185.サブマスター・エメト
俺は階段を降りきったサブマスター・エメトの前に立ち、驚きを押し殺しながら話しかけた。
「どうしてギルドのサブマスターがこんなところに?」
『別に不思議なことは何もないさ。僕はこの大図書館の筆頭出資者であり理事長でもあるからね。サブマスターは冒険者本来の仕事以外にも、社会貢献に繋がる副業をしているものなんだよ』
そう言ってエメトは笑った。仮面で顔は完全に隠れているので、声色と細い体の動きからそう判断できる程度だが。
『ところで後ろにいる少女二名。自分達のパーティのリーダーがどうしてサブマスターと顔見知りなんだ?とでも聞きたげな顔をしているね』
「あっ……」
しまった、と内心で歯噛みする。初めて帝都に来たときにサブマスターと関わったことは、パーティの皆には秘密にしていた。ギデオンとの関係はなるべく伏せておく方針だったし、仲介してくれたクリスの事情にも関わってくるからだ。
上手い具合に説明できないものかと思考回路を回転させている間にも、エメトは何故か上機嫌かつ饒舌に喋り続けていた。
『サブマスターの情報収集能力を甘く見てはいけないよ。以前、貴族に正面から喧嘩を売ったDランクが帝都に来ると聞いて顔を見せてもらったのさ。ギデオンも……東方領域担当のサブマスターも注目の、ね』
金属音を響かせながら、エメトが俺達の周りを歩いて回る。三百六十度どこから見ても肌の露出がない格好だ。髪の毛すら頭巾状の布にすっぽりと覆われている。
エメトの説明は本当に隙がなかった。嘘偽りや間違ったことは何も言わず、差し障りのないことだけを、それと悟られないように並べている。
『いい機会だからもう一度話をさせてもらえないかな』
「有り難いお誘いですけど、今は……」
『右腕を補う手段を探しているんだろう? 残念だけど、この階の資料では君の事例には対応できないよ』
あっさりとそう言ってのけられ、思わず言葉に詰まってしまう。
『サブマスターの情報収集能力を甘く見てはいけないよ』
仮面に覆われたエメトの頭部が傾く。まるで小首でも傾げるかのように。
結局、俺達はエメトの誘いを断りきれず、言われるがままに理事長室へと招かれた。
来客用の椅子に座らされると、すぐに秘書らしきがお茶を持ってきてくれた。しかしエメトの前には何も置かれていない。たとえ何かを飲むためであっても顔を見せるつもりはないという意志がよく伝わってくる。
『説明は不要だよ。事情の把握は、君達がステファニア・ガリアーノを護送している間に済ませてあるからね』
俺の考え過ぎかもしれないが、仮面の内側で反響するエメトの声が弾んでいるように聞こえた。
『損得勘定で話をさせてもらえば、冒険者ギルドのメンバーがデミライオンのイスカンダル王やザファル将軍に恩を売れたのは賞賛に値する。ああ、僕個人としてはそういう観点で物事を計るのは好きじゃないよ。でも一応誰かが言っておかなければならないことだから』
「…………」
『冒険者ギルドは社会貢献を求められ続ける。低ランク冒険者なら自分の稼ぎと利益だけを考えることも許されるけど、高ランクを目指すのならそうはいかない。その点、君達の活動履歴は望ましいものだ。麻薬工場の件も含めてね』
事情を既に把握しているとうのは、決して大袈裟な表現ではないらしい。冒険者になってからから今回の帝都来訪までの出来事は、サブマスター・エメトにことごとく筒抜けだと考えた方がいいだろう。
『さて。右腕についてだが、そこの癒し手君の師匠……フローレンス女史が匙を投げたのも頷ける。一般的な医術系スキルや治癒スペルでは回復不可能な重傷だ。君の切り札を使えば可能かもしれないが、恐らくはそのためだけに切り札を使い続けなければならなくなる……そうだね?』
「その通りです。だから《ワイルドカード》に頼らずに右腕の機能を取り戻す方法を探して……」
『僕はそれを知っている』
エメトが向かいの椅子から少し身を乗り出した。金属的な仮面の光沢――磨き抜かれた鏡のような曲面に、レオナとルース、そして俺の顔が映り込む。まるで大きな瞳に見つめられているような気分だ。
『でも教えてあげることはできないね』
「ど、どうしてですか!」
声を荒げたのはルースだった。隣に座っているレオナがびくりと驚くほどの大きな声だ。
しかしエメトはまるでそよ風のようにそれを受け流した。
