188.奇怪な足音
「もう少し。あの山を越えたらアルトリンゲンだから」
レオナの案内でアルトリンゲンまでの最短ルートを進んでいく。俺を含むパーティメンバーの大半は西方領域に土地勘がないので、この辺りの出身であるレオナの存在は本当にありがたい。
クリスは……果たしてどうだろう。本当の肩書を考慮すると西方に行ったことがあっても不思議じゃないけれど、土地勘があると言えるくらいなのかは分からない。
馬車の窓から外を見やる。空気は寒いけれども雪は全く降っていない。生えている植物も東方領域とは違うように見える。その手の専門スキルがあれば具体的に違いが見分けられるんだろうか。
「麓の村で一泊しましょう。山越え中に日が暮れたら面倒だもの」
「ああ、ベッドで休めるならそっちの方がいいな」
冒険者は出来る限り野宿をしたがらないものだ。
理由は色々あるが、何より体力を消耗しやすいのが大きい。熟睡できるわけもないし、交代で起きて見張りをするのも意外と体に負担がかかる。人里離れた土地の探索だとか、よほどの金欠でもない限り、野宿は回避した方がいいというのが今どきの冒険者の常識だ。
もちろん、パーティの面子もレオナの提案に反対せず、麓の村での一泊はすんなりと決定した。
「この村に来たことはあるのか?」
馬車に揺られながらそう尋ねてみると、レオナは苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべた。
「ええ、たまにね。お使いくらいでしか行かなかったけど。のんびりしたところよ。事件らしい事件も起こらなくって、みんな緊張感の欠片もないくらい」
「……冒険者の仕事もなかったのか?」
「そりゃあ大事件の解決の依頼とかはなかったけど、雑用や仕事の手伝いくらいならあったんじゃない? 一応、凄く小さいけどギルドハウスもあったしね」
些細な違和感が脳裏をよぎる。ここ二、三年、アルトリンゲンには冒険者が立ち入っていないと聞いている。けれど山を一つ越えたところにはギルドハウスが存在しているという。
何となく妙だ。そんな近くにギルドハウスがあるのに、冒険者が全く立ち寄らないなんてことがあるのか。
「故郷に帰るのって何年ぶりくらいなんだ?」
あくまで自然な雑談を装いながら、少しずつ質問を確信へと近付けていく。
レオナは質問を聞いて数秒ほど押し黙り、それから普段と変わらない喋り方で答えた。
「かれこれ二年……もうちょっとで三年かな。冒険者になるまでは近くの町でコツコツ働いて、カードを貰ったら東に旅して……カイと会うころにはアルトリンゲンを出てから三年近く経ってたってわけ」
「けっこう久し振りの帰郷ってわけか」
相槌を返しつつ、レオナの返答を頭の中で噛み砕く。
レオナが故郷を離れたのは、冒険者がアルトリンゲンに近寄らなくなり始めた時期とほぼ同じ。つまりアルトリンゲンも麓の村も、レオナが知っている昔の様子とは変わってしまっている可能性がある。
「そろそろ村だ。宿はギルドハウスに紹介してもらおう」
馬車の手綱を操りながら、クリスがそう言った。もちろん俺としても異存はない。すぐにギルドハウスへと向かってもらうことにする。
――その道すがら、俺達は馬車の窓越しに、息を呑んで村の様子を見渡した。
のんびりしたところで、みんな緊張感の欠片もない――レオナはそう語っていたが、目の前に広がる光景は全くの正反対だった。
目に映る誰もが疲れ果てている。肉体的な疲労と言うよりは精神的な疲弊のようだ。精神的なストレスで疲れ果てているのが手に取るように分かる。子供達にも元気がなく、まるで何かに怯えているかのようだ。
「ちょっと……これ、どういうこと……?」
俺達の中で一番驚いていたのは、他でもないレオナ自身だった。その反応を見るだけでもよく分かる。レオナは決して嘘を吐いていたわけではなく、村の方がレオナの知る姿からかけ離れてしまったのだ。
村人達は俺達の馬車の接近に気がつくと、ある者はさっと屋内に姿を消し、またある者は力のない視線をぼうっと向けたまま動こうともしない。
「とにかくギルドハウスに行こう。あそこなら情報も集まってるはずだ」
馬車を操るクリスを急かしてギルドハウスへ向かう。だがしかし、そこもまた既に変わり果ててしまっていた。
「……どうなってんだ、おい……」
一言で表現するなら『廃墟と化しかけている酒場』とでも呼ぶべきか。実際、この村のギルドハウスは大衆酒場も兼ねていたらしく、軒先には酒樽がいくつも並んでいる。
だが、この荒れっぷりは一体どういうことだ。ギルドハウスであることを忘れて、ただの酒場として見ても異様な光景だ。
「ちょっと待ってろ。様子見てくる」
エステル達を馬車に残し、俺とレオナ、そしてクリスだけでギルドハウスの様子を見に行くことにする。
もちろん、安全のために酒場から少し離れたところで待たせ、なおかつ万が一の場合は即座にここから離脱するよう言い含めてある。
