176.護衛依頼-平穏
「五人とも何かしらの嘘を吐いているね。正確には、グッド兄弟の弟の方は嘘を口にしてはいなかったけど、兄の方と共謀して偽っているなら同じことだ」
やれやれ、とクリスは短く息を吐たいた。
考えうる限りで最も面倒なシチュエーションだ。クリスが言うには、三組の先客の発言はそれぞれ部分的に嘘があり、それ以外は本当のことを喋っているまだら状になっているらしい。
「全て嘘で塗り固めるよりも誤魔化しやすいやり方だね。要は今のボクらと似たようなものさ」
クリス曰く、グッド兄弟は『冒険者である』ことが嘘。少なくともスペクターの噂を聞いたというのは嘘ではないようだが、このホテルに来た目的が本当にそれなのかは断定できない。
ジェシカは『旅の女占い師である』ことが嘘。一続きに発声していたので、旅をしているのが嘘なのか占い師だということが嘘なのかまでは判別不能。しかし、同業者で同行者のカーマインが体調不良を訴えたので急遽宿泊した、という証言は本当だと断言できるらしい。
「つまり、ジェシカとカーマインが同業者なのは本当なんだな」
「それが占い師としてなのかは分からないけどね。それに、ジェシカがそう思っているだけということもある」
更に、クリスはそのカーマインからも嘘の気配を感じ取っていた。
《真偽判定》スキルは言動を直接見聞きすることで、相手が嘘を吐いているかどうかを判断する。声を聞かなければ精度は大幅にダウンするが、それでも効果が完全になくなるわけではない。
「仕草に違和感があった。断定するには全く足りていないけど、ひょっとしたら仮病かもしれない」
「仮にだとしたらいよいよ怪しいな。嘘を吐いてまでここに留まろうとしたってことになるんだろ」
「もちろん大した理由じゃない可能性もあるけどね。例えば、元々宿泊予定だった宿場に留まりたくない事情があったから、宿泊するタイミングをずらして素通りするようにしたかったとか」
確かにありうる話だ。嘘を吐いてでも立ち寄りたくない場所があったとしても、何の不思議もない。
俺だって故郷のアデル村に立ち寄るかもしれなくなったら、なるべく回避するように心がける。俺の場合は目標を達成するまで帰りたくない意地と気まずさが理由だが、それ以外の理由は幾つも考えられるだろう。
「それと最後の一人……」
小説家のイズレイルは『インスピレーションを得るためにしばらく宿泊している』ことが嘘なのだという。
「何だそりゃ。滞在理由が嘘だなんて一番怪しいじゃないか」
「うん、そうなんだけどね。小説家というのは間違いなく本当みたいなんだ」
「……締め切りから逃げて隠れてるってオチじゃないだろうな」
あるいは、本業は間違いなく小説家だが、それとは別の副業のために来ているか。例えば誰かを殺すために――
「締め切りからの逃亡か。ありえなくもないね。それはそうと、一体どこまでついて来てくれるつもりなのかな」
「は……?」
気が付くと、そこは既に来客用の広いお手洗いの中だった。
「うおわっ!?」
慌ててそこから飛び出す。話に夢中になり過ぎて、うっかり女性用トイレルームに踏み込んでしまうなんて――
「……ん?」
入り口の横に掲げられていた掲示には『男性用』としっかり明記されていた。隣に目をやると、そちらには『女性用』とある。
クリスは笑いを堪えながらひょっこりと姿を現した。
「ごめんごめん。そこまで驚くとは思わなくて」
「……もうトイレはいいのか?」
「するつもりなんて最初からないよ。大部屋から離れるための言い訳なんだから」
それは俺も理解している。まんまとからかわれてしまったので、何でもいいから少し言い返したかっただけだ。
先客達に関する情報交換も終わったので大広間に戻ろうとした矢先、クリスは廊下の壁にもたれかかって、大広間に戻ることを暗に拒否した。
「ボクはもう少し時間を潰してから戻ることにするよ。早く戻り過ぎたら怪しまれるかもしれないからね」
「そうか。じゃあ先に戻るぞ」
「……おっと、そうだ。最後に一つ」
クリスは不意に俺を呼び止めると、真剣な眼差しで顔を覗き込んできた。
「レオナの様子がおかしいことに気が付いたかい?」
「えっ……?」
「先客達に注意を向けすぎて、彼女に意識が向いていなかったみたいだね」
言われてみればそのとおりだ。正体不明の先客達から言質を得ることばかり気にしていて、仲間達がどんな反応をしているのかまでは気が回らなかった。レオナはずっとすぐ近くにいたというのに。
「……《真偽看破》で見抜いたのか?」
「普通に観察して『様子がおかしいな』と気付いただけさ。不安そうというか何かを警戒しているというか、とにかくそんな感じだったね。事情は知らないけど、気を付けてあげた方がいいと思うよ」
「分かった……ありがとう」
クリスに礼を言ってから一足先に大広間に戻る。俺達のパーティを含む宿泊客達は、それぞれのグループに分かれてロウソクを囲み、お互いに干渉を控えているように見えた。
注意深く観察してみると、確かにレオナの様子が普段と違う。俯き気味に口をつぐみ、先客達のいる方向を横目でさり気なく見やっている。あちらに意識を向けていることを俺達にも隠そうとしているかのようだ。
一体どうしたんだ――そんな質問を今ここでするほど、俺は馬鹿じゃない。どんな事情があるにせよ、警戒心を向けている何者かがいる場所なのだから。
しばらくすると、ホテルの管理人が燭台を片手に大広間に入ってきた。
「ご夕食の……準備が、できました。ロウソクを節約したいので……皆様ご一緒に……食堂へお越しください……」
促されるままに十四人の宿泊客が食堂へ向かう。体調不良による食欲不振を訴えている自称占い師のカーマインだけを大広間に残して。
提供された食事は相変わらず満足のいくものだった。前に俺一人で宿泊したときも、宿泊客全員が食事の美味さをほめちぎっていたくらいだ。
うちのパーティのメンバーには、長旅の疲れと刺客を警戒する精神的疲労、そしてホテルの陰鬱な雰囲気でかなり参っている奴が何人かいたが、それも美味しい食事でかなり振り払われているようだ。
「ちょっと管理人さん。余った料理は部屋に持ち帰ってもいいかしら。あっちの部屋で引っくり返ってるおバカもどうせお腹を減らすんでしょうし」
「いえ……お夜食の用意を、しています……」
「あらそう? だったら別に持って帰らなくていいわね」
薄暗い食堂に、ジェシカのよく通る低い声と管理人の聞こえにくい高い声が交互に響く。なんだかんだ言いつつも、ジェシカは同行者のことを気にかけているようだ。
食事が終わって、宿泊客がそれぞれのグループに割り当てられた部屋へ戻っていく。俺はそのタイミングを狙ってレオナに例の質問を投げかけてみた。けれどその返答は、俺が期待していたものとは程遠く――
「別に何にもないけど? 自分でも知らないうちに疲れてたのかもね」
そう言って、レオナはいつもと同じように笑った。
本当に俺とクリスの思い過ごしならいいのだが、もしもそうでなかったとしたら。俺達には言えない事情があるのだとしたら。そのとき、俺はどうするべきなのだろう。パーティのリーダーとして、そして冒険を共にしてきた仲間として。
「……何かあったらすぐに言えよ」
「分かってるってば。何にも起こらないと思うけどね」
本当に、そう願いたいところだ。