182.護衛依頼-交戦
「お前、どうしてそれを……」
「さぁね? 《ワールウィンド》!」
紙束が中に投げ放たれるや否や、廊下に発生した旋風が大量の呪符を紙吹雪のように巻き上げた。
どうしてイズレイルが――ステファニアを狙う地下組織の刺客が《ワイルドカード》の存在を知っているのか。そんな疑問に思考回路を割いている余裕はない。俺は咄嗟に、ルースを焼け焦げた部屋の中へ突き飛ばした。
呪符の吹雪は俺の周囲の内壁に張り付き、床から天井までくまなく覆い尽くしていく。俺の足回りまでも諸共に。
「へぇ?」
イズレイルが意外そうな声を漏らす。
「おかしいなぁ。今のはスペルで防がれる想定だったんだけど。君ならいくらでも手段があっただろう? まさしく何でもありなんだからさ」
「……何でもありはお互い様だろ。紙に書いたら何でもできるのかよ」
「まさか。君みたいな横紙破りと一緒にしないでほしいね。このスキルはね、下準備に嫌というほど時間とコストが懸かるんだ。小説家っていう仕事がちょうどいい隠れ蓑になるくらいにね」
小説を書くふりをして……あるいは本当に書いている傍らに、大量の呪符を書き続けていたといったところか。
念入りな呪符の下準備。グッド兄弟を利用した混乱の演出。心理的な隙を突いたトラップ。イズレイルが頭を使って立ち回るタイプなのは明らかだ。そんな奴が無意味に自分語りをするとは思えない。
――時間稼ぎか。そう判断して即座に間合いを詰めようとする。ところが、俺の両足は床に縫い付けられたかのように微動だにしなかった。
「硬質化……っ!」
今になってイズレイルの意図を理解する。奴は俺がスペルを使って呪符を迎撃する想定で動いていた。つまりこの呪符は、スペルを浴びることが――もっと言えばスペルを受け止めることが前提の防御用だったのだ。
俺が迎撃をしなかったものだから、用途を急遽変更して俺の足を拘束し、あえて隙を晒して行動を誘い――
「……ちっ!」
眼前に跳んできた呪符を長剣で切り払う。しかしそれは予想通りのフェイント。本命の一手は直後に繰り出された氷の棘弾。身を捻ってそれをかわすも、完全には避けきれず浅く頬を引き裂かれる。
更にイズレイルは呪符からチェーンソーじみた機構の剣を引っ張り出し、力任せに振り下ろしてきた。その一撃は辛うじて長剣で受け止めたものの、高速回転する鎖状の刃によって、長剣の刃が一秒ごとに削り砕かれていく。
複雑な機械的構造の装備カードが存在することは知っていた。ハンマーとハルバートの形態を持つルビィの装備もその一種だ。けれどこれはいくらなんでも規格外だろう。
「武器も体もずいぶん固いね。強化スペルでも使ってるのかな」
「さぁ……どうだろうな」
イズレイルの読み通り、こうやって攻撃に耐えたり受け止めたりできているのは、やはり強化スペルの《ハードニング》の恩恵が大きい。
身体能力と白兵戦の技術そのものは確実に俺の方が上だ。けれど足を固定された状態ではそれも発揮しきれず、強化された硬さに頼って凌ぐ状況が続いてしまう。
イズレイルが爆発系の攻撃を使ってこないことを考えると、この呪符も熱や炎には弱いのだろう。けれど、今はその手段を選ぶことができない。《ワイルドカード》を使うわけにはいかない理由がある。
「ひとつ不可解なのは」
突然、イズレイルが機械剣を手放して別の呪符を放り投げた。
呪符が激しい光を放って俺の視界を塞ぐ。その一瞬の間に、イズレイルは俺の視界から消えていた。
「どうして標的じゃなくて癒し手を庇ったんだい?」
イズレイルの声が背後から投げかけられる。振り返ったときには既に、イズレイルは狙いを廊下に残ったもう一人に切り替えていた。
手にした呪符が瞬時に燃え尽き、その閃光が魔力の光弾と化してフードの人影に直撃する。
「死ね。ステファニア・ガリアーノ」
ステファニアの上着が弾け、フードが吹き飛ぶ。
しかし露わになったその姿は、ステファニアとは似ても似つかない金髪の少年だった。
「何っ!?」
「かかったな! 《カウンターショット》!」
金髪の少年、ベルナルドの胸元で食い止められていた光弾が逆方向に再加速し、無防備に食らったイズレイルを何メートルも吹き飛ばす。
「げふぅっ!?」
「ははっ! 俺だって役立たずじゃねぇんだぜ!」
ベルナルドは会心の笑みを浮かべると、大急ぎで俺とイズレイルから距離を取った。
それとほぼ同時に、《ディスタント・メッセージ》越しにレオナの声が響く。
『カイ!』
「おうっ!」
レオナからの呼びかけが解禁の合図。コピーしたままずっと実体化させ続けていた《ミラージュコート》を解除し、手元に《ワイルドカード》を呼び戻す。