扉を開けるとアルコールの臭いが鼻を継いた。まだ日も暮れていないというのに、呑んだくれた村人が何人もたむろしている。それも楽しんで飲んでいるわけではなく、現実を忘れるためにわざと酒に溺れてるだけにしか思えない。
視線を動かし、依頼票を貼り付ける掲示板を探してみる。ギルドに必要不可欠なはずのソレがどこにも見当たらない。
「……カイ。あれ」
レオナが顔を動かして示した先に、薄汚れて何も貼られていないコルクボードがあった。どうやらアレが依頼掲示板の成れの果てらしい。
「とにかく話を聞いてみよう。……すみません、ちょっといいですか」
カウンターの向こうで木製のコップを磨いている、酒場のマスターらしき男に声を掛ける。普通ならこいつがギルドハウスの管理人で、冒険者ギルドとの連絡員でもあるはずだ。
酒場のマスターは俺達の存在に気がつくと、明らかにやる気のない声と視線を向けてきた。
「おや、どちらさんかね。若いようだけど酒は飲めるのかい? ミルクのサービスはやってないよ」
「俺達は冒険者です。この辺りの話を聞きたくて――」
次の瞬間、マスターはひっくり返るような勢いで椅子から転げ落ちた。色白だった顔が露骨に青ざめ、目玉が激しく泳ぎまくっている。
「どうかしましたか?」
「え? ああ、いや、何でもない、何でもないよ」
マスターはどうにか椅子に座り直したが、明らかに様子がおかしすぎる。コップを磨く手も震えまくりだ。
「話、話ね、話。この辺りの話だったね。残念だけどお役に立てる情報はなさそうだなぁ。この頃は依頼も来ないし、昔から何にも変わらないままさ。あははは」
「あなたがギルドハウスの管理人でよろしいんですよね?」
そう言って、クリスはにっこりと笑った。
傍から見れば見目麗しい少女の微笑みかもしれないが、俺達にとっては相手に同情せざるを得ない展開の始まりの合図だ。これからお前を《真偽判定》で問い詰め殺すという宣言も同然なのだから。
「あ、ああ、そうだよ。十年はやってるかな」
「え……」
レオナが思わず声を漏らすも、クリスはそれをさり気なく制し、強烈な言葉のカウンターを叩き込んだ。
「じっくり駆け引きをする暇はないので、単刀直入に言いましょう。嘘ですね。何もかも」
「なっ……! 何を根拠に、そんなことを……!」
「根拠ならここに。彼女はほんの三年前まで近隣に住んでいたんです。それなのに、あなたのことを知らないと言っている。彼女が知るここのマスターは別の人間だった」
クリスの問い詰めに合わせてレオナが首を縦に振る。
「昔から何も変わっていない。それも嘘だ。彼女が知るこの村はのどかで平穏、村人にも笑顔が溢れていたらしい。少なくとも、現状はその当時から変わり果てているし、あなたはこの事実を知っている――そうですよね?」
マスターを名乗る男は呼吸を荒くし、冷や汗を何筋も垂らしている。口ごもり、生唾を飲み込み、たっぷりと時間を稼ぎながら、カウンターの下に手を入れて――
「おっと」
そこから凶器を取り出すよりも格段に早く、クリスの細剣が自称マスターの首筋にあてがわれた。
突如、酔っぱらいの客達がナイフや瓶を手に襲いかかろうとしてくる。
だがそちら側には俺が注意を向けていた。装備カードを実体化させるまでもなく、予め変化させておいた《上級武術》の格闘技術だけで、男達を投げ飛ばし、蹴り倒し、瞬く間に制圧してやる。
これでもCランク冒険者なのだ。《操糸術》以外のカードのコピー中は《鋼索》製の右腕を動かせないが、それでも酔っぱらいの集団ごときに手こずるなんてあり得ない。
「生憎ですが、ボクらは腕に覚えがありまして。この程度なら無傷で返り討ちにできますよ」
クリスは剣をしまい、もう一度にっこりと微笑んだ。
「お話、聞かせて頂けますね?」
「だ、ダメだ。それはできない……本当にダメなんだ……」
自称マスターは両手を上げて降伏の意思を示していたが、事情の説明だけは頑なに拒み続けている。
ここまで拒絶されたら誰だって理解できる。こいつは何者かに脅されているんだ。恐らくは命の危険を感じるほど徹底的に。
「……どうする? 正攻法じゃ情報は引き出せそうにないね」
クリスは振り返って俺に方針の決定を促した。まさにその瞬間、どこからともなく奇妙な音が聞こえてきた。
ガシャン、ガシャン、ガシャン――
全身甲冑の足音に似ているが、それよりも更に重厚。足音だとすれば三人分はある。
「は、早く隠れろ!」
自称マスターが必死の形相で俺達に呼びかける。
「カウンターの裏でもいい、早くしろ!」
疑う気持ちがないわけじゃなかったが、明らかにさっきまでとは状況が変わっている。俺達は急いで酒場のカウンターの裏に身を隠した。
その直後、酒場の扉が外から勢い良く蹴破られた。
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