186.操糸術
「おはよ。何してんの? ……寒くない?」
――サブマスター・エメトとの再会から数日。早朝の宿屋の裏庭で準備をしていると、起きてきたばかりのレオナが不思議そうな視線を投げかけてきた。
当然すぎる反応だ。こんな寒い時期の朝っぱらから、薄い肌着のシャツ一枚で外に出ている奴がいたら、俺だってそういう眼差しを向けるだろう。
「《ワイルドカード》を使って右腕を補う手段があるって話、前にしたよな。昨日やっと準備が整ったから、今のうちに使い方を練習しておこうと思って」
「本当? 見ててもいい?」
「お好きにどうぞ」
仲間なのだから手の内を隠す理由なんてない。むしろ把握しておいてもらった方が気楽なくらいだ。
左手で《操糸術》のスキルカードをコピーし、同時に装備カードの《ロープ》を実体化させる。魔力を通したロープはすぐさまスキルによる制御下に置かれ、俺の思った通りに空中で動き、立体的な形状を作り上げていく。
ロープとは細い繊維を撚り合わせたもの。糸と紐、そして綱は太さが違うだけで本質的に同じ。ならば《操糸術》でロープを操れるのは当然である。もちろん、糸のように素早く遠くまでコントロールすることはできないが。
「ひょっとして……それって、義手?」
「ああ。植物の蔦を操って腕の代わりを作った人がいるって、エステルが言ってただろ。そこからアイディアをもらったんだ」
《操糸術》で編み上げたのは紐細工の義手。それをシャツ越しに右腕の切断面に押し付け、ロープで胴体に固定してやれば、《操糸術》スキルで操作できる義手の完成だ。
先日レオナとルースに言っていた「右腕の一時的な代用品の心当たり」とは、要するに《操糸術》をコピーさせてもらう相手のことだ。
そしてコピーを求めて会いに行った相手。それはかつて地下墓所の怪現象騒ぎを引き起こした張本人であり、今はクリスの実家でもあるサブマスター・ギデオンの邸宅で保護されている少女である。
俺は地下墓所の一件で彼女に恐怖心を抱かれていたので、説得には相当苦労するだろうと思っていたが、クリスの執り成しもあってかあっさりと見せてもらうことができた。
しかし、この経緯をレオナ達に説明することはできない。クリスとギデオンの本当の関係まで露呈してしまうかもしれないからだ。
「良く出来てるじゃない。普通に動かせるの?」
「どうだろうな。ちょっと試してみるか」
作りたての右腕の動作確認を一通りやってみることにする。日常的な仕草から徒手空拳での動作、そして剣を右手で握っての《剣術》スキル。
「……どう?」
「ちゃんと訓練したら、攻撃動作以外は特に問題なくなりそうだ。でも剣を振るって戦うとなると厳しいかもな。やっぱり軽さと柔らかさで違和感が」
「重さと固さか……」
レオナは少しばかり考え込んだかと思うと、何か思いついたような表情で顔を上げた。
「そうだ! 《鋼索》の方を使ってみたら?」
「なるほど。その手があったか」
軽さも柔らかさも要するに素材の問題だ。金属ワイヤーの類である《鋼索》なら解消できるかもしれない。
糸を操るスキルで金属線の塊を操れる確証はなかったが、実際に試してみたら問題なくコントロールすることができた。重くて固い分、植物繊維の糸を操る場合よりも数段性能が落ちているが、腕の代わりとしては申し分ない。
そうやって編み上げた金属線の右腕は、ロープを使った腕よりも確かな重みが感じられ、戦闘に耐えうる強度があると確信できた。
「うん、さっきより格段に良い。けど……なんつーか、重いな。放っといたら体が右に傾きそうだ」
「あー……そりゃ金属の塊だもんね」
「発想は正解に近いと思うんだ。防御力も期待できるしな。中空にして軽量化するとか、ロープも使った複合素材にして左腕と重さを合わせるか……うまく改良できればいいんだけど……」