『僕達はね、彼に期待しているんだ。そして解答を幾つも知っている立場としては、この程度は自力で見つけ出してもらいたいとも思っている。むしろ、これくらいの探索を成功させられないようじゃ、Bランクの依頼は到底こなしきれはしない』
「つまり、右腕を補う手段は今の俺達でも見つけられる、ということですか」
『そのとおり。サブマスターの名に懸けて保証するとも』
金属音を立ててエメトが立ち上がる。
『右腕を満足の行く形で取り戻せたなら、もう一度僕を訪ねなさい。そのときはランクアップに値する能力評価にするよう取り計らおう。諦めたときにも僕を訪ねなさい。そのときは右腕を一つ用意してあげよう。けれど――どうか僕を失望させないでくれたまえ』
サブマスター・エメトとの対面を終え、大図書館を後にして宿屋に向かう道すがら、俺達三人はお互い言葉を交わすこともなく歩き続けていた。より正確には、三人がそれぞれ考え事に夢中になって会話をしないだけなのだが。
エメトが言っていたことは至極単純。右腕の復活というクエストを達成できれば評価を上げ、達成できなければ評価を下げる。ただそれだけのことだ。諦めた場合でも右腕を作ってやるというのは、いわゆる慈悲や哀れみだろう。
やはりサブマスターからの評価が下がればランクアップは遠のくはずだ。そうなると報酬アップも遠のき、借金の返済もまた遠のく。となると、早々に自力での達成を諦めて残念賞をもらうというのは論外だ。
「私、やっぱり納得いかない」
ルースが露骨に怒気を漏らす。
「治す手段があるのに教えないなんて信じられない。本当にそんな方法が確立してるなら、カイだけじゃなくて大勢の人を助けられるのに……」
怒りと悲しみが頭の中で混ざり合っているのが伝わってくる。
ルースは癒し手だ。まだまだ経験の浅い新人でも、俺みたいに不可逆な損傷を負った患者を目にしたことは一度や二度ではないはずだ。
完全に失われた腕や脚を元に戻す研究も、本来の四肢と同じ機能を持つ代替物の研究も、現時点では『そういう研究をしている人間もいる』という程度に過ぎない。それがついさっきまでの俺達の認識だった。
「人を救える知識を誰かが独占してて、広まるのを邪魔してるんだとしたら……私、絶対に許せないよ」
「落ち着けって。何か事情があるかもしれないだろ」
「何かって、例えば?」
「そりゃあ……」
少し間を置いて言葉を選ぶ。前の人生の知識も関わってくることだったので、思いついたことをそのまま口にするわけにはいかない。
「……ろくでもない手段だから広められないとかな。ホムンクルスの技術を使って腕の代用品を作るっていう可能性は、お前も言ってただろ。例えばだけど、腕を収穫される側にも人格や痛覚が生じるとしたら? 内蔵を取るためには殺さないといけないとしたら? 手段が確立していても、とてもじゃないけど気楽に広められないって思わないか?」
前の人生でいう、臓器移植用のストックとしてのクローン人間という奴だ。もちろんそんな代物は実現していなかったが、将来的な可能性は充分にありうると言われていたし、実現しても倫理的問題が大きすぎると言われていた。
「それはそう……だけど……」
「まぁ、本当に技術を独占してるだけって可能性もあるけどな。今わかってることだけで決めつけない方がいいだろ」
「……うん」
ルースは割り切れないながらも納得はしてくれたようだ。
「それはそれとして、実入りの多いお話だったんじゃない? 流石はサブマスっていうか」
俺達の会話が終わるのを見計らっていたかのように、ずっと黙っていたレオナが口を開く。
「今までは完成してるのかも分からない手段を探していたけど、おかげで『答え』が存在することは分かったわけでしょ。それに万が一の保険もできたわけだから、大きな前進って言えると思うんだけど」
「だよな。ちゃんとゴールがあるって分かるだけでも気が楽だ」
レオナの考えに同意しながら、左腕をまっすぐ伸ばして空中を撫でるように動かす。ちょうど、《ワイルドカード》のコピー状態を切り替えるときのように。
「今後の憂いもなくなったことだし、明日は別の心当たりに会ってこようと思うんだ。やっぱり《ワイルドカード》で右腕の代わりを作れるようになっておいた方がいい。一時的な代用品でも無いよりはマシだからな」