26.レオナという少女
アルスランと別れ、ギルドで報酬を受け取ってから山葡萄亭に戻る。
今日受けた依頼は三つ。そのうち夜の依頼は、報酬こそ少なかったけれど得る物がたくさんあった。
「おかえり。遅かったね」
山葡萄亭の廊下でレオナと出くわした。湯上がりらしく、濡れた髪や湿った身体からほのかな温かみを感じた。
「今日はどんな依頼受けたの?」
「犬の散歩と薬草集めと酒場の用心棒。そっちは?」
「お嬢様学校の野外実習の護衛役。エステルも一緒にね」
なるほど、その仕事は俺と一緒だとできそうにない。
「やっぱり思うんだけどさ、低ランクの冒険者の仕事って殆ど何でも屋だよな」
「だよね、私もそう思う。ていうか、冒険者ギルドに入らず何でも屋だけやってる人って絶滅危惧種じゃない?」
二人して頷き合う。サブマスターのギデオンがどれだけ不満に思っていたとしても、こればかりは否定できない。
「そうそう。酒場の依頼でCランクの冒険者と知り合いになったんだ。話が合ったみたいで良いもの貰ったんだ」
「へぇ、なになに?」
俺はアルスランから貰った短剣をレオナに見せた。
装飾性が強すぎるからか、レオナはそれが何なのかよく分かっていないようだったが、鞘から抜いてみせると表情が一変した。
「イヤぁ!」
悲鳴を上げて後ずさられる。レオナの顔はすっかり青ざめ、俺はそれを呆然と見ていることしかできなかった。
ただダガーを鞘から抜いただけだ。切っ先を向けたりなんかしていないし、刃もこちら側に向けていたから危険は全くない。それなのにこんな反応をするなんて、完全に予想外だった。
「ど、どうしたんだ……?」
慌てて短剣を隠すと、レオナは少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
「……ごめん。ナイフとかそういう短い刃物って、本当にダメなの」
「いや……こっちこそすまん」
「謝らないでよ。説明してなかった私が悪いんだから」
廊下に気まずい空気が流れる。
アルスランにデミヒューマンという呼び方が地雷だったように、対人関係の地雷はどこに埋まっているか分かりにくいものだ。俺の場合は野盗などの犯罪者がそれで、レオナの場合は短剣がそうだった。
不意打ちで見せられただけで悲鳴を上げてしまうくらいにナイフが怖いなんて、何かしらのトラウマを抱えているとしか思えなかった。
短刀で刺されて死んだ海が短剣を貰って喜んだりしているわけだが、それはそれだ。同じことを経験しても同じ心の傷を負うとは限らないし、悲惨さと心の傷の深さが比例するとも限らない。
どうして刃物を怖がるのか――
その質問を口に出すことはできなかった。レオナの心を傷つけてしまう予感がしたからだ。
翌朝。レオナは何事もなかったかのように起きてきて、いつもどおりの態度で俺達と朝食を取っていた。
あまりに普段と変わらないものだから、昨日のことを気にしているのは俺だけなんじゃないかと思えてくる。
レオナは食器のナイフを普通に使っている。ああいうのは怖くなくて、殺傷力のあるナイフやダガーが駄目なんだろう。
そういえばレオナが短剣を使っているところを見たことがない。俺の双剣には無反応だったあたり、あれくらいのサイズになると恐怖心の対象外のようだが……
食事が終わり、山葡萄亭を後にしてギルドハウスに顔を出す。
「今日はいい感じの依頼があるといいんだけど」
掲示板を見上げて本日の依頼を物色するレオナの後ろで、俺はこっそりとエステルに内緒話を持ちかけた。
「……レオナって短剣とかの刃物が苦手なのか?」
「そうみたいです。包丁も持てなくって、レオナの数少ない弱点なんですよ」
「包丁も駄目なのか……料理とかはどうしてたんだろうな」
「必要なときは私が切ってました。味付けとか、料理自体はレオナの方が上手なんですけどね」
想像以上に筋金入りのようだ。
料理のために包丁を握ることもできないとなると、日常生活に支障を来しているとすら言える。
「理由は知らないのか?」
「一度聞いてみたけど、教えてくれませんでした。私と初めて会ったときにはもう苦手だったみたいです」
「そっか……」
俺よりも付き合いの長いエステルでも知らないとなると、本人に直接尋ねる以外に確かめる手段はなさそうだ。
けれど、やっぱりこんなことは訊きづらい。
そもそも理由を知らなければならない理由もない。好奇心を満たすためにトラウマをほじくり返すなんて、俺にできるわけがなかった。
「あ! いいのあった!」
レオナは少し高いところに張り出されていた依頼票を、小さくジャンプして剥ぎ取った。
「ほら三人でやれて好条件! 今日はこれにしましょ」
依頼票を手にレオナは笑顔を見せた。
俺にだって二人に言えない秘密はある。ギデオンとの関係。前世の記憶。レジェンドレアを持っていること。どれも今はまだ打ち明けたくないことだ。
それなら、レオナとエステルが秘密を抱えていてもお互い様だ。自分から打ち明けたいと思うときが来るまでは、このほどほどの距離感を大事にしていよう。そう心に誓うのだった。