175.護衛依頼-邂逅
気乗りしない様子のステファニアを引っ張って馬車を降り、ホテルに向かう。陰鬱な雰囲気のホテルの横には、先客のものと思しき小型の馬車が停まっていた。
「よかった、他にも客がいる。誰もいなかったらどうしようかと」
「見た目はアレだけどちゃんとしたホテルだって言ったろ? にしても……前に来たときよりも客が少なそうだな……」
「そうなの?」
俺の呟きに聞き返したのは、安堵感にすっかり気を緩ませたステファニアではなく、護衛依頼の依頼主に扮したレオナだった。
「前は公共の駅馬車の客が全員泊まってたからな。今日はあの小さな馬車に乗ってた連中と、前々からこのホテルに逗留してる連中くらいか……いるかどうかはまだ分からないけどさ」
そんな話をしながら玄関先へ歩いていく。これまでと同じように、まずは俺とレオナ、そしてステファニア達の五人チームが受付をして、その後にクリス達が別のパーティとして宿泊を申し込むという手筈だ。
ホテルの玄関の扉を押し開けると、そこには夜空以上よりも更に深い暗闇が広がっていた。
「……は?」
確かにここは薄暗いホテルだったが、いくら何でもここまで酷くはなかった。まるで、建物内に申し訳程度に取り付けられていた照明が、一つ残らず取り払われてしまったかのようだ。
俺のリアクションを見たカルロスが素早く前に進み出て、ステファニアをさり気なく庇うように立つ。ベルナルドも慌ててカルロスを真似て同じようにした。
暗闇の奥に明かりが一つ灯る。ランタンの眩しい光ではない。ロウソクの頼りないオレンジ色の光だ。それはゆらゆらと左右に揺れながら、ゆっくり俺達の方へ近付いてきて――
「――いらっしゃいませ」
燭台を持った陰鬱な雰囲気の女性が、ぬうっと姿を現した。
ステファニアとベルナルドはびくりと肩を震わせ、レオナとカルロスは攻撃に備えて身構える。だが俺は皆の過剰な反応を背にしたまま、安堵感に顔を綻ばせた。
「宿泊の申し込みをしたいんですけど。人数は五人です」
「かしこまりました……ただ今、業者の手違いで照明の燃料を切らしておりまして……明日までは備蓄のロウソクで対応いたします……それでもよろしければ……」
「構いませんよ。次の宿場まで行く時間もありませんし」
女性は小さくお辞儀をして、暗闇の中を受付カウンターがあるであろう方向へ歩いていった。
「大丈夫。あの人、このホテルの管理人だからさ」
「……管理人まで雰囲気があり過ぎるな」
カルロスは深々と息を吐いた。他の三人も安心した表情を浮かべたり、紛らわしさに怒ったりと、それぞれ警戒を解いている。
管理人が受付のロウソクをつけ直すのを待ってから、五人分の申し込み手続きを済ませる。ちょうどそのとき、遅れて入ってきたルース達が驚く声が聞こえた。
「お手数ですが……夕食の準備ができるまでは……他のお客様とご一緒に……大広間でお過ごしくださいませ……。ロウソクの数には限りがございます……それぞれのお部屋でのご使用は、なるべく控えて頂きたく……」
「分かりました。ところで、今夜は何人くらい宿泊予定なんですか? 俺達とさっき来た人達は除いて」
「……五名様でございます……」
宿泊客は五人。仮に全員が追手だったとしても、数の上ではこちらの方が二倍の戦力だ。ルースのように直接戦う能力を持たない奴もいるが。
管理人から渡された燭台を頼りに大広間へ向かう。このホテルがただの豪邸だった頃の雰囲気を色濃く残す大広間を、十本ほどのロウソクがちろちろと照らしている。
そこにいたのは、管理人が言っていたとおりの五人の男女。二人組が二つと、彼らから離れた場所にいる男が一人。彼らは宿泊客が一気に倍増したことに少し驚いたような顔を見せたが、目立つ反応はそれだけだった。
やがてクリス達五人も合流し、大広間の人口が十五人にまで膨れ上がる。
「こんなに人がいるのに、こうも静かだと何だか落ち着きませんね。せっかくですから自己紹介でもしませんか」
俺は『沈黙を破って空気を変える提案』という体でそう切り出すと、反対意見が出る前に先手を打って自己紹介をした。もちろん隠すべきことは全て伏せた上で。
