178.護衛依頼-休息(2/2)
ひとまず他のメンバーとの打ち合わせを軽く済ませてから、交代で順番に大浴場を利用するという流れになった。まずは俺とレオナとステファニアの三人で、その後にカルロスとベルナルドという順番だ。
もちろん男女で別の浴場が用意されているので、俺は一人で男湯に入り、レオナはステファニアを護衛しながら女湯を利用するという形になる。
五人の先客のうち、グッド兄弟はスペクター退治の下準備の名目で何やら作業をしていて、カーマインは腹ごしらえを優先させている。何か仕掛けてくる可能性が高いのは残りの二人――特に女湯へ問題なく入れる自称女占い師のジェシカが要注意だ。
それを考慮して、エステル達のチームから最低でも誰か一人を送り込んでもらうことになっている。戦闘能力を持たないルースは除外して、装備カード持ちで近接戦闘が得意なクリスやルビィか、攻撃と防御のスペルを扱えるエステルの誰かを加えた二人体制でステファニアを護衛するわけだ。
もちろんこのホテルに刺客なんて潜んでいなくて、諸々の気苦労は全て骨折り損のくたびれ儲けという可能性もある。それでも俺達がやることは何も変わらない。何もしないで最悪の結果を迎えるよりも、たとえそれが無駄に終わるとしてもできることをやる方がずっといい。
「……とはいえ、少しは気を緩めないともたないな」
脱衣場で準備を進めながら短く息を吐く。脱衣場も大浴場も光源は数本のロウソクだけで、全体の一割も見通せないほどの暗さだ。これなら仮に誰かが入ってきたとしても、ロウソクの近くにさえいなければ、右腕がないことには気づかれないだろう。
この時間くらいはゆっくり気を休めることにしよう。そう考えながら大浴場に足を踏み入れ、入浴前の準備を手早く終わらせる。そして小規模なプール位もある浴槽に身を浸した途端、予想もしていなかった声が投げかけられた。
「なんだ、カイか。びっくりした」
「うおわっ!?」
声のした方向から反射的に視線を逸らす。びっくりしたのは俺の方だ。先に誰かが入っていただけならまだしも、その声は紛れもなくクリスの声だったのだから。
念のためと思って《暗視》スキルをコピーしていなくてよかった。そんなことをしていたら、話がもっとややこしくなっていたところだった。
「お前、こんなところで何してんだよ」
「見ての通りさ。女湯の方は占い師がいつ入ってくるか知れたものじゃないからね。こちらなら当面は仲間しか入ってこないみたいだし、キミなら鉢合わせても問題はないかなと」
「どんな判断だ、それ……」
「それと、女湯の方にはエステルが向かってるはずだから。近接戦闘向きのレオナと後方支援向きのエステルでバランスはいいはずだよ」
とりあえず、クリスはこの状況を特に気にしていないようだ。こちらとしては色々と気が気でないわけだが。
「それで、レオナはどうだった?」
「ああ……様子がおかしいって話か。見事にはぐらかされたよ」
せっかくなので湯船に浸かったまま細々とした情報を交換していると、脱衣所の方から何やら物音が聞こえてきた。
クリスがすぐさまそれに反応し、脱衣所に背を向けつつ俺の右半身を隠すようにして、俺と向かい合う形に位置を変えた。
「お、おい……?」
「こうすれば右腕と胸を同時かつ自然に隠せる。このまま世間話を続けよう」
あくまで自然に、さり気なく。クリスと差しさわりのない会話を交わしながら、大浴場に入ってくる人物を注視する。この薄暗さなら余計なことをしなければ違和感を覚えられることはないはずだ。
ロウソクを片手にやってきた人影、その正体は――
「はあっ!?」
驚きのあまり情けない声を上げてしまう。今日二回目の失態だ。
「あらごめんなさいね。てっきり誰も入ってないかと」
女性にしては低く男性にしては高い声。俺の視線の先にいたのは自称女占い師のジェシカだった。そしてジェシカの手元で輝くロウソクは、持ち主の薄い胸板を淡く照らし上げていた。
「ちょ、な、おい……」
驚きの度が過ぎてまともな声が出てこない。クリスも肩越しに振り返って目を丸くしていた。
少し前のクリスとのやり取りが脳裏に蘇ってくる。あの時クリスは、ジェシカの自己紹介を《真偽判定》スキルで確認した結果として、旅の女占い師であるというのは嘘だと言っていた。
クリスも俺も「旅をしていること」か「占い師だということ」のどちらかが嘘だと思い込んでいたが、本当はどちらでもなかった。女占い師であるという根本的なところが嘘だったのだ。
「知られちゃったのは私の不注意だから仕方ないとして……できれば言いふらさないでもらえるとありがたいんだけど……」
「い、言いふらすとかそんな……」
「性別以外の自己紹介は本当……そう信じてもいいのかな?」
「ええ、もちろん。隠し事はコレだけよ」
