181.護衛依頼-追及(2/2)
駆けつけた先の廊下には、ほのかに焦げ臭い空気が漂っていた。
ホテルの最奥一歩手前の曲がり角。ここを過ぎれば後は行き止まりに行きつくだけの境界点。そこを曲がったまさにその直後、俺の視界に倒れ伏した何者かの姿が飛び込んできた。
「……カーマイン……!」
「痛ってぇ……何なんだ今の……」
俺が声をかけるのとほぼ同時に、自称占い師のカーマインは弱々しく体を起こした。暗さのせいで隅々までは見えないが、少なくとも大怪我をしている様子はないようだ。
「何があったんだ?」
「そこに転がってた人形……像? とにかくそれを蹴っ飛ばしたらドカン!ってなったんだよ。くっそ、痛ぇ……足繋がってるよな、ちぎれてねぇよな?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと繋がってます」
ルースは誰に言われるでもなく自主的にカーマインの右足を診断し、すぐさま《ヒーリング》のスペルを唱えた。
診断のとおりダメージは軽く、あっという間に傷が癒されていく。本職の癒し手として使い慣れているからか、俺が唱えた場合よりも少しばかり治癒速度が速いように感じられる。
「先に行くぞ」
「あ、おい待てって!」
カーマインへの対応を俺とルースに丸投げして、カルロス達がさっさと先に歩いていってしまう。
この先にステファニアを狙う刺客がいるかもしれないのだから――俺の読みでは十中八九いるはずだ――仕方ないかもしれないが、勝手な行動は流石に無視できない。
しかし俺が二人を追いかけて、ルースをカーマインと二人きりにさせてしまうのも問題だ。正直カーマインが潔白だとはまだ信じ切れていない。そもそも奴が刺客でなかったとしても、胡散臭い野郎の近くにルースを置き去りにするなんて論外だ。
数秒ほど迷い悩んだ末に、俺はルースの肩を掴んで治療を中断させた。
「俺達も行くぞ。もう歩けるくらいには治ってるだろ」
「でも……」
「カーマイン。爆発したっていう奇妙な人形は幻影の発生装置みたいなものだ。それに気付いた奴が壊そうとしたところで……っていうトラップになってる」
やり切れない表情のルースを引き寄せながら、必要最小限の情報だけをカーマインに教えておく。疑っていることをなるべく悟られたくないと思うなら、これくらいは伝えないと却って不自然だ。
「オーケー、大丈夫だ。脚も動く。悪ぃな、助かった。俺はジェシカんとこに戻るけど、お前らは――まぁいいや、とにかく気ぃつけろよ」
ありがたいことに、カーマインの方から自主的にこの場を立ち去る流れになってくれた。
俺はルースの腕を掴んだまま廊下の奥へと駆け出した。カーマインの手当てをしたタイムロスは決して問題にならないはずだと、自分に言い聞かせながら。
暗闇の向こう、廊下の最奥の部屋の前に、カルロス達が持ち歩いているロウソクの光が留まっている。それが急に揺れ動いたかと思うと、金具と木材の壊れる耳障りな音が鳴り響いた。
「カルロス!」
ロウソクの光だけでもしっかり見て取れる。カルロスが最奥の部屋の扉を力任せに蹴破ったのだ。
どうにかカルロスが部屋に踏み込む寸前に追いつき、乱暴に開放された部屋の中に視線を走らせる。俺達が泊まっている部屋よりも一回り小さな客室。それに備え付けの作業机の上に、書きかけの原稿らしき紙が散らばっている。
そして部屋の窓際では、自称小説家が窓枠に背を預けて陰鬱な笑みを浮かべていた。
「どうしたんですか、皆さん。ノックしてくれたら開けましたよ?」
「不要だ。挨拶も問答もな」
カルロスは止める間もなく部屋に踏み込んだ。そのまま躊躇うことなくイズレイルへ近付いていく。
俺もその後に続こうとした矢先、《ディスタント・メッセージ》越しにクリスの声が聞こえ、思わず足を止める。こちらが安全ではない可能性を考慮してくれたらしく、囁くような小さな声だったので、立ち止まって集中しないと聞き逃してしまいそうだった。
