スキルは珍しいものじゃない。一般市民でも普段は使わないだけで持っている人は意外といるそうだし、あのときの盗賊の中にも持っていた奴がいてもおかしくない程度だ。
現代日本で例えるなら、剣道や柔道などの武道が近いかもしれない。
身に付けている人は珍しくないが、全体的には少数派。普通の人よりは確実に強いが、より本格的な戦闘技術を身に着けた相手には敵わない。実戦で使うのは冒険者や犯罪者を除けば治安維持の役人――日本でいう警察官くらいのもの。
実際には武道よりも実戦的で強いのだが、社会的な立ち位置では似たような感覚で捉えていいだろう。
「Eランクの依頼って、戦闘が殆どないから冒険者レベルもスキルレベルも上がらないでしょ? だから時間があるときに少しずつ……ね」
レオナは気恥ずかしさを誤魔化すように目線を逸らした。
今度は体を見られた恥ずかしさではなく、地道な鍛錬を積んでいる様子を見られた恥ずかしさのようだ。
努力で身に付けた能力を才能が上回る世界ではあるが、努力が無意味ということは全くない。同等の才能を持つ者同士なら、努力を重ねてスキルを磨いた方が高い能力を発揮できる。
ギルドカードの《ステータス》で確認できるデータでも、それぞれのスキルのレベルが表示されている。これはつまり、そのスキルをどれだけ磨き上げたかの度合いを現しているわけだ。
鍛錬で得られる経験値は実戦のそれよりも少なくて成長も遅いが、やらないよりはずっといい。
もちろん、登録した日にパティが説明したとおり、余ったカードを消費してカードのレベルを上げることもできる。
けれどカードを余るくらい大量に手に入れるためには、冒険者ランクを上げてお金や魔石を貯める必要があり、そのためには自分を鍛えて強くなる必要があるはずなので、結局は努力してスキルを磨くのは効果的なのだ。
「こいつ似合わないことしてるなーって思った?」
「まさか! むしろ凄いって思ったよ」
お世辞ではなく、心からの感想だ。
鍛錬を積めばスキルを磨けるとはいえ、ただカードを得ただけでも高水準のスキルを発揮できるので、それで満足して鍛えようとしない人はかなり多い。
レオナの努力家な一面が垣間見えた気がした。
「……今日はこれくらいにしようかな。やりすぎると仕事に差し支えるし」
レオナはフレイムランスを消して山葡萄亭の方に歩き始めた。
不意に、初めて山葡萄亭に泊まった朝のことを思い出す。あの日、レオナは朝から井戸で水浴びをしていた。もしかしてあれは、朝の鍛錬でかいた汗を流していたのではないだろうか。
「そうか……レオナも頑張ってるんだな」
充分に時間は潰せたと思うので、俺も山葡萄亭に戻ることにした。
山葡萄亭の食堂では、何人かの冒険者が朝食を待ちながら時間を潰していた。その中にはエステルの姿もあり、大判の本を広げて真剣な顔で読み込んでいるようだった。
邪魔をしないように気をつけて斜め前の席に座る。エステルはすぐに俺に気がついて顔を上げた。
「あっ、おはようございます」
「おはよ。何読んでるんだ?」
雑談のつもりで聞いてみる。エステルは本を傾けて表紙を見せてくれた。
帝国版図-東方の部。
いわゆる地図帳という奴だった。広い帝国領のうち、ハイデン市が属する東方領域の地図だけをまとめたものらしい。
しっかりとした装丁の分厚い大型書籍で、思いっきり振り下ろせば人を撲殺できそうな存在感を放っている。
「私、実はこの辺りの出身じゃなくて、最近まで実家の近くを離れたこともなかったんです」
エステルは少し照れながら小さな声で話し始めた。
「だからすぐ道に迷ったりしちゃうんですけど、このままじゃダメだなって思うようになって……だから、まずはギルドの近くの土地について勉強してるんです」
そういえば、この前はブルック村へ向かうだけでも道に迷いそうになっていた。エステルも彼女なりに自分の弱点を認識して、積極的に補っていこうとしているらしい。
土地勘という点では俺も人のことは言えない。ブルック村のときはたまたま馴染みの土地だったから良かっただけで、近隣の村とその周辺以外はよく把握していないのだ。ハイデン市内ですら、初めて冒険者ギルドに行こうとしたときに迷ったくらいなのだから。
水浴びを終えたレオナが戻ってきて、しばらくして朝食の時間が始まる。
「さぁ、今日もしっかり働きな!」
女将のメリダさんの威勢のいい声が食堂に響く。すっかり耳に馴染んだ朝の風物詩だ。
そうして俺達は、今日もまた冒険者としての一日を送るのだった。