コピーするカードは邪魔な呪符を焼き尽くす炎のスペル。
「《ファイアブラスト》!」
炎の奔流が廊下に貼りついた呪符を焼き払い、立ち上がろうとしていたイズレイルまでも飲み込む。
俺と一緒に行動していたステファニアは、ベルナルドが変装した偽者だ。
護衛依頼が始まったときからずっと、ステファニアはフード付きの上着を着用していたが、それは顔と髪を隠せるからだけではなく、別人と入れ替わりやすくするためでもあったわけだ。
「次――《ファイア・インフュージョン》」
靴に炎を纏わせて足回りを拘束していた呪符を焼き払い、同じスペルを長剣にも掛けておく。
《長剣》と《ファイア・インフュージョン》を融合させても似たような効果は得られるが、そうしたら別のカードをコピーできなくなるので、普通にスペルを掛けた方が効率的だ。
「参ったな……誘き出されたのは……僕の方か……」
呻きながらも立ち上がろうとするイズレイル。呪符で守りを固めていたのか、炎に飲み込まれた割には大した外傷を受けていない。
まだ何か仕掛けてくるはずだ。そう考えて油断なくカードを切り替える。
「……一体いつから、僕に狙いを定めていたんだい?」
「狙いも何も、余裕で虱潰しにできる人数だろ?」
「ははは。違いない」
今回のパーティの分割は三グループ。グッド兄弟を追い詰める。クリスとエステル、ルビィとベリルの班。共犯者や黒幕が存在する可能性を追求する、俺とルース、カルロスとベルナルドの班。
そして、事態が一段落するまで身を隠しておく護衛対象のステファニアと護衛役のレオナの班。
騒動の犯人を倒すと決めたとき、俺はコピーした《ミラージュコート》を二人に預けておいた。俺の班かクリスの班のどちらかが戻ってくるまでの間、これに身を包んで姿を隠しておくためだ。
レオナからの呼びかけは合流成功の合図であり、《ワイルドカード》の仕様解禁の宣言。ここから先は制限なしで戦える。
「やる気十分って顔だけど……」
イズレイルは壁にもたれ、ふらつきながら立ち上がった。
今すぐ斬りかかるべきか少し逡巡する。斬り伏せるのは楽なように思えたが、それすらも罠かもしれない。例えばベルナルドが《カウンターショット》で魔力弾を撃ち返したように、俺の攻撃をトリガーとして発動するトラップを仕込んでいたとしたら。
「……このまま戦っても勝ち目は薄いね」
突如、イズレイルの着衣が膨れ上がったかと思うと、内側から大量の呪符が溢れ出して舞い上がった。
「ちいっ!」
炎を纏った剣を振るい、眼前の呪符を焼き払う。その僅かな隙に、イズレイルは渦巻く呪符の流れに乗って窓から飛び出していった。
「今回は任務失敗だ。悪いけど尻尾を撒いて逃げさせてもらうよ」
夜空を背景に、呪符が重なり合った足場がイズレイルを乗せて宙に浮かんでいる。任務とやらに失敗したことも、戦って退けられたこともまるで気に留めていないかのような態度である。
「《ワイルドカード》を甘く見ていたことは認めるよ。だけど、そのカードで僕を追いかけながら戦えるのかな?」
「……いいや。必要ないね」
次の瞬間、イズレイルの左腕が根元から斬り落とされた。
「――は――?」
俺は何もしていない。刃を振るったのは、最初のトラップで部屋ごと爆発に飲み込まれたカルロスだった。
「はああああああっ!?」
「うるせぇ。黙って死ね」
駄目押しの斬撃がイズレイルを袈裟懸けに切り裂く。それとほぼ同時に呪符の渦がイズレイルを飲み込み、どこかに消し去ってしまった。
カルロスは小さく舌打ちをすると、持ち前のスキルで空中を蹴りながら少しずつ降下を始めた。
絶命の瞬間は確認できなかったが、地表に降り注いだ血の雨は明らかに致死量を超えている。更に腕まで斬り落とされたとなると、もはや戦闘続行は不可能だろう。
「よかった……間に合った?」
爆発で崩壊した例の部屋から、ルースがホッとした表情を浮かべながら戻ってきた。
「ああ。流石は本業、凄い回復ぶりだな」
「《ハードニング》のおかげでそこまで重傷じゃなかったから」
イズレイルが呪符をばら撒いたとき、ルースを室内に突き飛ばしたのは危険から遠ざけるためだけじゃない。爆発で負傷したはずのカルロスを治療してもらうためでもあった。
ルースなら何も言わなくても治療に取り掛かってくれると確信しての策だったが、見事に期待以上の成果を得ることができた。打ち合わせもなしに最善の行動を取ってくれた二人には感謝しきりである。
「ねぇ、カイ。これで解決って思ってもいいのかな」
「いや……まだ油断はできないな。とにかく皆と合流しよう。次にどうするか決めるのはそれからだ」