『聞こえるかい?』
「ああ、手短に頼む」
『グッド兄弟を制圧した。拍子抜けするくらいに弱かったよ』
その間にもカルロスは歩を進めていく。右腕にはいつの間にか片刃の剣が実体化していた。
『彼らは泥棒だ。場所に応じた幻影を使って標的を逃走させて、置いて行った荷物を奪うだけの小物だ』
イズレイルは手にしていた小説らしき本を片手で開くと、ページの何割かを鷲掴みにして引き抜いた。まるで最初からページが着脱可能であったかのようにあっさりと。
『彼らにこのホテルの噂を教えてボク達を襲わせた奴がいる。そいつは呪符使いの――』
カルロスが僅か数歩分の間合いを瞬時に詰める。
しかしそれよりも早く、イズレイルの手が紙束が撒き散らし――
「くっ……!」
俺は反射的にルース達を左腕でまとめて抱き寄せ、押し倒すように廊下へ転がり出た。
次の瞬間、強烈な閃光が部屋を満たし、熱風が廊下にまで吹き荒れる。
「カルロスッ!」
爆音の反響が消え始めた矢先、立ち込める煙を割って何かがふわりと近付いてきた。
紙飛行機だ。平凡すぎて却って現状にそぐわない粗末な玩具。一見して無害にしか思えない代物だったが、俺はそれが危険物だと直感した。
体を捻って右腕を鞭のように振るい、紙飛行機を叩き落とす。その衝撃がスイッチになったのか、紙飛行機の形に加工された呪符が爆発を引き起こした。
右腕の手首から先が折れ曲がり、申し訳程度の内部構造を露出させる。爆発の威力自体は大したことなかったが、偽装の右腕は形だけでハリボテ同然だったため、このとおり無残に破壊されてしまった。
「ルース、ステファニア。廊下の奥に退がってろ」
紙飛行機が飛んできたのはさっきの部屋の中からではない。行き止まりへ通じる廊下の手前側……つまり俺達が来た方向からだ。俺はルース達を廊下の奥に逃がし、その方向に注意を向けた。
『カイ! 今の爆発は!?』
「グッド兄弟を俺達にけしかけた奴ってのは、呪符使いのイズレイルだな」
『え? いや、名前も顔も知らないと……それにイズレイルって』
「ああ、そういうことだ」
廊下の先から不審な人影が姿を現す。長い布を巻いて顔を覆い、それで正体を隠しているつもりらしい。もう既に正体は割れているというのに。
横目で部屋の中を見やる。爆風でロウソクが吹き飛ばされてしまったせいで、三歩先も見えない真っ暗闇だ。不気味に静まり返っていることを考えると、カルロスは気を失っているか、あるいは――
「部屋にいたのは幻影だな? ばら撒いたページもそうだろうな」
俺は二人を更に奥へ逃がしながら、あえて挑発的に声を投げかけた。
「爆発は部屋に仕込んだ呪符ってとこか。声は別のスキルでも使ったか、呪符でそういうことができるのか……どっちにせよ、声を幻影で誘い込んで爆殺だなんて悪趣味なことしやがって」
「参ったね。全部バレてるわけだ」
不審な男――自称小説家のイズレイルは、俺達から十分な距離を保ったままで、顔を覆う布を解いた。
「馬鹿みたいに突っ込んで爆死したやくざ者よりは頭が働くみたいだね」
「順番の問題だ。先に踏み込んだのが俺なら立場は逆だったさ」
このからくりに気が付いたのはついさっきだ。爆発から逃れた時点では、部屋の中にいたイズレイルが本物だと思い込んでいたし、ばら撒かれた呪符が爆発するものだと信じて回避行動を取ったのだ。
もしも、カーマインの治療やクリスからの通信という足止めがなかったら、真っ先に部屋に踏み込んで爆発を浴びていたのは俺だったし、ルース達を助ける役目はカルロスのものだったに違いない。
「それにしても、厄介な方が残ったなぁ」
イズレイルは薄ら笑いを浮かべながら呪符らしき紙束を懐から取り出した。
「《ワイルドカード》――だったかな? 君が爆死してくれたら楽だったのに」