それを聞いてクリスは小さく頷いた。これで決まりだ。
――ジェシカ・ラング。旅の女占い師ってとこね――
――同業者で同行者のカーマインよ――
自己紹介のときにジェシカから聞かされた内容のうち、偽りだったのは性別だけ。それ以外は少なくともジェシカ本人が真実だと認識している事柄だ。情報源としてそれなり以上に信頼できる。
「できれば女湯を使わせてもらいたかったんだけど、先客がいたものだから」
「俺達のパーティのメンバーだな。悪いね、流石にそういう事情は想定外だったもので」
「別にいいのよ。私が勝手にこの生き方を選んだだけなんだから。面倒でごめんなさいね」
せっかくなので、のんびりと体を洗い始めたジェシカからもう少し情報を引き出そうとしてみる。幸いにもジェシカはこちらに視線を向けようともしていない。これなら俺の右腕の件もクリスの性別の件も気付かれることはなさそうだ。
「カーマインとはどれくらいの付き合いになるんだ?」
「あまり長くはないわね。前に仕事してた村で出会って、旅は道連れってことで一緒の駅馬車に乗って。本当はこのホテルは素通りで立ち寄らないはずだったんだけど、具合が悪くなったっていうから仕方なくね」
「なるほど。偶然出会った旅の仲間って感じか」
つまりさほど深い関わりではないということだ。
ジェシカ経由で得られるカーマインの情報は正確さに欠けると考えた方がいいだろう。これはジェシカが嘘を吐いているという意味ではなく、カーマインがジェシカを騙している可能性があるという意味の懸念事項だ。
世間話の流れで他にもいくつか質問をしてみたが、クリスはジェシカの発言に嘘を感じなかったようだった。かまをかけた質問も反応なし。つまり、ジェシカは本当に偶然ここに泊まることになっただけの、地下組織とは何の関係もない占い師であると断言できる。
「お近付きの印に一回占ってあげたいんだけど、ちょうど道具を切らしてるのよねぇ。消耗品を使うスタイルはこれが不便なのよ」
ジェシカは俺達の質問の意図に全く気が付いていない様子で、マイペースかつ丁寧に髪を洗っている。
「カーマインは前世占いが得意だって言ってたけど、そっちはどんな占いを?」
「前世占い? 何それ」
それは予想外の――不意打ちと言ってもいい返答だった。
「……知らなかったのか?」
「ええ。前世占いなんて聞いたことないわね。カーマインが村でやってたのは普通のカード占いだったし」
ジェシカはカーマインの得意分野を知らないのではなく、前世占いなるものを根本的に知らないのだという。
先客達の偽りを暴こうとあれこれ苦心してきたが、まさかそんなところにも『嘘』が潜んでいたなんて。しかも騙しの意図がまるで見えてこない。カーマインが俺とジェシカのどちらかを騙していたのは間違いないが、その目的は一体何だったのだろうか。
単に俺をからかいたかった? ありえなくはないが、そう断定するのはいくらなんでも楽観的過ぎる。
同業者に手の内を明かしたくなかった? だとしても、ジェシカがそういう占いの存在すら知らないのはどうしてなのか。
――前世の記憶を探るという名目で、俺に対して何らかのスキルやスペルを行使したかった? 例えば前世ではなく今の記憶を読み取るような。俺の記憶と正体を探るためにありもしない占い手法をでっちあげたのだとしたら、色々と説明がつく。もちろんその目的は――
「失礼。お先に上がらせてもらうよ」
唐突に降って湧いた謎に頭を悩ませていると、視界の端で白い肌の裸体が何の躊躇もなく立ち上がり、ジェシカが目を瞑っているのをいいことに堂々と脱衣場へ歩いて行った。
どうやらクリスはこれ以上ジェシカから有益な情報を得られないと判断したらしい。それについては俺も同意見だ。しかし性別を誤魔化すという点では完璧な対応かもしれないが、それを見送るこちらの身にもなってもらいたいものである。
いきなり後を追うと怪しまれそうなので、充分に入浴したといえるだけの時間を置いてから、ジェシカよりも先に大浴場を後にする。左腕とスペルを使って入浴の後始末を済ませ、右腕の偽装もしっかり取り付ける。
「これでよし……っと」
やるべきことを全て済ませ、脱衣所を出て部屋に戻ろうとする。
その矢先――湯船で温まったはずの背筋を、氷のように冷たい感覚が走り抜けた。
「……っ!」
背後に何かいる。そう直感し、前方へ転がるように飛び退いて距離を取る。
振り返ったその先には異形のモノが浮かんでいた。骸骨にやせ細った皮を張り付けたかのような、半透明かつ半分だけのヒトガタ。冷気と燐光を帯びた魔力の塊――
「スペクター……!」
左手に長剣を実体化させる。恐怖心は微塵も浮かんでこない。浮かぶのは魔物と遭遇した冒険者が必ず抱く警戒心と闘争心。俺は殆ど反射的に、目の前の魔物めがけて剣を振り上げていた。