「それじゃ、次はボクが」
事前の打ち合わせはしていなかったが、クリスは期待通り流れを呼んでくれた。流石にギルドの特務調査員という裏の顔を持つだけあって、惚れ惚れするくらいの演技力である。
自己紹介の目的は、もちろん先客達の発言をクリスに聞いてもらって《真偽判定》の判断材料にしてもらうことだ。一方的に名乗るよう要求しても受け入れてくれるとは思えなかったので、先に俺達が名乗ることで拒みにくい流れにしようという寸法だ。
俺とクリスは別パーティの人間というフリをしている。先客達から見れば、五つのパーティのうち二つ、それも総人数の三分の二が自己紹介の流れに乗ったとしか思えないはずだ。
そして狙い通り、俺達の自己紹介――偽りの、だが――が一通り終わったところで、先客の面々も次々に名乗り始めた。
「俺はピーター・グッド。こいつは弟のアンドルーだ。今日の駅馬車でここに来た」
「スペクターが出没するっていう噂を聞いてな」
最初に名乗ったのは無骨な顔つきと体格の二人組の男だった。見分けがつかないほど瓜二つなので双子のようだ。二人が座っている長椅子の後ろに置かれた大荷物は、恐らくスペクター退治の武装なのだろう。
「魔物退治が目的ってことは冒険者ですか?」
「ああ、そうだ」
手短にそう答えて、グッド兄弟は露骨に『これ以上余計なことを言うつもりはない』という態度を見せた。彼らからあれこれと聞き出すのは難しそうだ。
次に口を開いたのは男女のペアの女性の方だった。女性にしては低くてよく通る声をしている。
「ジェシカ・ラング。旅の女占い師ってとこね」
占い師はまず格好をそれっぽく整えて雰囲気を演出するという。ジェシカもその例に漏れず、一目でそれと理解できる服装をしていた。
「そっちで引っくり返って寝込んでるのは、同業者で同行者のカーマインよ」
「……どうも」
「本当はこんなホテルに泊まるつもりはなかったんだけど、急に具合が悪くなったっていうから仕方なくね。そうじゃなかったら近付きたくもなかったわ」
一方のカーマインはソファーに横たわってぐったりしている。服装は至って平凡で、むしろ地味なくらいだ。ジェシカが説明していなければ、彼が占い師だとは思いもしなかっただろう。
カーマインは顔に被せていたタオルを少しだけ持ち上げてこちらを見て、すぐに元に戻した。
二人組の冒険者に二人組の占い師。何とも言いようのない組み合わせだ。
残り一人の男は、他の宿泊客から離れて一人で燭台を一つ占有し、何やら紙に延々と書き込み続けているようだった。
「ちょっとアンタ? さっきからずっとそうやってるけど、名前くらい名乗ったらどう?」
ジェシカが苛立ちも露わに声を張り上げて、その男はようやくペンを走らせる手を止めた。痩せ気味の暗い雰囲気の男だ。燭台がすぐ近くにあるというのに、そいつの周りだけ暗闇の深さが一層深まっているように感じてしまう。
「失礼しました。えっと、小説家のイズレイルといいます。インスピレーションを得るためにしばらくここに泊まっています」
「物好きだな。ホラー小説でも書いてんのか?」
グッド兄弟の弟の方の煽るような発言を、イズレイルは薄笑いで受け流した。その仕草がなんとなく不気味で、まるで彼自身がホラー作品の登場人物であるかのように思えてくる。
ともかく、これで先客全員の名乗りをクリスに聞いてもらうことができた。後は《真偽判定》スキルで確かめた結果を聞くだけだ。
そう考えた矢先、クリスがさり気なく席を立った。
「失礼。ちょっとお手洗いに。廊下の突き当りを右だったかな?」
「一つ手前の角で右だ。案内しようか」
俺は即座にクリスの意図を察し、自然な流れになるように気を付けながら一緒に大広間を後にした。
大広間から充分に離れ、なおかつ誰もついて来ていないことを確かめてから、本題を聞き出すことにする。
「どうだった?」
「あまりいい結果じゃなかったよ」
男装姿のクリスは小さく肩を竦めた。
「全員だ」
「……?」
「五人とも何かしらの嘘を吐いているね」