いいアイディアはないものかと思案していると、宿から出てきたエステルが呆れ混じりに声を投げかけてきた。
「二人とも、こんなところにいたんですか。ご飯の準備できてますよ」
「もうそんな時間か? 分かった、今行く」
宿に戻って、皆とテーブルを囲んで朝食をとる。ただし使うのは左手ではなく作ったばかりの右腕だ。
当然ながら感覚はない。本物の手腕とは動かし方の勝手も違う。どうしても反応がワンテンポ遅れる感じはしてしまうし、スプーンを口元に持っていくだけでもクレーンゲームをしている気分になる。
だが、無いよりはずっといい。多少ぎこちない腕でもそこにあって自由に使えるというだけで、快適さが格段に変わってくる。
パーティの皆からの注目を浴びながら、いつも以上に時間をかけて朝食を終える。
「私思ったんですけど、これなら《操糸術》のカードさえ手に入れたら、サブマスターのクエストもクリアできるんじゃないですか?」
今日の予定の準備をしていると、ルビィがそんな提案をしてきた。
「俺も考えたんだけどな。帝都のショップにも並んでなかったし、そもそも入荷自体が稀らしい」
「そうなんですか……残念」
「ロープを操れるスキルっていうのはどう考えても冒険に役立つからな。高所にロープを伸ばして昇れるようにしたり、渓谷の向こう側の木に縛り付けて渡ったり……引き当てても売りに出す奴がいないんだろ」
ギルドショップに並ぶ商品は、魔石昇華をした冒険者から下取りしたカードだ。基本的にその冒険者が使う予定のないカードが並ぶことになる。
有用なカードの入荷は『戦力が充実している冒険者がダブりを売り払った』か『経済的に窮した冒険者が運良く手に入れた高レアカードを売って現金を手に入れた』場合が主になる。
「じゃあ、入荷分の予約とかはできないんですかね」
「それは無理だね」
答えたのは俺じゃない。ちょうど通りかかったクリスだった。
「無制限に予約を認めたら、いいカードが店頭に並ばなくなるだろう? だから一般の冒険者がカードを予約できるのは、何かしらの功績を挙げた場合にご褒美として予約権を貰えた場合だけなんだよ」
「うーん、都合よくいきませんね」
それは仕方のないことだ。冒険者ギルドは冒険者という業種全体の利益のために存在する。だから一人一人の都合にそぐわないことがあるのも当たり前。多少のことは自分で乗り越えられてこその冒険者だ。
とにかく、右腕を多少なりとも補えただけでも大きな前進だ。焦らず確実に事を進めていった方がいいだろう。
「……そろそろ西方に行く準備をした方がいいかもな。移動手段の用意と食料と……後はついでにこなせる依頼があれば、それも」
「護衛依頼は労力がかかるから、報酬の金額よりも気楽さを重視したほうがいいかもね」
「ああ、確かに」
今後についての簡単な意見交換を終えてから、俺は帝都を離れた後の準備をするために帝都の市街へ向かうことにした。
もちろん、帝都での情報収集はまだ継続する予定だ。それでも手間のかかる準備は早めに済ませておいた方がいい。特に保存の効く食料を大急ぎで買い集めるのは色々と面倒だ。
後で宿に荷物を届けるように頼んでおけば、メンバーの誰かに荷物を持たせて連れ回す必要もない。多少の追加料金はかかるが、その間に情報収集をしたり依頼をこなしたりしてもらえることを考えれば微々たるものだ。
まずは冒険者向けの食料品店から回ろうか――そんなことを考えながら人混みの中を歩いていると、不意に聞き覚えのない声を投げかけられた。
「失礼。カイ・アデル氏ですね」
振り返ると、そこには怜悧な雰囲気の女性が佇んでいた。
「サブマスター・エメトから言伝を預かっています。お時間を頂きたい」